鎌倉好き集まれ!もちださん掲示板


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[44] Re:[43] 四石八木 投稿者:もちだ 投稿日:2017/01/29(Sun) 18:32 [返信]

おおさわさん、
コメント、ありがとうございます。

「秋風記」には、むかしは鎌倉にたくさんの鰹の群れが寄ってきた、ようなことが書いてありますね。
記録としてもなかなか珍しい。江戸の俳人の紀行は、国会図書館のデジタル化もあまりすすんでなくて、読んでみたことはなかったのですが、けっこう面白そうな記事が埋もれているような気がします。


[43] 四石八木 投稿者:おおさわ 投稿日:2017/01/23(Mon) 23:31 [返信]

もちだ様
はじめまして。

金沢称名寺の四石八木をインターネットで調べていたところ、もちだ様の記事に至り、拝読させていただきました。

今、諸九尼という歌人の『秋風記』を読んでいるのですが、その中で諸九尼が金沢称名寺を訪れた際に四石八木を知り「中にも西湖梅など花咲る頃見まほし」と書いてあり、調べていたところでした。

もちだ様の記事、いろいろと充実していらっしゃるので、これからも読ませていただきます。ありがとうございます。


[42] Re:[41] 彼岸花 投稿者:もちだ 投稿日:2016/10/02(Sun) 20:37 [返信]

パディントンさん、
コメント、ありがとうございます。
ざんねんながら彼岸花もだいぶ枯れてしまったみたいです。

先日うちの母親がむかしの土葬墓にいって、ひざまで落ちてしまったんだとか。まだあるんですね・・・そんなことが(笑)。むかし振りまいた六道銭がおちてたこともあったらしい。屋敷墓だとあまり他人がはいらないので、そんなこともあるみたいです。


[41] 彼岸花 投稿者:パディントン 投稿日:2016/10/01(Sat) 21:14 [返信]

もちださま
こんにちは。

私の祖母(兵庫県出身)は確か「手腐れ」と言っており、大変嫌っていたのを思い出します。
かぶれるというのとやはり縁起が悪い花というイメージですね。

伝上杉憲方墓は大変荒れていて、看板も落ちて久しいので、
以前市役所に電話したところ、「知っているけれど県の管理なので・・・」ということでした。ひどい話ですね。



[40] Re:[39] ご無沙汰しております 投稿者:もちだ 投稿日:2016/05/26(Thu) 22:02 [返信]

パディントンさん、
メッセージ、ありがとうございます。

ついていけない部分・・・(笑)というのは、私もおなじようなものでして、わかんないこととかを、忘れないうちに書いておけば、多少の書き損じがあっても、そのうちもっと詳しいひとが、どこかのHPでいろんな疑問にこたえてくれるかも・・・と、あてもない期待をしてはいるんです。

普通のお宅・・・は、なかなか掲載はむずかしいようですが、地元のかたがいろいろ取材してくれるとうれしいですね。放置すると消されてしまうブログはおおいけれど、Todayはアーカイヴとして、けっこう長く残しておいてくれています。そのうち、ある種の記憶遺産になったりして。


[39] ご無沙汰しております 投稿者:パディントン 投稿日:2016/05/23(Mon) 10:44 [返信]

いつも多彩な切り口でのリポート、楽しみにしております。

広い分野にまたがるあまりに造詣の深いお話で、ついていけない部分も沢山あります・・・(笑)

ステンドグラスは、つい最近までは普通のお宅にあるのが外からも見えていたりしましたが(長谷や材木座)、
どんどん壊されて同じような家になっていくのが残念です。


[38] Re:[37] じっくり読ませていただきます。 投稿者:もちだ 投稿日:2014/10/21(Tue) 20:00 [返信]

コメント、ありがとうございます。
しばらく休止していたのですが、5年あまりの時をこえてページはまだのこっていまして。

だいぶ写真もたまってきたし、調べたことなども、このまま忘れていってはもったいないので、整理がてらにとつぜん再開してみました(笑)。

不届きな点もあろうかとおもいますが、よろしくお願いいたします。



[37] じっくり読ませていただきます。 投稿者:パディントン 投稿日:2014/10/19(Sun) 12:29 [返信]

初めまして。

他のかたたちとは一味違うレポート、
大変興味深いです。

鎌倉に住んで40年近いのですが、色々回り始めたのは、ここ7〜8年(笑)です。
バックナンバーをこれから少しずつ読ませていただき、勉強したいと思います。


[36] Re:[35] 「もうひとつの稲村ヶ崎・1」の質問 投稿者:もちだ 投稿日:2011/06/11(Sat) 11:44 [返信]

 しばらく休止中だったため、いまごろになって気付きました。ブログも拝見させていただき、たいへん興味ぶかかったです。もうご解決済みのことと思いますが、

 大門の位置については「鎌倉市史」以下にみえる通説にしたがっています。「としよりの話」という、明治の古老による証言集によれば、当時の古道は成就院の下の墓地のところから山腹を通り、現在のスロープのうえにあった屋敷でいきどまりになっていたため、仏法寺池の山道を迂回して下手久保(義烈荘のところ)におりるのが近道だった、という。その池の山道というのが「仏法寺に行きませんか?4 参道」の、まさにその廃道とかんがえられています。
 古老の話では大正の震災以前、江戸時代の地震ですでに山の半分がくずれていた、といっています。大門のあたりは掘割道になっていたらしく、はやくに失われたのかもしれません。「屋敷でいきどまり」になっていた、というからには稲村道も廃道同然だったのでしょう。


[35] 「もうひとつの稲村ヶ崎・1」の質問 投稿者:森 学 投稿日:2011/01/08(Sat) 16:49 [返信]

> かつては仏法寺跡から南へおりる道があって、上述のよう
ブログ「鎌倉街道 を探そう!」を書いている者です。
> に大門が稲村道に面して設けられた(現在は崩落)。北条軍
> は、稲村道が海に面した断崖にでるこの大門の辺で義貞軍
> の総攻撃を迎え撃つ作戦であった

この仏法寺跡から南へおりる道の存在は、何か資料が有るのでしょうか?
よろしければ教えていただきたいのですが、、、