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もちださんの鎌倉リポート No.133(2015年5月9日)



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図書館


 奈良の図書館は興福寺や奈良町が見渡せるし、旧千代田図書館は牛ヶ淵にはりだしていて水鳥をながめたりできた。鎌倉の図書館にはそんな特色はないけれど、土地の図書館にはそれぞれ郷土資料のコーナーがあって、郷土研究家の自費出版や発掘調査書などをまとめて読めるのがとりえ。中央図書館は裁許橋のてまえを曲がったところにある。

 世間には読書家とか、図書館マニアもおおいらしい。私の場合、ひまつぶしによむだけだから、めずらしい本を買い貯めたり、コピーしておいてあとでよむていど。こやしになるものも多いが、時間は有効につかいたい。用意さえしておけば、かりに大地震がおきても長期入院しても、しばらく退屈はしないはず。


 新刊を勝手に貸し出してしまう、と売れない作家を悩ましているそうだが、すくなくとも私が手にとるのは一般の本屋ですぐにみつかる本ではなく、長年絶版になったような、しらない本ばかりだ。

 コンビニで雑誌を売るようになって、ちいさな本屋はどんどんつぶれてゆく。珍奇な本、といえば以前は西武の地下の「ぽると・ぱろうる」とか、セレクト書店はいくらもあったようだけれど、いまはどうなんだろう。

 若者向けの「遊べる本屋」として話題の、ヴィレッジ‐ヴァンガード。マンハッタンにある「前衛の溜まり場」という有名なジャズ・クラブの名にゆらいするらしい。町田で手広くやっている親戚のそばにあったので、ちょっとのぞいてみた。大部分がおもちゃで、本棚はほんの片端にしかないのだが、いちいちポップがついている。セリーヌの「夜の果てへの旅」オーシュ卿「眼球譚」、森茉莉「私の美の世界」(?)・・・いまの学生もこんなのよむんだ、と興味深かった。


 セリーヌ(1894-1961)は国書刊行会の黒い本でむかしよんだことがある。「リゴドン」とか「なしくずしの死」とか、ながいの。前世紀には図書館でもなかなかみつからない「幻の本」がけっこうあって、黒い本といえば埴谷雄高なんか、絶版のクズ本を格安でうっている、かの有名な高原書店がまだPOPビルにあったころ、見つけたのをおぼえている。きたねえ本ばかりだけれど、同じ本が2000円だったり50円だったりと、とくに学生にとっては値札が雑なのも魅力的。ひところ高値をつけたヤコプセンなんかも、そこで拾ったとおもう。

 鎌倉の古本屋(写真)もちょっとしたセレクトが効いていて、とくに探しているわけでもないのに、よみわすれていた意外な本が、なんとなく手に入る。ギリシャ喜劇とかコーランとか「閑吟集」なんてたぐいは、ここの100円ワゴンで大人買い。おまけもしてくれる。どんなに渋い本でも、内容があればいつかは読むはず(?)だ。人気作家の村上春樹さんはBookOffによくいくんだそうだけれど、いったいプロのひとは、どんなのをよんでいるんだろう。


 明治時代の本などは劣化もすすみ、ばらばらになってしまう危険もある。ただゴミにしてしまうくらいなら、よんでやったほうが本も成仏する。古典文学なんか、学校では無責任に「題名だけ」おしえているけれど、ふつうの本屋にはおいてないし、解説だけよんでも読んだことにはならない。

 「あり・をり・はべり・いまそかり」なんていうのはまちがった英語教育とおなじ轍をふむもので、これを職業として長年やってきたはずの東大名誉教授なんかにも、まちがって訳しているひとは結構いる。正確さを誇張する一流出版社の本にだって誤植はいくらでもある。本なんか読んだって、べつにえらくなるわけじゃない。わたしたち素人が誤解をおそれたり、襟を正して恐縮するひつようなんか、まるでないのだ。ぽつぽつ読んでいれば、そのうちわかるようになるんだから、たぶん。


 世界にはいまだに焚書のくにがある。もともと【焚書坑儒】とは秦の時代、権力にへつらう儒家の者が「寛容」ということばを悪用、法秩序をないがしろにして身内や自民族のみに甘く、雅意にまかせて疎遠なものをしいたげる人治政治の温床となっている・・・そんな法家の主張がもとになっていた。

 わたしたちの記憶を腐食してゆくのは「洗脳」だけでなく、「忘却」というところが大きい。墨でぬられた教科書なんかでも、じっさいはたいしたことなど書かれていなかったのかもしれない。子供のための教科書が戦争をあおった、なんていうのは仮説にしてもばからしいし、消したかったのはその文字ではなかったのかもしれない。べつの真実が、あたかもその本のせいにしてもみ消され、阿諛するものに守られて、なにくわぬ顔をして生き延びてきた。

 古書からまなぶところはおおきい。捨ててしまっていいものなんか、ないと思う。


 かつて鎌倉図書館はいまの御成小学校のところにあり、当初は有料だったという。いまではリサイクル文庫などもあり、廃棄処分の本などがならんでいる。サーヴィスのレベルはごくふつう。コピーのページ数をいちいち申請するのはめんどうだが、とくに高くはない。

 戦時中、鎌倉文士たちが貸し本屋・鎌倉文庫をつくったことはよくしられている(戦後、出版社となり解消)。文士たちはまた、鎌倉カーニバルという祭りにも出演。「ブラタモリ」にもちょこっとでていたけど、いまのビーチ・フェスタや鎌倉まつりの武者行列、ミス鎌倉などの原型のひとつとなった。「カマカマカマカマ、クラ〜、こんなに東京に近いのに、フランスめいた夏の海♪」なんていう、脱力感にみちたテーマ曲もうまれた。


 図書館は「真夏の南極」でもある。気分が悪くなったとき、休憩できるばしょでもある。目を閉じていると頭のわるい司書などが、がみがみいってくる感じの悪い館も、なかにはある。書庫の本をもってくるのが異常におそいくせに、なにもかもパート任せ、はなくそをほじって「図書館便り」なんぞを、したためている。役所しごとに人間性をもとめるのは、ないものねだりというもの。

 希少本は閉架であったりマイクロフィルム、という館もすくなくない。さいきんは無料の電子図書館、デジタル‐ライブラリーも充実してきて、いやらしい司書にたのまずとも、web上で読める古文書などがふえてきた。高価な専門書とちがって注釈はついてないし、草書なども多いから専門知識がないとむずかしいかもしれないが、イライラが嵩じた方なら、専門知識をまなんだほうが早道なのかも。


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