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もちださんの鎌倉リポート No.112(2015年2月4日)



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華頂宮邸にて・2



楠正成像(丸の内にて)
 後醍醐は父・後宇多院の遺命にも従わず、祖父・亀山法皇が推した常盤井宮をも無視して、ひたすら自分の血統のみを重視した。そのくせすべての皇子を紛争にまきこみ、無慈悲に前線におくって、いささかもかえりみることがなかった。大義、それこそが朱子学に基づく、「進歩的」な考えだったのだろう。

 近臣や寵妃を重視、身分秩序をことごとく無視した。「下剋上ナル成リ出デ者」(二条河原の落書)というのは、このあいだの理不尽さ、反自然さにたいする不平をあらわした言葉だ。五行(物理法則)に反する、という程のニュアンスがある。


 大塔宮には二ヶ所の墓と土牢というものが残っている。父・後醍醐天皇はみずからかれを捕縛し、足利直義に下げわたした。「帝位をねらっていた」ため、とされるが定かではない。

 もと天台座主で、大塔とは近年復元された天台総持院(比叡山東塔)をさす。はやくに挙兵にかかわり、笠置落城後も吉野あたりを転戦、ゲリラ活動に励んだ。このため大塔宮はみずからを武家の指導者と恃(たの)んでいたらしく、征夷大将軍を望んだり、尊氏の鎌倉府(のちの公方府)構想に対抗、鎌倉の資金源を断つため北畠らの奥州府(鎮守将軍)計画を立案したのも、かれであったという。



東光寺跡
 二階堂の墓は、すててあった頸を理智光寺(廃寺・本尊は覚園寺)の僧がうめたところといい、妙法寺のは宮の落としだね・日叡の開山で父をまつったものとみられる。鎌倉宮は幽閉された東光寺跡で、夢窓国師によって十三回忌の利生塔もたてられた(廃寺・本尊は辻薬師堂)。また東慶寺の門跡・用堂尼は宮の妹で、こちらには位牌だけがある。

 中先代は当初、北朝を奉じていたので、奪取されても生き延びたかはわからない。ちなみに、鎌倉府の主君としてあずかっていた後醍醐の寵子・成良親王については、律儀にも北朝に迎えて皇太子にするなど、尊氏側から一時はかなり丁重にあつかわれたふしがある(のち毒殺)。


 南北朝の争いは、下剋上をもたらし、朝廷の自己破壊におわった。おおくの王子たちも、それぞれ無残な最期をむかえた。ただ明治維新の志士たちは、その下剋上におおきな価値をみいだした。悪党、草莽、えた非人にいたるまで、身分のかきねを越えて歴史の主役におどりでた稀有の時代であったことは、認めざるをえない。

 革命だったのか、失政だったのか。卑しいものを登用する「下剋上」は後醍醐じしんが積極的に推進したが、その言葉のイメージは楠正成のような無私の「忠臣」から、実力次第・運次第、やがては乱世、「恩知らずの謀反人」へと、大きく推移してゆく。


 中世の天皇は「院」となのることがおおい。天皇として死ねば神となるので、広大な古墳を作るひつようがあった。だから退位して、死ぬまでに受戒し、一介の僧として死ぬことをのぞんだ。淳仁上皇などはじっさい、遺灰を名もなき山中にすてさせた。ただ非業の死を遂げた後鳥羽院などは、後になお幽霊とみなされ、一時「顕徳院」という諡号をつけてあがめられている。

 江戸時代、幕府に翻弄された後水尾天皇はすすんで退位し、修学院離宮の造営に余生をささげた。桂離宮をつくったいとこ(実際はおじ)の八条宮智仁親王もまた、有為転変を絵にかいたような人生をたどっていた。かの織田信長が天皇にしようと画策した皇太子誠仁の息子にあたり、じしんも豊臣秀吉の猶子となるなど、時の権力にほんろうされた。


 さて華頂邸で目に付くのは、白熱球をつかったシャンデリアだ。明治までの電灯は放電管式の、いわゆるアーク灯(水銀灯)。光がつよすぎたり、毒々しい不健康な色味をしていたため、室内ではまだ灯油ランプがふつうだった。

 電熱線をもちいたエジソン電球は、この問題をみごとに解決。やがてタングステン二重コイル、不活性ガス充填などの改良をかさねながら寿命と光度を増し、大正時代にもなるとひろく普及した。白亜の内装はこの光の時代を代表する。いっぽうの放電管式はながく街灯やネオン管などの地位にあまんじた。放電管式がより自然光にちかい最新式の蛍光灯に進化したのは、比較的さいきんのことなのだ。最新のLED方式では困難だったこの色味の問題を驚異的なスピードで解決し、ノーベル賞として話題をまいた。


 華頂宮家には夭折する人が多く、この邸宅が建てられたおりにはすでに断絶。臣籍降下した別の皇族が家名をついで公爵家を起してのちに建てられたもので、正確には「宮邸」ではない。三島由紀夫が架空の宮妃を主人公にした、「頭文字」というエロチックな小説を書いているが、じっさい早世した若宮に妃はなかった。

 旧宮邸といえば、目黒駅ちかくの白金に、東京都庭園美術館としてのこる旧朝香宮邸がよくしられており、規模もずっとおおきい。旧東伏見宮邸は常陸宮邸になっている。和風の邸宅は京都御苑あたりにいくつか移築されている。


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