鎌倉好き集まれ!KIさんの鎌倉リポート・第27号(2006年12月6日)

首里の円覚寺

北鎌倉,円覚寺の総門(2006年12月3日撮影)

先週末の鎌倉はようやく紅葉が見頃を迎えましたね。
自分も12月3日の日曜日に北鎌倉の円覚寺で紅葉を楽しんでまいりました。
ちょうど昼間でした。特に総門前と仏殿・居士林でカエデの紅葉が大変色鮮やかで,大勢の人々で賑わっていました。
 その様子は鎌倉TODAYのコーナーでも何人ものレポーターさんたちが既にご紹介なさっています。
今回,自分もまた円覚寺のお話をしたいと思います。といっても,この度の主役は,紅葉が見事な北鎌倉の円覚寺ではないのですが・・・

円覚寺といえばキタカマ!」というくらい,全国的にも有名な北鎌倉の円覚寺ですが,沖縄にも円覚寺が存在するのを御存知でしょうか?
・・・そう,実は沖縄の首里城のすぐそばにも,円覚寺があるのです。否,厳密に言えば「かつてあった」という方が的を得ているかもしれません。
 戦前,首里の丘陵地には赤瓦の円覚寺の建物群が,首里城に隣接して立ち並んでいましたが,1945年,米軍の容赦ない砲撃を受けて首里城もろとも灰燼に帰してしまいました。
そして戦後,1968年に総門とその周辺だけが復元されて現在に至っています。
 2年前,首里城を訪れた際,この円覚寺総門とすぐそばにある弁財天堂を散策しました。ちょうど今頃の時節でした。
 本土では木枯らしとともに紅葉が終盤を迎えつつあるところでしたが,ここ沖縄の首里は,枝一杯に緑の葉をつけた大木が鬱蒼と生い茂り,わずかに復元された寺の境内を覆いつくしていました。晴天であれば気温は25度。真昼はクーラーが必要なほどです。
 写真のように,首里の円覚寺総門は,北鎌倉の黒瓦屋根の小ぶりな総門と異なり,赤瓦屋根で朱塗りのカラフルな柱をした大きな門です。
 これだけを見ると,「だいぶ違うじゃん」と思われるかもしれません。
しかし,首里の円覚寺は,北鎌倉の円覚寺を手本にして,1494年に造営されたのです。ありし日の首里円覚寺は,総門を入ると,石橋(名は放生橋)を経て巨大な山門がそびえ,さらにその奥に大きな仏殿がありました。仏殿の正面を基に右側に御照堂,獅子窟が,左側には鐘楼があり,そして仏殿の真後ろに方丈(龍淵殿)と庫裏が配置されていたそうです。
 ・・・この建物の配置は北鎌倉円覚寺の伽藍配置とほぼ同じなのです。



首里円覚寺の総門(2004年12月15日撮影)

首里円覚寺ができた当時は,琉球王国が最も栄えた尚真王(在位1476~1526)の時代。琉球での臨済宗の総本山として,また,王家の菩提寺として建立されました。
 その後,琉球の円覚寺の完成を祝ってなのかどうか,朝鮮王から経典を贈られ,それらを安置するために1502年に円覚寺のすぐそばに弁才天堂が増築されました。
 この弁才天堂も先の大戦で消失しましたが,円覚寺総門とともに復元され,往時の風情が甦っています。2年前に自分が訪れたときには,写真のようにツワブキの黄色い花が咲き乱れ,赤瓦のお堂を飾っていました。
 この弁才天堂は円覚寺総門ともども,今でも地元では聖地(ウタキ)として崇められており,休日には線香とお供えを手に真剣に祈りを捧げる人達の姿がよく見受けられます。 

首里城公園の弁才天堂(2004年12月15日撮影)

北鎌倉,円覚寺境内にて(2006年12月3日撮影)

さて,ところ変わって今度はキタカマの円覚寺境内。
 12月3日の昼下がりの仏殿と選仏場・居士林のエリアです。
 天候にも恵まれ,仏殿前には,写真のように紅葉の境内で絵描きを楽しむ人々がたくさん。
 目の前に見えるのは爛漫の紅葉と藁葺き屋根の選仏場。薬師如来が安置されている座禅道場です。自分も仏殿のへりに座って眺めてみました。

気分爽快ですねぇ♪ 

 ちなみに選仏場があるあたり,首里の円覚寺の場合は,この位置に御照堂(グシュードゥー)が配置されていました。歴代琉球王の位牌を祀る宗廟だったそうですが戦災で破壊され,現存しません。



北鎌倉,円覚寺仏殿(2006年12月3日撮影)

仏殿の窓に映り込む紅葉の見事なこと,まるで仏殿そのものが季節の風景を映す大きなキャンバスですね~♪

戦前に撮影された首里円覚寺の仏殿のモノクロ写真を沖縄県立博物館で見たことがありますが,建物の形はこの北鎌倉の円覚寺仏殿とかなり似ていました。円覚寺の中でも特に琉球美術の粋を集めた赤瓦建築だったそうです。
 このような文化財が失われてしまったことを思うと本当に惜しまれますね。
仏殿と並んで,これまた本土様式でありながらも琉球建築の極みであった首里円覚寺の山門の写真があったのでお見せします。
 手前に石橋(放生橋)があるのと建物の一階部分の構造に相違がありますけど,北鎌倉円覚寺の山門とかなり類似しているのが分かっていただけるのではないでしょうか。
 この写真は,大正の頃に鎌倉芳太郎という人が撮影したものです。同氏によって,円覚寺の建物や宝物が詳細に記録撮影されています。また,円覚寺だけでなく戦前の首里城をはじめ沖縄のさまざまな文物を詳細に記録撮影しており,1992年に首里城正殿が復元できたのも鎌倉芳太郎氏の写真記録のおかげなのだそうです。
 かつて,首里円覚寺の境内には亜熱帯植物と朱色の甍が青空に映え,北鎌倉の円覚寺にひけをとらない堂々とした伽藍であったそうです。
 今は総門その他を除いて,山門も仏殿も,復元しておらず,往時の大伽藍を偲ぶにはまだまだです。

戦前の首里円覚寺の山門。モノクロなのでわかりませんが,これも赤瓦・朱塗りが見事な建造物だったのでしょうね(※写真は岩波書店HPより借用)

沖縄戦による破壊さえなかったら,沖縄の首里には,琉球王国時代のさまざまな建造物や文物など,古都鎌倉や京都に匹敵するほどの文化財が現存し,現在の首里の町とは全く異なった,南国の古都ならではの景観美を醸し出していただろうといわれています。

中世日本の禅様式を代表する北鎌倉円覚寺の建築様式を踏襲しつつも,首里城と同じく朱色を基調とし,琉球独自の装飾美を惜しみなく施していたという首里円覚寺。

 鎌倉文化琉球文化の折衷を見事に体現した,他に例がないような逸物だったのかもしれません。




(※注釈)
岩波書店ホームページ「沖縄文化の遺宝」アドレス
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0080120/top.html

上記掲載の首里円覚寺山門の写真(鎌倉芳太郎氏撮影)を借用しております。