鎌倉好き集まれ!KIさんの鎌倉リポート・第155号(2009年6月28日)

初夏の鎌倉(1)・・・鎌倉の海開き式と鎌倉街道

雨の中、6月28日の海開きの神事と神楽です

KIの妻でございます。ダンナのKIが最後の更新をしてから、いろいろあって2ヶ月以上になりましたが、これからは妻の私がダンナに代わって鎌倉をレポートしたいと思います。‘あん小’のハンドルネームで以前にもちょくちょくダンアのレポート手伝っていたので、これからも‘あん小’の名前でレポートしますので、ヨロシクお願いします。

じゃあ早速ですが、

初夏の鎌倉(1)は、ゆいがはまの海開き式です。

先月28日の日曜、雨でしたが予定通り神事が敢行されました!神楽と神事は、鶴岡八幡様の舞い手とジカタさんたちです。
雨にも負けず、風にも負けず、お疲れ様でした☆(´▽`)☆

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えー、今回は初回なのに私が紹介できるのはこれだけなんです 汗;)

その後、ダンナ鎌倉街道に行きたいダンナについて湘南ゆいレールが見える深沢ってところに行きました。初回早々、ダンナのKIに登場してもらいます。

引退宣言して御隠居になったはずなのに、また引きずり出してゴメンネ >ダンナ

湘南深沢の御霊神社

【深沢,御霊神社の参道】

KIです。大変ご無沙汰しております。引退したはずなのにまたまた鎌倉レポートを書くことになりました(もちろん今回限定ですので)。

今回,ご紹介するのは「御霊神社」。

 といっても,すぐ前を江ノ電が駆け抜ける,長谷の御霊神社ではなくて,モノレール湘南深沢駅のほど近く,深沢小学校の裏手にある御霊神社です。
 「御霊神社」を称する祠は鎌倉とその周辺に何社か存在するようです。鎌倉街道上道の起点にあたる長谷・極楽寺から大仏切通しを経て藤沢市へと至る道筋にも4つの「御霊神社」が存在します。祭神は,鎌倉景政だったり,早良親王(崇道天皇)だったりしますが,いずれも古代末期から中世にかけてこのあたりに勢力を張っていた坂東平氏ゆかりの神社のようです。
 ちなみに,この深沢の御霊神社の祭神は鎌倉景政で,長谷の御霊神社と同じです。
当日,6月28日は朝から続く雨模様でした。
 こちら御霊神社でまずご紹介したいのが,境内の石塔や板碑。下の2枚の写真のように崖にうがたれたくぼみや岩肌にいくつもあります。
 これがいつの時代のものかは知りませんが(案外,江戸期かそれ以降かもしれない),この手の石塔や板碑は鎌倉から地方へと続く鎌倉街道沿いに,鎌倉から離れた町田・府中や埼玉の鎌倉街道沿いに多数見られます。
 奇しくもここは,はるか高崎・信濃へと続く鎌倉街道上道の鎌倉側の起点付近。すぐそばには1333年5月18日(新暦の6月末か7月上旬に相当),新田義貞の軍勢が鎌倉幕府の武将,赤橋守時を戦死させた洲崎古戦場があります。

【石段の上にそびえる御霊神社本殿(舞殿より撮影)】

【本殿から見下ろすと石段の下に舞殿があります】

さて,こちら御霊神社についてもうひとつご紹介したいのが,社殿の構造です。
 実は,鶴岡八幡宮と同様,上宮(本殿)と下宮(舞殿)の配置になっています。鳥居の参道からまず質素な木造の舞殿があります。そして,その舞殿の裏手には急峻な石段があり,上りきるとこれまた木造の古びた本殿があるといった次第。まさに鶴岡八幡宮と同じ社殿の配置なのです。
 
「下宮(舞殿)→階段→上宮(本殿)」の配置は鎌倉以外の地域にもちらほらと存在するようですが,鎌倉市内では鶴岡八幡宮とここ深沢の御霊神社だけではないでしょうか。

【アガサンバス咲き乱れる宮前地区の御霊神社の鳥居前(藤沢市)】

このところ自分は,主レポーター引退後,鎌倉TODAYニュースでも紹介された「鎌倉街道特別展in府中」がきっかけで,再び鎌倉から東京埼玉へと伸びる鎌倉街道ゆかりの場所など興味を持って訪れています。
 長谷・極楽寺あたりを起点とする鎌倉街道上道は、梶原地区やこの深沢辺りを経て,藤沢市へ,鎌倉市外へと北に伸びていきます。鎌倉からの街道スタート地点に程近い,鎌倉深沢から藤沢宮前あたりなど落ち着いて散策してみると,頼朝公の時代あるいはそれ以前の鎌倉の歴史ゆかりの場所がいろいろとあります。