鎌倉好き集まれ!大佐和さんの鎌倉リポート・第10号(2010年1月11日)

阿仏尼

鎌倉時代の歌人、阿仏尼(あぶつに)は伝統ある和歌の家柄、御子左家(みこひだりけ)の藤原為家(ためいえ)の側室となり、為相(ためすけ)と他に一男一女をもうけました。

為家の没後、為家の嫡男である為氏(ためうじ)と為相との間で土地相続問題が起こり、その訴訟の為に阿仏尼は鎌倉に下りました。

その産物として著されたのが「十六夜日記」であり、京から鎌倉に下る際の紀行文や鎌倉滞在の様子、勝訴のために奉納した和歌などが記されています。

判決の結果をみることなく、阿仏尼は鎌倉で客死したといわれていますが、訴訟の結果、為相の土地所有が認められました。

その後、御子左家は為氏の二条家、為教(ためのり:為家の次子)の京極家、為相の冷泉家の3派に分裂。二条と京極は南北朝時代に絶家し、現在では冷泉家のみが存続しております。