トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第147号 


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もちださんの鎌倉リポート No.147(2015年7月7日)



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トンネル


 鎌倉にあるトンネルはほぼ近代以降のものだけれど、素掘りのほんの短いものもすくなくない。山を断ち割ってしまう造成に比べ、おのずと自然ものこるわけだ。

 これを玄関や裏門にりようして一般の通行を禁じているものもあったり、旧巨福呂坂隧道などのように、新道ができて不要となり、閉鎖されてしまったものもある。御谷十二坊跡の最奥の個人トンネルはたまに雑誌なんかに紹介されている。なかには切り崩しが検討されているものもあるというが、これも鎌倉にかかせない「風景」のひとつ。



北鎌倉(撤去計画でもめている)
 釈迦堂トンネル(レポ70)にはふるいやぐらもみえ、無粋なシールドもかぶせられていないため、あたかも中世そのままの風情のようにもみえる。ただ、海蝕洞の痕跡のような亀裂もあり、掘削時期や現在のような拡幅・掘り下げがいつおこなわれたのか、記録に乏しい。もともと通行止めとなっているが、さきごろ落石事故もあり、ここを通学していた子供なんかはかなりの遠回りを余儀なくされているのだろう。

 ひみつの山道やいきどまりなど、迷路感があるほうが街歩きとしては面白いけれど、朝はたいへんだろうし、山は人通りがないぶん物騒だ。がけ面にはコンクリートを貼らず、アンカーを打って金属ワイヤーや金網でとめているところもおおいが、これもちょっと見苦しい。外観を変更せずに崩落を防止する、有効な技術はないものだろうか。



海蔵寺
 「国境いの長いトンネルをぬけると雪国だった」。いわゆる桃源郷は、人工的なユートピアをさすというよりは、さとりの世界のようなもので、各人が心の中に見つけてゆくものだ。晴れた日は耕し、雨の日はやすむ。ある人にとっては「井の中の蛙」の井のような、取るに足らないつまらないものなのかもしれないし、酔いどれ仙人のすむ「壷中の天地」のような、あこがれのものなのかもしれない。

 たんなる噂なのかもしれないが、妾を囲った山荘にむかうために掘ったトンネル、なんてものもあり、そのひとにとっては俗界を忘れるために、トンネルをくぐることが一種の儀式のようになっていたのだろう。



扇ガ谷
 神話世界では黄泉津比良坂、加賀の潜戸など、異界のいりぐちはさまざまにえがかれてきた。古墳の玄室もそうした通路をあらわしていて、桃の種が出土することがあるという。イザナギが黄泉下りからの帰りしな、桃の実を投げつけたというのは魔よけのいみがあった。鬼とは亡魂のことだから、桃太郎の桃も、そのヴァリエーション。神仙道では、西王母の長寿の実とされ、卑弥呼の都「邪馬台国」とされる巻向の遺跡からも大量の種が出土した。前方後円墳のあのかたちも、仙人のすむ蓬莱の壷型、という説が有力視されつつある。

 人工のながいトンネルとしては、坑道の記録がある。「朝野群載」第三に収められた対馬貢銀記(大江匡房)では、二三里(約1.5km)ばかりの穴の底を掘り役・運び役・照明係の三人一組でほりすすんだという。国境近くにある対馬では、たびたび「盗みの国」による強殺や拉致・焼き討ちの被害にあった。貢銀採庁がいつごろ廃絶したのか、くわしい記録はない。文化人やユネスコは、殺人鬼や仏像ドロの加害には徹底的にむかんしんなのだ。横井戸の掘り方なんかは、明治いぜんの坑道ににている面がある。


 やぐらを利用した洞門は寿福寺や浄光明寺にある。短いものであればともかく、地下道のような長いものだと当然、明かりがひつようになってくる。片懸けの桟道や東北の雁木のようなものなら横から光がはいってくるが、純粋なトンネルだとそうもいかない。酸欠になるような大きな松明はもちこめなかったのだろう、対馬貢銀記では、「萩を以って地の星となすばかり」暗いものだとしている。エジプトの地下墓の壁画なんかは、いったい何で照らしていたのか不思議。
 
 かわったところでは、座禅窟に明かり取りの窓として彫られたらしい穴もある。写真のものは、小柄なひとがようやく降りることができるていどの階段になっていて、下のやぐらの左壁にぬけている。右壁にもべつの窓が刳ってあり、さながら禅寺の円窓のように庭をのぞむ。

 古代中国のたてものは片側が厚い壁であったため、外部につながる窓のもついみは開放的な日本家屋とは大きくことなっていた。壁のむこうにあこがれる国があるいっぽう、閉鎖国家にあこがれる、奇特なひとびともある。



扇ガ谷
 大仏殿の穴くぐりは、十返舎一九の「膝栗毛」にもでていて、喜多八の腹がつっかえて「酢を飲ませろ」とおおさわぎになるのだが、くぐる、というのは籠りとおなじでいちど胎内にはいり、産道をとおって「生まれ変わる」ことをいみした。京都の安井金毘羅宮、というところには縁切りのためのくぐり穴がある。

 アマテラスはウズメの神楽にみとれているところを手力男命にひっぱりだされ、岩戸には太玉命によって注連縄がはられた。戸を隠したところが信州「戸隠」なのだという。日蝕のようなものを想定する説もあるが、古代人の象徴世界はもっと広範囲に及んでいた。太陽は日々再生するから、岩戸は夜をあらわすのかもしれない。また、太陽のちからのおとろえる冬や、天候不順で凶作の年、あるいはひとびとの眠り、病いなども、象徴する。とうぜん、墓穴のイメージもあるだろう。

 宮中では「鎮魂祭」なんてまつりがあって、宇気槽(うけふね)というお棺のようなものを鉾で突いて皇霊のたましいを揺り起こす儀式があり、これがウズメの神楽のなごりといわれている。



岡本
 土方とか黒鍬というのは、かつて差別用語とされていた。ふるくは自然をうごかし、土を犯すことは禁忌とされた。だから「作庭記」にも自然の岩の天地を返しては不吉としているし、銀閣寺や竜安寺の庭なども、山水河原者とよぶ特殊部落民が起用されたことが、記録や石の刻銘にのこっている。

 神仏の禁忌をおそれない「非人」という身分については、おそれ敬うニュアンスもあったのだが、近世には「貧人」という文字があてられ、賎民視がすすんだ。青の洞門の説話がしられるように、民衆が自らの手で掘り進めることも、開明的なひとびとのあいだでは、ひろがりつつあった。村の有力者や篤志家が資金を拠出し、庶民もまたボランティアとして鍬を執った。神仏の力にすがる特殊能力者の役割は、おわっていったのだ。


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