トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第156号 


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もちださんの鎌倉リポート No.156(2015年8月24日)



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あかり・1


 2011年3月の東日本大震災では、県内でも数日にわたって広範囲に計画停電が実施された。べつに送電網におおきな損傷があった、というわけでもないが、都内などに優先的に電力を供給するため、比較的影響のすくない郊外住宅地域などが対象となったようだ。

 「流されたランドセル」「とどかなかった一通の手紙」「海をみつめるわんこ」。・・・マスコミは不要不急の人情コラム記事に没頭し、何日たっても必要な情報をながさない。バツイチのいとこが捨てた結婚記念の、50年分の目盛りがついたどでかいメモリアル‐キャンドルをぶつ切りにして、キッチン‐ボウルにたてたものが役に立った。



片瀬
 「われひとり鎌倉山を越え行けば 星月夜こそうれしかりけれ」。なるほど昔は、月よりあかるいものはなかった。覚園寺の地蔵盆では無数のろうそくがたてられるけれど、地面まではっきり照らすわけではない。あしもとはフワフワと、おちつかない。薬師堂の柱に手をついてみると、焔のかたちをした焦げ痕がくぼんでいる。土間にしみこんだ蝋のうえで、ころげたまま燃えているろうそくもあった。

 そのむかし、天変地異は「天の諭し」、とかんがえられた。地震雲なんていうのが、いまもいわれているらしいが、たしかなことはわからない。一年と一日前に大イチョウがしぜんに倒れた。こういう不気味な色の雲なんかも、海岸ではけっこう頻繁にかんさつされる。

 東北のとある小学校では、山に逃げず川にむかって大きな被害を出した。だが、山道は日ごとに封鎖され、フェンスもバリケードも頑丈なものになってゆく。サザンも津波をうたっているのに・・・。


 数百年にいちどの金環食は、ざんねんながら曇ってしまったけれど、雲間からちょっとだけみえた。たまたまもらった市販の「日食めがね」では真っ暗だったため、スキー用とレイバンを二重重ねにして、デジカメにかざしたのがこれ。金環食だと、ほとんど暗くはならないから気づかずあきらめた人もおおいのかも。

 古代の日蝕でも、多くは計算上の産物でじっさいに欠けてみえることはめったになかった。なかには丑の刻から寅の刻にかけて(午前3時ころ)起こる、というので二日ぶん廃朝(物忌み)すべきだ、という記録がある(「三代実録」)。こういう、みえるはずのない真夜中の日蝕を「夜蝕」といった。

 杞のくにのひとは、天が堕ちてくることを憂えた。鎌倉幕府の滅亡前には火の雨が降り、防空壕として掘られたのが「やぐら」だという伝説もあった。


 観光地・鎌倉の夜ははやい。ときどき夜まつりもあるけれど、冬でもなければあんまり星もみえないし、ことし話題になった、初夏の浜辺の夜光虫なんかもごくまれ。みたものに長寿をもたらすという南極老人星(りゅうこつ座αカノープス)は二月ころの八時過ぎに、水平線上にみえるかみえないか。

 小町通りもお土産屋なんかははやくに閉まって、シャッターがちになった路地の暗がりから「キャラウェイ」のカレーのスパイスばかりがただよっている。首都圏からの日帰り客がおおいのはもちろんだけれど、駅前に素泊まりのホテルなんかもあるから、たべもの屋は比較的おそくまでひらいているようだ。


 江ノ電の駅にいろどりをそえるのがLED。クリスマスになると、藤沢駅前では盛大にイルミネーションをおこなうけれど、こうした小さな駅では梁や柱に麦電球を遠慮がちにまきつけた程度で、節度ある「わびさび」をうしなわない。鎌倉高校の駅は墓地のなかにあって、電車のフロント‐ガラスにうつる江ノ島の夕凪を、暮れるまでながめていられる。

 LEDは光源がちいさく、写真ではかなり暗くうつってしまう。感度を上げると細部がつぶれて、きれいじゃない。じょうずな人はフィルターなんかで光の拡散を演出するんだろうけれど、しろうとには無理。

 地震のころの懐中電灯はまだ青白いものが多く、停電でこりて値段の張る最新型に買い換えたひともおおかったろう。まだまだLEDには、改良の余地がありそうだ。


 むかしの白熱球は、おまつりのテントなんかに、まだいくらかみかけることがある。世の中には電柱マニアとか、碍子マニアなんてのもいるくらいだから、きっと好きな人もいるはず。

 だいぶまえのことだが、日経で昭和初期の「すずらん灯(街灯)」をさがし求める人のはなしをよんだことがある。そのうちむかしの地下道にあったような、ピン、ツー・・・と鳴りながら点滅する切れかけの蛍光灯に「萌える」ひともでてくるにちがいない。むらさき色の点灯管とかにも、こだわってみたり。こうした古い「明かり」も、博物館のアセチレンランプなどと同様、やがては消えてゆくのだ。「なつかしさ」をおぼえるひとの数とともに。


 こどものころ、大文字の送り火を見に、京都の円山公園からやまをあがった。いま、青蓮院大日堂がたっている将軍塚。勝手に塚にのぼって見物して、おこられたりして、さて祭りもおわり、ドライブウェイをあるいて下ると、見物客はみんな山科がわの知らないわき道に消えてしまい、とうとうひとりになった。

 むかしの人はきっと、月をしるべにあるいたのだろう。阿弥陀ヶ峰の上に皓々と照る月をながめながら、そのむこうにあるはずの、街の方角をおもった。「われひとり・・・」の歌で思い出すのは、そのときのこと。鎌倉アルプスなんかも、日没後はかなり怖いおもいをする。


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