トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第134号 


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もちださんの鎌倉リポート No.134(2015年5月16日)



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銀杏の森・1



ありし日の大銀杏
 「いちょう」の語源は呉音の「鴨足(やーちゃお)」であるらしく、「銀杏」とは種の色をさすという。すくなくとも日本で食用になったのは日宋貿易よりあとのことで、孔子廟のある曲阜では薬膳として大量に調理される。

 果肉には臭気や毒があって手袋がひつよう。胡桃やアーモンドなどと同様、なかの種(核)を煎ってカラを割り、身(仁)をとりだして食用とする。杏仁豆腐の「仁」というのも桃や杏の種の中にある身、いわゆる「天神さん」のことで、これも現地では漢方薬から発展したものという。


 イチョウには雌雄があって受精するなどの原始的な特徴を持つ、世界的には一種一属のなかなかめずらしい植物らしい。謡曲「銀杏の森」では、嫉妬深い旧妻に毒殺されそうになった男を、イチョウの精が化した女が救う。毒井戸の水の金気にふれて、ぎんなんが割れる。「御身しらずや此水は、其色だみて毒みゆる」「扨(さて)又この実はいかにぞや」「毒をしらする宝薬の、銀杏なるをしらざるや」。

 銀は砒素に反応するといわれるが、銀杏にもそんな効能があるのかは知らない。一般には水分の多い木が、寺社を火災から守るとされた。奈良の興福寺の藤の下、三重塔がたつ坂に、一面の果実が敷き詰められていたのをおもいだす。いったい境内にどれだけあるのだろう。



寿福寺
 銀杏の古木は東日本に多く、福沢諭吉の墓がある麻布の善福寺には親鸞がうえたという杖銀杏、身延山には日蓮が植えた御葉付銀杏なんかが名高い。いずれもじっさい鎌倉時代にまでさかのぼるかどうかは、疑問だという。

 禅寺では宋から伝わった、とされる柏槙(ビャクシン)が知られている。中国では柏または檜の字をあてているというが、じつは盆栽などで白骨のような冷えさびた幹をたのしむイブキの木と同じもの。「難破した唐船をたすけてやったら、お礼に船長が種をくれた」「お菓子の作り方をおしえられた」などという伝説は九州ではごくありふれたものだ。蜜柑のように、じっさいには温州ではなく日本の鹿児島あたりが原産と判明したものもある。菓祖・田間守がつたえたとこよの国の仙菓、なんていうのはおよそ深読みにすぎなかった。



禅師丸と王瓜(天花粉をとる)
 蜜柑のもともとの原種は柑子といって、遠江・駿河・相模・因幡の名産として延喜式にもみえている。朝鮮通信使は日本の農家から蜜柑をもらうのを楽しみとしていて、本国に植えても甘くならないことを恨んだ。接木ということを知らなかったのだろう。ちなみに同書にもみえる「甘栗」というのは、いまと同じく、水あめなどをかけて甘くしたもの。

 かつて一世を風靡した自然な甘柿、禅師丸は川崎の王禅寺というところが発祥。鎌倉時代(一説1214)とも、室町時代ともはっきりしないが、寺伝では元弘合戦かなにかで焼けた伽藍を再興しようと等海上人が杣にはいり、偶然見つけたとされる。ただ江戸時代には奈良の御所柿なんかのほうが有名だったようである。

 果肉がちいさく、抜けた渋でやや黒いのと、果皮がひびわれて見た目がわるいためかもう出荷はしていない。味はけしてわるくなく、ほうっておいても育つのでふるい農家の庭先にはたいてい大木になってのこっている。もっとも近世までは盗まれにくく干し柿にもできる渋柿のほうが、流通には適していたようだ。



横浜市北八朔にて
 県内の梨も現在は幸水・豊水などとなっており、川崎の長十郎はすたれ、かつて「ありの実」ともいっていた近世以前の品種はほとんどみられない。棚につくることは「広益国産考」にも図入りでのっていて、江戸時代からおこなわれてきた。ただビャクシンの木が樹病菌を媒介するらしいので、鎌倉あたりでの栽培はむずかしいかもしれない。

 神社で玉楠とよんでいるのはタブノキで、楠のなかまでもアボカドなんかに近いという。幹は船材として、樹皮は染料などにもちいる。鎌倉は寺社が多く、タブノキがある坂ノ下御霊神社あたりでも材木の木遣り歌をつたえている。二階堂、十二所ふきんにも杣(そま)はあったが、おおくは遠隔地から運ばれたものであったろうし、いずれにせよ干割れをふせぐため河口あたりで水に浸し、油分を溶かさなくてはうまく乾燥しなかった。京都では堀川、鎌倉では材木座あたりがその場所だった。



タブノキ
 随筆家・幸田文さん(1904-1990)の「木」によれば、父・露伴に幼いころから木をみることを教わった。文さんは法輪寺再興にかかわるなどした経験から、70すぎて突然木の魅力に取り付かれ、杉やヒノキ、ポプラなんて「木」を、たずねてまわる。名木だけでなく、営林署でしかしらないような森や林を。

 近代生活のなかで草木はしだいに縁どおくなり、本来の用途をわすれられてゆく。人間が植える草木に無意味なものなんかなかった。正岡子規がへちまを愛したのも、その汁が痰の薬になったから、という。宮大工として有名な西岡棟梁によれば風呂はヒノキではなく、槙だとか。伝頼朝像が着ているくろい衣装は「橡(つるばみ)」といってトチやクヌギなどの実でそめたもの。原生林に自然史てきな価値があるとすれば、里山にも文化史的価値があるはずだ。



鎌倉市農協連即売所
 連売や鎌万スーパー、あるいは町の振り売りで売っているような野菜やくだもの、花卉類は多様多彩だけれど、わすれられてゆく植物も、たぶんおなじ数だけあるにちがいない。めずらしさ、みたくれのよさ、高級感。そういう経済観念でしか植物を語らなくなれば、ふるい木々なんて時代遅れのじゃまものでしかないのかもしれない。

 あまったるいだけのリンゴ、へんに皮の堅いトマトやきゅうり、ミックス‐ベジタブルの薬くさいニンジンやグリンピース・・・びんぼう人は安い中国のねぎを食え、そんなことをいう新聞もある。高級鎌倉野菜なんていうけれど、さて伝統的なものがどれだけあるのだろう。


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