鎌倉好き集まれ!JUNEさんの鎌倉リポート・第16号(2004年8月7日)

A moral certainty

添水

樹葉が美しい二階堂 紅葉ガ谷 瑞泉寺。
ここなら少しは涼しいだろうと
麦藁帽子に手拭い下げてエッチラオッチラやってきた。

長い坂道の参道を登りきると、小さな山門に辿り着く。
頭上、イロハカエデの緑が目に優しい。
ふう~と一息つくやいなや、鹿威しの澄んだ響き。
細い竹筒に少しずつ水が溜まってゆくと
その重みで反転し、向こう石に当って快い音を立てる。
一気の放水で身軽になった瞬間、また反転し元に落ち着く。

ゼンマイ仕掛の如く、単調且つ規則的な動きの繰り返し。
眩い光の空間に、「音」と「動」のある光景。

季節を通じて花の絶えない寺ではあるが、
かつて多くの鎌倉文士に愛され、
境内には高浜虚子はじめ様々な文学碑ほか、
久米正雄、大宅壮一、立原正秋、吉野秀雄らの墓がある。
其処此処に据え置かれた文学碑を巡り
ふらふらと散策するのもまた楽し。

死をいとい生をもおそれ人間の
ゆれ定まらぬこころ知るのみ
(吉野秀雄)

文学碑

寺庭

雑然とした寺庭の小径を抜けると鐘楼に出た。
藤棚の下、ベンチに腰を掛け一息をつく。
目の前、真夏の日照を避けるかのように
エキゾチックな色合いのヤブカンゾウが一輪。
見上げた本堂背後に、ゴツゴツと険しい岩盤。
さらに高く、青い空に2羽の鳶が旋回中。

この山上に「へん界一覧亭」という草庵がある。
南北朝から室町にかけて多くの禅僧がここを訪れ
詩文や文学の創作に励んだという。
本堂裏にある禅修行の石庭と対をなし、
こちらは悟りの境地を表す。
また、遠く富士を望む眺めは絶景であるとか。
一度でいいから、この目で見てみたい。
その昔、
このお地蔵様にお仕えしていた堂守が
貧しい生活に耐えかねて逃げ出したいと考えた。
そんなある夜、
堂守の夢にお地蔵様が現れ「どこも、どこも」と言われた。
八幡宮寺正覚院のお坊様にその意味を伺うと、
「苦しいのはどこも同じ。
ひとつのところで辛抱ができなければ
逃げるだけの人生ということじゃ」
と諭され、
心を改めた堂守は、ずっとお守りを続けたというお話。

どこもく地蔵

脱殻

苦しさを乗り越えてこそ真の救いがある。
雑念や煩悩の世界を乗り越えてこそ
真の悟りの境地に達することができる。

山寺からの帰り道、
偶然見つけた蝉のぬけがら。

一夏の栄華。
蝉にとっては、短い夏。

「お疲れさま」
そっと囁いた。