トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第140号 


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もちださんの鎌倉リポート No.140(2015年6月10日)



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「古都」について


 ずいぶん昔には、八幡宮の石橋に柵なんかなくて、こんなふうにこどもたちがあそんでいたらしい。だれが撮ったのか、鳩サブレーの缶かなんかに入れっぱなしになった、70年代ころのスナップ写真。極端に色褪せた写真も、パソコンにスキャンすればなんとかまあ、見られるようになる。

 赤ん坊だった私はなにひとつ覚えていない。しかし、トリミングまえの、失敗作のような写真にうつりこんだとおい時の風景には、どこか「懐かしい」ものをかんじる。


 そのころ、コンピューターはまだ穴の開いた紙のテープをはじきだし、エボナイト製黒電話のダイヤルは、ゆびで回した。サザエさんはまだガマ口をいれた買い物かごを提げ、ハンバーガーの自動販売機や、お湯をすててひっくり返す「カップ・ライス」なんていうのが発明された。だが町の記憶なんて、あっというまに忘れ去られてしまう。

 雪の日、実相寺だか西御門来迎寺だったか、まだみすぼらしい建物だったお座敷で、ちっこいお客にお茶をごちそうしてくれた。安養院の本堂にはあがることができたし、英勝寺にはやせた尼さんがいらっしゃった。そんな写真はのこっていない。たぶん写真の撮り方をまちがっていたのだ。



東急世田谷線
 軽井沢の西の、信濃追分というところに以前、立ち腐れの宿場町のようなものがあって、今どうなっているのかといろいろ検索してみると、もうありふれた住宅に建て替わっていた。

 とくべつな文化財指定でもないかぎり、町並みのかもし出す懐かしい風情を保持していくのは困難なのかもしれない。たとえ観光地として賑わったところで、やっぱり記憶とは似ても似つかぬ、土産店とかオシャレなアミューズメント・スポットに建て変わっていたことだろう。じぶんなら町をもっと良くすることができる、遺跡なんか撤去して駐車場をつくれば観光客もふえる、歴史よりもカネ、無関係なチャングムの人形なんかも並べちゃおう。じっさい「鞆の浦を埋めて橋を通そう」、そう算段したひともいた。



未来都市
 京都では以前から、北国のしょうゆをつかった真っ黒いラーメンや関東風の蒸したうなぎがはやっている。閉鎖した文化などそんざいせず、関西弁も日に日にすたれつつある。いろんな人がすむようになって、都市のコミュニティーは流動化してゆくのだ。

 都市化すれば広い道路ができ、複数の巨大ショッピング・センターがうまれ、人々のくらしは格段に便利になる。どこまでも他人と平均化したい現代人の心を、いやしてくれるだろう。保護と開発は氷と熱湯のようなもの。そのままではのめないにせよ、極論でどちらかを否定するようなものではない。ただ便利になっても、それで生活が壊れじしんが町をはなれるようでは、いったいだれのための「町おこし」なのか。「銀河鉄道999」じゃないけれど、新参者ばかりになったマンションの谷間に、だれがすみたいだろうか。



「花笠」
 祇園の後祭りはかつて「花笠」とよばれ、地元向けののんびりしたお祭りだった。さいきん前祭りとおなじように勇壮な「山鉾巡行」を復活しようという動きがひろがっている。たしかにそれが古式かもしれない。しかし観光客でごったがえす風情は、はたしてどんなものだろう。しかも住民自体はへっていて、よそからエキストラまで募集しているのだとか。

 京都の町衆はこのごろ、滋賀などにうつるひとが多い、ときいた。広い庭と自然に囲まれ、のびのびと近代的郊外生活を謳歌できる。西陣のあたりにまだ観光客がこないころ、夜はまっくら、場末の横丁「西陣京極」には関西風のカラフルな長のれんをさげた銭湯とか場末のバー、さびれたパチンコ屋くらいしかなかった。京都南ICちかくの鳥羽離宮跡なんかにいたっては、すでにラブホテルや廃材置き場が散在していた。

 おもむき深い古い町屋は当面、マスコミがよろこぶ「隠れ家フレンチ」「デパ地下絶品スイーツ」のようなものに、活路をみいだしてゆくほかないのかも。しかしそれは、もとの住民にとっての町ではない。



渡良瀬川(当時)
 劇作家の久保田万太郎(1889-1963)は戦後、鎌倉で「いまはむかし」という本を編んだ。樋口一葉の旧家を尋ねた話、震災のときの思い出・・・戦災にくらべたら、もはや痛みですらなくなったとおい記憶のほうが、よほどなつかしかったにちがいない。

 鎌倉の姉妹都市・足利はかの室町将軍家のふるさとだ。永享の乱ゆかりの足利学校や、足利義兼創建の鑁阿寺などが見どころだが、初めてたずねたころには車通りもすくなく、空き家もめだち、駅の裏口も夕方になるとしまってしまう。町外れの浅間(せんげん)山で夕日を眺め、時間をつぶしてたずねてみた寺の縁日の夜店さえ、客足はまばら。

 何年後か、歌手の森高千里さんが写真の橋を歌につくった。いまではカラオケの定番、観光名所としてにぎわい、記念碑もたっているらしい。足利フラワー・パークはみごとな藤のトンネルが呼び物で、観光バスがつらなるという。


 ふるい町屋のつらなりを、かりに小京都というならば、小鎌倉というのは中世の歴史をひめたまま、閑静な郊外の、ありふれた路地やさりげない寺などがかもしだす、ごくふつうの生活感とか、他愛ない幼時の記憶。日々かわってゆく、どこにでもある日常風景・・・そんな、きわめてあいまいな風情をさすのかもしれない。写真にはうつらない、うつっていたとしても、鳩サブレーの缶にしまいこまれた「へたくそなスナップ」でしかないような。

 そんなものに価値はない、といえばたしかにそうだろう。ノスタルジーなんてものは、いったん消えてしまわない限りわからないものだから。


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