トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第117号 


▲もちださんトップへ戻る

もちださんの鎌倉リポート No.117(2015年3月5日)



No.116
No.118



絵馬のなかの世界


 いぜん清涼寺式釈迦についてふれた、横浜市都筑区荏田にある真福寺は、県内有数の絵馬のコレクションでもしられている。一部は博物館に委託しているというが、本堂にはいまも大小、さまざまな奉納額が掲げられている。

 秘仏本尊は平安時代の十一面観音だが、絵馬の画題とは直接関係がないようだ。メインとなる大蛇退治の大絵馬は剥落がはげしく、デジカメの画質ではなにがなんだか、よくわからない。花祭りのおりなどにぜひ現地でごらんになってほしい。


 絵馬は基本的に生きた馬を飾り馬にしたてて神社に奉納したなごり、とされる。土製の馬の形代が水路などの遺構からみつかることもあり、雨乞いなどともかんけいがあったようだ。下は謡曲「絵馬」の一節。

ワキ「それは何の謂われに依つて掛けられ候ふぞ。
シテ「これはただ、一切衆生の愚痴無智なるを象り、馬の毛により明年の日を相し、又雨滋き年をも心得べき為にて候。・・・まづ雨露の恵を受け、民の心も勇みあるよみぢの黒の絵馬を掛け、国土豊になすべきなり。・・・耕作の道の直なるをこそ神慮も悦び給ふべけれ。まづこの尉が絵馬を掛け、民を悦ばせばやと思ひ候。

 絵馬は額装のものと家蓋を模した駒型のものがあり、後者が現代の絵馬のかたちにつながる。


 写真みぎうえにみえる「めめ」というのは眼薬師信仰にもとづくもので、眼病祈願。ちょっとみにくいが、そのしたに「奉献」と書いてピラミッドのような図形などを付しているのは、いわゆる「算額」。数学の難問を解いたことを感謝、というよりは参詣のみんなにクイズのように出題するためのもの。文意はぜんぜんわからないが、こんな問題。

今爰ニ賽坪三千坪アリ是ヲ図ノ如ク四方鉤倍ニナシテ尺鉤倍ヨリ弐寸鉤倍マテ各軒ハ何間棟ノ高サ何程ト問。(文化六年)

 また、右下の女のひとが拝む先には来迎の仏がみえている。これは明らかに安楽国への往生をねがったものだ。もう本来の「馬」なんかどこかへいってしまった。


 小さなものは似通った構図が多く、たぶん既製品。荏田は宿場町だが、こんな町衆のような晴れ着をもった村人がはたしてどれだけいたのだろう。祈願者には女のひともおおかった。

 残念ながら表をみることができないので、どんな願いがかかれていたかはわからない。毎年いっている師岡熊野神社というところの星祭では、こどもたちの願いがかかれた七夕の短冊が、無数に吊るされている。いちばんおおいのが「せがのびますように」「ケーキ屋さんになれますように」。


 写真上の芝居絵は、お公家のような者を三人の若党がまもっているような図柄。よくみると梅、松、桜の衣裳をきているので、竹田出雲の名作歌舞伎「菅原伝授手習鑑」であろうことがわかる。

 芝居では邪悪な時平大臣に時の権力の横暴を暗喩しており、これを描かせた者にも、なにがしか憤慨すべきものがあったにちがいない。錦絵は幕末から日清戦争のころまで、ひろく庶民のこころをとらえてきた。現在のコミックに相当する草双紙は、むかしばなし、歌舞伎のダイジェストなどが多く、明治になっても、言論の自由はいまだ制限され、ひとびとは神話の枠のなかでしかものを考えることができなかった。


 座間の星谷寺本堂にもこんな武者絵、芝居絵がいくつか懸かっている。なんらかの寓意があるのだろうけれど、剥落もおおく、画題まではよくわからない。いずれも里神楽とか村歌舞伎なんかで親しまれていたのだろう。

 それにしても、血の気の多い場面が選ばれていることは一目瞭然。桃太郎侍よろしく、わるいやつをずばり退治してゆく。下にかかげた絵馬(写真7)は、どうやら歌舞伎十八番「景清牢破り」のばめんのようだ。逮捕された景清は賢臣・畠山との約束で、結界のなかにおとなしく座っていた。しかし宝のありかを詰問するため、佞臣・岩永が人質家族に無体な虐待をくわえようとしたから、さあ激怒。牢獄を破壊してひとあばれする。


 景清土牢とつたえる場所が化粧坂のてまえに、ささやかながらいまものこっている。もちろん作り話に仮託した遺跡だから、とくに案内板なんかはない。史実との混同をさけるための配慮なのだろうが、このようなフィクションのうちにも、近代以前のあまたの庶民のおもいが投影されているのだ。

 ぼんぼり祭の提灯にはいまもさまざまな絵がかかれているけれど、まんがのようなものにも、描く人よむ人の思想のようなものがこめられている。平和、自然保護、夢、努力、萌え、終末思想・・・。そんなのをいちいち見ていると時のたつのも忘れてしまう。


No.116
No.118