鎌倉好き集まれ!KIさんの鎌倉リポート・第141号(2009年1月10日)

鎌倉を守るエビス様

本覚寺のエビス様

【本覚寺にて】

KIです。

去る1月10日,十日戎で大変賑わう本覚寺を参拝しました。その様子はレポートNo.139 & 140号でご紹介した通りです。

さて,今回はエビス様を祀る本覚寺の由来と歴史からお話いたしましょう。

【本覚寺の夷堂】

【本覚寺の十日戎】

鎌倉駅に程近い,本覚寺は現在,日蓮宗の寺院。境内は,釈迦三尊がおわす本堂,日蓮上人の分骨堂,鐘楼,木造の仁王様が守る山門,そして,おにぎりのような形が印象的な夷堂(えびすどう)があります。
 この夷堂は源頼朝が創建しました。1180年に鎌倉入りを果たした頼朝公は,今の清泉小学校があるあたりに政庁を設けました(大蔵幕府)。それと同時に鎌倉の町全体の整備にも着手し,大蔵幕府の裏鬼門の方角,すなわち南西方向に魔除けとしてエビス様を祭ったのが,本覚寺夷堂のそもそもの始まりだといわれています。なお,夷堂は当初,天台宗であったそうで,現在のような日蓮宗の寺院になったのは1436年。「本覚寺」という名称もこの時からのものだそうです。

そして,本覚寺が1年で最も華やぐ十日戎(本えびす)は,夷堂の行事であることは言うまでもありません。
 ところで,先ほど,南西が「裏鬼門」という縁起の悪い方角だと書きましたが,今ひとつ,鬼が出入りする悪い方角として「鬼門」があります。北東の方角です。抜け目のない頼朝公は,大蔵幕府の鬼門にあたる方角にも魔除けのエビス様を祭りました。その場所は横浜市金沢区。確かに鎌倉から見て北東の方角にあたります。

1月10日の午後1時,本覚寺境内で昼食を終えた自分たちは,鎌倉駅前の広場から,金沢八景行きのバスに乗りました。 

浜のエビス様,富岡八幡宮

【魔除けの塀を盾にたたずむ富岡八幡宮】

【よく見れば神主さんもエビス様と同じ格好】

金沢八景のバス停(終点)から,金沢シーサイドラインに乗り継いで並木北駅へ。駅から内陸方向へ10分ほど歩いて, 目的の神社に至りました。
 
横浜市金沢区東富岡にある「富岡八幡宮」。

ここが鬼門のエビス様をお祭りしている神社です。1191年,源頼朝が,鎌倉にとって鬼門の方角にあたるこの金沢富岡の地にエビス様を勧請したのが,富岡八幡宮の始まりです(ただし,八幡宮となったのはもう少し後です)。
 午後2時過ぎ,境内への石段を登ります。

「塀が神社の前に立ってあるね~。沖縄の古い民家だとよくあったりするけれど,横浜にあるなんて珍しいよね。」

奥さんが言っているのは,沖縄のヒンプンのこと。古くから,沖縄では母屋の前に,悪いものが入れないように跳ね返すために魔除けの塀を建てました。今は,赤瓦屋根の集落が有名な竹富島などでよく見ることができます。後日調べたところでは,さすがに沖縄とは関係ないようですが,やはり海(外界)から入ってくる悪霊や疫病を防ぐ意味合いがあるそうです。ちなみにこの魔除けの塀がある場所はかつて古い社殿があった場所だそうです。
 その塀を過ぎると本殿と社務所があります。同じエビス様でも,こちらは十日戎の行事などは行われておらず物静かでした。といっても,初詣やお祓いなどで,参拝客がそこそこ訪れていて,時々,お祓いの太鼓と笛の音がしていました。
 鎌倉を鎮護すると同時に,魔除けの塀で自らの身も守る富岡八幡宮のエビス様は大変ガードが固いですね。それだけ今も昔も海の向こうから多くの物が鎌倉を目指して流入しているということなのでしょう。

【得意満面のエビス様は富岡八幡の象徴】

【金沢八景,海の公園の夕暮れ時】~かつての風光明媚な外港の面影をわずかに伝える砂浜です。

鎌倉時代には金沢の地は,海(東京湾)に面した良港に適していて,日本各地のみならず大陸などからも鎌倉への様々な文物や人の出入りがあったそうです。
 東国一円を平定し武家政権も確立した頼朝公にとって,次の課題はやはり鎌倉の武家政権を磐石にすること。鎌倉からは鬼門に当たり,海上流通の要衝だったこの地に強力な守り神を,と望むのが人情だと思います。船に積まれて入ってくる珍しい舶来品,必要物資や人材と一緒に,疫病や害虫,あるいは盗賊も金沢から鎌倉へと入ってきたことでしょう。富岡のエビス様は良いものだけを鎌倉に呼び寄せるための福の神だったのでしょうね。
 そして頼朝公の死後,鎌倉幕府の外港としての金沢の重要度はますます高まり,エビス様に併せて,ついに八幡大神もお迎えすることになりましたが,それは号を改めてお話しする予定です。

【頼朝公の幕府(中央赤)を鎮護していたエビス様(黄と青)】

さて,鎌倉幕府を鎮護する役割を担っていた本覚寺と富岡八幡宮のエビス様。源頼朝の頃の幕府(大蔵幕府)とこれら二つのエビス様の位置関係を地図上で示したのが上の地図です。
 地図の中央付近にある赤い印(※頼朝公の束帯姿)が大蔵幕府の位置です。そのすぐ左下にある黄色いエビス様(鎌倉駅のすぐ右隣)が本覚寺。そして,右上の離れたところにある青いエビス様が富岡八幡宮の位置です。
 本覚寺と富岡八幡宮が,大蔵幕府跡地に対してそれぞれ南西(=裏鬼門)と北東(=鬼門)に位置しているのが一目瞭然ですね。両側から挟むように大蔵幕府を守っていたわけです。本覚寺のエビス様は由比ガ浜から,富岡八幡宮のエビス様は東京湾からそれぞれ,良いものだけを選別して鎌倉にもたらす役割を担っていたのかもしれませんね。


※地図を作成するに当たって,鎌倉TODAY編集部様から頂いた束帯の源頼朝公のロゴを使わせていただいています。

宵,再び鎌倉

午後5時をまわるころ,再び鎌倉へと戻ってまいりました。十日戎のお祭りも終わり,本覚寺は昼間の喧騒がウソのように物静か。ただ,点灯されたたくさんの提灯が暗くなった境内を幻想的に照らしていました。

「この提灯も3連休が終わるまでには全部片付けられるんだろうね。」

今年も大役を終えた色とりどりの提灯の明かり。今しばらくは時々境内を通って家路へと急ぐ人々の足元を照らし,行きかう人の目を楽しませるのでしょう。
 自分たちも十日戎の余韻にしばし浸り,若宮大路の繁華街へと向かいました。

平安京と並ぶ風水都市「鎌倉」の一面を垣間見た,本戎の1月10日でした。

                2009年1月24日 KI


(謝辞)
このたび地図作成に当たりまして鎌倉TODAY編集部様よりロゴの提供をいただきました。ありがとうございました。

(作成データ)
・実際に鎌倉・金沢を訪れた日:2008年1月10日
・写真:あん小 & KI
・地図:マピオン無償提供の簡易地図,鎌倉TODAYご提供の頼朝ロゴ,KI撮影のエビス様を加工作成したロゴを使用して作成。
・文章:KI
・記事セットアップ;2009年1月24日 by KI


【おまけ】弁天様も鎌倉の鬼門を守っていました

【弁財天信仰さかんだった江ノ島岩屋】

【シーサイドライン金沢八景駅前の琵琶島弁財天】

実はエビス様だけではなく,弁財天様も鎌倉幕府の鬼門に配置されていました。

それは,江ノ島の弁財天(江島神社)とシーサイドラインの金沢八景駅前にある琵琶島弁財天。
 前者は1182年,源頼朝が文覚に命じて江ノ島岩屋に弁財天を勧請したのが始まりです(『吾妻鏡』より)。そして,後者は頼朝公の妻,北条政子が竹生島弁財天を金沢(六浦)に勧請して建立したものです。

エビス様とともに,弁天様も鬼門(金沢の琵琶島)と裏鬼門(江ノ島)の両側から,頼朝公が居る大蔵幕府を鎮護していたわけですね。