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もちださんの鎌倉リポート No.141(2015年6月12日)



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ひもろぎ(神籬)



坂ノ下御霊神社
 「ひもろぎ」は霊の降る場所、おもに目印にたてた榊の意味。とくに野外の祭事において、臨時にもうける祭壇をさし、神籬の字をあてて注連縄でかこった空間を総称する。

 古代にはまだ神殿が定着せず、神々は山や川に遍在していたので、必要な時期に祭りの場(にわ)によびよせ、饗応した。地鎮祭などでの臨時の祭壇はそのなごりで、写真のように様々な紙垂(しで)をかざることもある。

 紙垂のルーツは木綿四手(ゆうしで=楮)や和幣(にぎて・榊につけた布)、削り掛け(錦木・アイヌの「イナウ」のようなかざりもの)などさまざまあって、捧げもの(幣帛・みてぐら)の象徴であったようだ。



鶴見神社(横浜市)
 紙垂をつけた榊の枝を玉串、という。これはひとつづつ神前に奉納するから、依り代というより捧げ物の意味合いがつよい。ぎゃくに神宮大麻の祓い串のように、霊力のやどるものとして神社がわから頒布されるものもある。

○みてぐらは我にはあらず あめにます豊岡姫の神のみてぐら
○みてぐらにならましものを すべ神の御手に採られてなづさはましを
(御神楽歌 「採物」)

 いっぱんの紙垂は半紙を「絲」の字型に折ったもの。幣束(御幣)には祓えの具、という意味合いもあり、坂ノ下の御霊神社では御幣を挿した米を、飴なんかとともに、お祓い具として蒔く(写真下)。



米にさした幣束
 アイヌではご先祖の霊が獲物(肉)になって帰ってくる、という信仰があった。殺さず飼っておいた熊などを祭って食べ、霊を山や海に送り返す。こうした古代からのしきたりが、即物的に言えば保存食や米穀などを蓄える神庫(ほくら)の信仰につながった。

 原始的な流通経済においては、資本・または商品は、あらかじめ神様にささげられたものだっだ。国衙が正倉から稲を貸し付ける出挙というのもおなじいみがあった。神社なんかの福銭で、願いが叶えば二倍にしてかえす、なんていうのがまだのこっていたりする。中世の高利貸も「神社の御供米」とか「寺院の祀堂銭」などという名目で巨利をえていた。

 このカネは貸し手のものではなく、神様からの預かり物。返さなければ神仏に見捨てられて死ぬ。こうして人身売買のような中世の無法なとりたてさえも、モラルのうえからはふしぎではなくなっていった。



上行寺
 「平家物語」に、木曽義仲の精進合子を猫間の中納言がきらう話がみえる。レストランの皿はそうではないが、他人愛用の茶碗や箸を使うのは、なぜかきもちわるい。付喪神の百鬼夜行は過去のはなしのようでいて、現代人にも他人の霊(=ケガレ)がついているのがみえるのだ。

 投資・売買には個人の所有を断ち切ることがひつようで、市がおこなわれるのは「無縁」とか「公界」とよばれる場所、すなわち集落のしがらみをこえた祭祀の地・神仏にささげられたばしょだった。

 市場は神奈備とよばれる、とりわけ目立つ山や、有力な寺社などをランドマークとして栄えた。モノにしみついた穢れは、いったん神様のものとなることで祓われて、晴れて利益を生む「商品」にうまれかわる。奉納、祓え、頒布・・・たんなる迷信ということとは別に、そこには資本経済というべき巨大な文化が懐胎していた。



志一稲荷
 鎌倉で注連縄といえば今泉・白山神社の大注連縄。それはムカデを象ったものだが、龍または大蛇(をろち)というものもおおい(東京・奥沢神社など)。奈良の飛鳥川では雄縄・雌縄といって性器を象ったものをとりつける。民間の注連飾りにはみかんなどを飾ることもある。

 ふるくは紙ではなく木綿四手(写真下)をたらしたが、これは紙や麻布の原料であり布貨(貨幣)であるから、捧げ物、神宝を意味しているのかもしれない。雨や雷をあらわす、との解釈もある。紙垂があたらしければ、流行っている証しであり、それだけ霊力もあらただという謂いなのだろう。



師岡熊野神社(横浜市)
 伊勢神宮は高床倉庫、すなわち巨大な神庫(ほくら)のかたちを有しており、瑞垣、玉垣などの柵が何重にもめぐっている。

 神社建築は仏教の影響で巨大化し、伊勢にも金物や玉かざりがあるし、八幡には金の雨どいなんてのがつけられた。神殿に外殿などをつなげたために、屋根の連結ぶぶんができたからだ。参拝者は通常本殿にはあがらず、回廊から拝んだり舞を奉納したりした。

 関西では広大な神域や拝殿・舞殿などと比較して神殿そのものはちいさなものも多く、大神(おおみわ)神社のように神奈備の山そのものを神殿にみたてたものもある。社殿の後背地にはなお「禁足地」とよぶ森を保存することがあった。仏教による殺生禁断のそれいぜんから、神様のための獲物とか若草などのサンクチュアリが、結界としてのこってきたものと思われる。



箭幹八幡宮(町田市)
 神社の楼門に、二天のかわりに安置されているのが「矢大臣」。大臣とはいうものの、実際には検非違使の下司、看督長をかたどっている。宮中では衛府の督(かみ)や佐が陣の座についたが、衛府では検非違使も兼務しており、デザイン上、その勇猛な手下が抜擢されたというわけらしい。
 
 検非違使は囚人・放免・非人らを管轄し、社寺にやしなわれる神奴、犬神人などと縁がふかかった。刑の執行には「罪・穢れ」をおそれない半神半人的なパーソナリティが欠かせなかったからだ。近世になって、かれらをもっぱら「穢れた者」とみる意味の転倒がおこったのは、神仏の権威の低下と無関係ではない。たしかに庶民信仰はさかんになっていったが、庶民がむやみに神棚を飾るなど、神々への「畏れ」はむしろ、欠落していったかのようにみえる。


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