トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第152号 


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もちださんの鎌倉リポート No.152(2015年8月7日)



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水路



上郷水管橋(海老名市)
 夏になると恋しくなるのが水。鎌倉で水道といえば、ほぼ県西部の水道水からの「もらい水」。水は山間の清流からひいたほうが味はいいわけで、江戸では井の頭池などから水道をひいて共同井戸にながしたり、高級料亭ではわざわざ多摩川まで汲みにいったほど。

 いちじ東京の荒川水系では水道水がまずく、熱帯魚の水槽の苔を掃除したときのようなにおいがした。そこでペットボトル水などが普及したのだが、さいきんはだいぶ改善したという。東京でも他県の下水がまじらない多摩川水系ではまずい、という話を聞かない。田舎の子はよく水道水を飲むらしいが、上京したての学生なんかにきいても「とくにかわんない」という。



横浜・大豆戸(まめど)町
 神戸の水は「六甲」だから、外国船にも評判だった。そこで横浜でも山梨の清流・道志川(旧相模国)からひくことになった。「はまっ子どうし」、なんてペット入りの水が売っているけれど、事情を知っている地元の人はばからしくて、買わない。

 【写真1】は相模川をわたる水道橋。これは長い水道道路をへて材木座の「水道路」につながるもので、トラス構造がうつくしいが、通行はできない。むかしの水道は等高線に沿って敷かれたようで、江戸の水道橋はいまも東京ドーム界隈に地名として残っている。横浜の水道橋は、ズーラシアの裏なんかで谷戸を跨ぐすがたをいまもみられる。家庭用の配管が完備されるいぜんは、写真のような取水栓(イギリス製1887)を共同井戸代わりに利用していたようだ。



有鹿神社本宮
 農業用水としては、大阪の狭山池(現存)や依網池などのダム池が古墳時代から築かれた。尾張には国守・大江匡衡がつくった大江用水(11C)なんていうのもあるが、なかなか統治がむずかしい土地柄だったらしく、「赤染衛門集」などによれば農民のボイコットがおきたりもした。

 海老名市にある有鹿神社本宮は鳩川下流にある下宮で、参道まえにはかつて海老名氏館、その西側は永享の乱で鎌倉公方足利持氏が本陣を置いた「海老名道場」こと宝樹寺があったとされる。水引き祭りをおこなう上流の奥宮付近(相模原市磯部)からは古墳時代からの祭祀遺物がでている。その地は縄文の勝坂遺跡のいちぶでもあった。ちかくには広大な相模川がながれているが、中世まではほとんど制御できなかった。並行する鳩川はどぶ川程度の細流で、農業用水にはそのていどの川でなくては利用できなかったようだ。


 古代の難波京では大和川や淀川のつけかえ、江戸では古利根川や古荒川のつけかえなどが行われた。ただ中世武士の経済力では、大規模な運河施設や築堤、取水堰などはもちろん、じゅうぶんな用排水路すら用意できなかった。海老名耕地にしても、律令制の国府が一時おかれたともいわれるように、すでに古代より条理阡陌が敷かれていた。

 相模川の氾濫原はいまでこそ農業専用地になっているが、かつては農業にすら向かなかったものとおもわれる。おもな集落や工業団地はいまだ高台にあり、川沿いにはせいぜい名物大凧上げの公園や、スポーツ‐グラウンドがあるにすぎない。さいきん「ヤングなでしこ」の人気美少女選手がこのへんのチームにはいって一部昇格をめざしているのが、このところ唯一の話題。

 良質な水田には水の管理がかかせない。湧き水・沢水でうるおせる谷戸田は比較的開発が容易だとしても、その面積はかぎられていた。



水門(寺家ふるさと村)
 和歌には「山田の下樋」なんかが詠まれているが、せいぜい木製の樋をとおるほどの水量だった。おおきな用水路には水害をふせぐための水門や、「淀の川瀬の水車 誰を待つやらくるくると」などと歌われた揚水機などがひつようとなった。

 鎌倉時代に開拓された鳥山郷にあたる鶴見川周辺は、近年まで水害が多発した。戦前までのひどい蛇行はあらためられ、護岸整備されたあとも、大雨のあとはやはり「舟がでる」といわれたほどだった。新横浜の国際競技場(日産スタジアム)のサブ‐グラウンドは現在なお堤にかこまれ、深刻な増水時には水没させる指定遊水区域になっている。祈雨止雨をいのる絵馬なんかをみても、雨乞いの黒馬より晴天を祈る白馬を描いたものがおおいようだ(レポ117)。



杉本寺
 鎌倉には古来からの上水はなかった。滑川などのほかに、谷戸の沢水や滲み水を排水する扇川とか二階堂川などの溝川が多い。地下水位は高いが汚水もまじりやすく、井戸水は溜まり水のためうまくはないらしい。

 鎌倉の水道は、横須賀軍港の発展ときりはなせない。大正時代、水利の拡充のため、中津川の宮ヶ瀬渓谷付近から水を引き、相模川をわたって鎌倉・逗子を通過、逸見にいたった(水道みち)。その後、相模川下流(寒川)などから取水した水をポンプでくみあげる給水方式もはじまり、ひろく民間に供されるようになる。鎌倉には佐助配水池(大谷戸の奥)をはじめ、長谷(大仏トンネル上)、山ノ内などの高台にいくつかの貯水池がもうけられ、自然流下によって水圧をあんていさせた。
 



大原野(京都)
 さて、この毒々しい、やばい色の水は、京都西山の正法寺というところで、むかしみた光景。石灰かなんかで消毒していたらしく、取水口からは案の定、米のとぎ汁みたいなのが、ちょろちょろ。いまでは検索してもこんな画像はないから、一時的なものだったのだろうが、したの田圃はだいじょうぶだったのだろうか。

 大町のどぶ川には、蛍をまもるため、洗車などの汚水をながさないよう、注意書きがある。水はいろんな生命とのつながりがある。こういう地味な取り組みも、案外たいせつなことだと思う。


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