鎌倉好き集まれ!KIさんの鎌倉リポート・第32号(2007年1月17日)

鶴岡八幡宮のルーツを旅して

皆様,大変遅ればせながら・・・

あけましておめでとうございます。

自分,今年は京都で年を越しました。
かつて平安京と呼ばれたこの街は,鎌倉以上に広く寺社の数もハンパじゃないですね。おそらく1週間あってもすべてをまわり切れないのではないでしょうか。
さて,2007年最初のレポートは,鶴岡八幡宮とその親元である石清水八幡宮について話したいと思います。年末から年始にかけて,鎌倉から京都まで旅しました。
大晦日の朝は鎌倉の鶴岡八幡宮を訪れていました。
深夜からの初詣を控え,年末の慌しさが漂う境内では,朝から参拝客も少なからず訪れ,納札場に次々と古い御札を納めていきました。

1063年,源頼義(頼朝の5代前の祖先)が石清水八幡を勧請し,由比郷(現在の材木座)に祠を造ったのが,鶴岡八幡宮のそもそもの始まりです。1180年に源頼朝がそれを現在の場所(雪ノ下)に移築,まもなく焼失するものの直ちに再建されて現在のような上宮(本殿)と下宮(若宮)の構成になったそうです。

舞殿のあたりでは間もなく古札の焼納が行われるらしく,準備に追われる神職・巫女の人たちが駆け回っていました。
 当日,寺社があちこちにある鎌倉の街は,静かというよりは,大晦日・正月に向けてむしろ活気づいているといった感じでした。八幡宮を出て,大覚寺や八雲神社のある大町辺りまでざっと散策した後,名残を惜しみつつ鎌倉駅から電車を乗り継ぎ,新幹線で家族親戚の待つ京都へと向かいました。


朝,鶴岡八幡宮にて

石清水八幡宮の本殿(※ 写真は石清水八幡宮ホームページより借用)

明けて2007年。

せっかく京都旅行に来ているので,鶴岡八幡宮の勧請元,石清水八幡宮へ初詣しました。京都市内の出町柳からは京阪電車で約30分ほど,京都府八幡市の男山にあります。西暦859年に九州の宇佐神宮の武運の神,八幡大神をお迎えして創建されたこの八幡宮は山全体が境内となっており,本殿を中心に多くの社殿が山麓にまで点在しています。
 男山頂上の本殿にはケーブルカーで登ります。山づたいの長い参道を経て本殿に到着。当日,本殿は「平成の大修造」のため工事中,あいにく建物の前面全体が網とビニールシートで覆われていましたので,代わりに工事前の石清水八幡宮本殿の写真をお見せします(※)。



神楽殿でのお祓いの舞い

おみくじを買い求める人,絵馬に願いをこめる人,記念写真を撮る人・・・

石清水の境内は初詣客で大変賑わっていました。中でも目を引いたのが神楽殿での舞い。魔除けの神矢を奉り,舞う巫女さん達の姿を間近に眺めることができます。
 おそらくこの神楽殿が鶴岡八幡宮の場合は舞殿に相当する施設なのでしょうね。
 当日は所定の祈祷料を納めてお祓いを受ける人が引きもきらなかったので,巫女さん達も息をつく暇もなく舞い続けていました。ホント体力勝負ですよね^^

年の初めの運試し~おみくじはやはり初詣の定番ですね

この石清水八幡宮の歴史を語る上で,紹介しなければならない人物が源義家です。
 義家は源頼朝の4代前の祖先で,その武功と人徳で清和源氏繁栄の基盤を築き,理想の武将として後世の武士から崇拝された人物です。この源義家が元服したのが石清水八幡宮なのです。
 この際,源義家の父である源頼義は石清水八幡を源氏の氏神として奉りました。また前九年の奥州遠征からの帰途,鎌倉の地に石清水八幡を勧請して由比若宮を創建しました。これが冒頭で述べた鶴岡八幡宮の起源となった祠です。
 
材木座1丁目にある由比若宮を訪れたのは,京都から戻って数日後のことです。鶴岡八幡宮の元になったという意味で「元八幡」の通称で知られています。

10メートル四方ほどの樹叢の中にある2メートルほどの鳥居と小さな祠。

年末年始のほとぼりも一段落し,静けさを取り戻した住宅地の中にひっそりと佇んでいます。
 入り口で猫がお出迎え。他にも何匹か居るようでした。年末年始には参詣に訪れた人が少なからず居たのでしょう,無人の境内には様々な正月飾りが置かれていました。境内をよく観察してみると人手が加わっているのではと思われる巨岩が一つ二つ立っており,小規模ながらも何となく歴史の古さを感じさせます。

材木座の元八幡にて

以上,年末年始にわたって,石清水八幡宮→元八幡(由比若宮)→鶴岡八幡宮と連なる,鶴岡八幡宮のルーツをこの足で訪ね歩きました。
 さらに辿れば,鶴岡八幡宮も石清水八幡宮もその他全国にたくさんある八幡神社も大分県の宇佐神宮(宇佐八幡)に起源が行き着きます。
 ちなみに,武運長久の神様である八幡神(八幡大神)というのは,実はホムタワケ大王(第15代応神天皇)のこと。実在したとすれば4世紀後半ごろの大和政権の大王(天皇)で,最近の研究によると,「高句麗広開土王碑」にある数度にわたる倭国の朝鮮進出を指揮した当事者ではないかとも言われています。もし,それが史実ならば,国際的に目覚しい戦果を挙げた応神天皇の記憶が連綿と後世に伝えられて八幡神崇拝となり,中世になると戦いを生業とする武家の氏神として信仰されて今に至っているといったところでしょうか。
 ホント歴史は「生き物」ですよね。
 
 元八幡を訪れた日の夜,月夜に映える鶴岡八幡宮をしばらく眺めました。舞殿と本殿の配置が芸術的なこの境内にもいろいろな歴史が息づいているのですね。神社には,古代から連綿と続く日本人の歴史の記憶が生きて宿っていると思うと,その重みを感じずにはおれません。



※石清水八幡の本殿の写真は石清水八幡宮の公式ホームページ(http://www.iwashimizu.or.jp/index.html)から借用・転載したものです。

夜の鶴岡八幡宮,舞殿(手前)と本殿(右向こう)