トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第158号 


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もちださんの鎌倉リポート No.158(2015年9月3日)



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 北鎌倉の駅は円覚寺の寺域内につくられ、白鷺池より内側になっている。そのぶん拡張はむずかしく、昭和初期の臨時駅だったおもかげがうかがえる。

 横須賀線は軍港をむすぶ国策ろせんでもあったため、はやくに複線化がおこなわれた。新興路線とくらべてレトロ感がのこるのはこのためだ。再開発のため、北鎌ふきんを地下化する構想もあるというが、あまり余計なことはしないがいい。


 鎌倉駅は明治22年の開業1889。このあたりは本覚寺におおきなお墓のある関さんという方の土地だったという。江ノ電の駅は戦後に移転したもので、かつては裏駅にはなく、小町駅といって若宮大路に出た路面軌道にあった。

 江ノ電が横須賀線をくぐるにあたって駅は盛り土され、下馬ふきんは盛り土を崩してガードになる。下馬付近まであった段葛はそれいぜんに切り崩されていた。駅(platform)の北端は小町踏切、南端は丸七商店街の裏の石垣の上あたり。駅前交番裏の盛り土の坂は、貨物搬出用のなごりなのかもしれない。

 外部の地下通路にはちょっとした展示ケースがあり、たまに出土品がならんでいる。「市民の絵」なんてばあいは、ハズレ。でもまあ、けして気取らず上手からず、嫌味のない、普通っぽいところがほほえましい。


 大仏飴の加藤売店は駅開業時から営業している、という最古参の売店。構内にはほかに、サンドウヰッチ弁当でしられる大船軒の出店なんかもある。日本のサンドウィッチは、これをきっかけに普及したのだとか。人気の鯵の押し寿司を、作家のIが加藤売店に差し入れしたなんてエピソードも。

 むかしの湘南電車のカラーリングは、いまは藤沢駅のキオスクにのこっているけれど、見るたびになんかポン‐ジュースのラベルを思い出す。昔の列車は窓をあけることができ、夏の風にあたりながら【冷凍みかん】かなんかをたべたりした。業者の長年のノウハウにより、氷の被膜でみずみずしさを保っているので、ただの冷凍とは、一味ちがう。駅弁の振り売りも、新幹線の食堂車も、いろんなものが「いまはむかし」になってしまった。


 二代目駅舎1916は、改札から中央コンコースへゆるやかに下り、そこから島ホームへのぼる現在のプランの原型をつくった。ガードへむかって土盛りされたぶん、ホームの位置がすこし上がったためなのだろう。ただ、当初の通路は原宿駅1924みたいにせまかったし、裏駅に保存されている旧時計台も、震災後につけられた、とされる。

 旧駅舎時代の記憶は、あまりにおぼろげだ。旧待合所のあたりにマックがあったんじゃなかったっけ。「ディスカバー‐ジャパン」とか「一枚のキップから」なんていっていたころは、若者が路傍で手作りマップや、アジサイなんかをあしらった細工物をうってたりした。石原裕次郎さんの「狂った果実」1956という映画にむかしの駅がでてくるらしいけれど、これはちょっと古すぎ。



長谷駅
 江ノ電には、トロリー式路面電車時代に最大40もの「駅」があったという。旧市内では用地買収に苦労し、大仏の後ろをとおそうとか、いろんな試案があったらしい。昔の停留所をられつすれば、開業いらいの駅は意外とすくない。

小町(鎌倉駅前)−蔵屋敷−大町−琵琶小路(新設)−学校裏−和田塚(新設)−原の台−海岸通(現・由比ヶ浜)−由比ヶ浜−長谷−権五郎神社前−極楽寺−砂子坂−稲村ヶ崎−音無橋−姥ヶ谷−追揚−行合−田辺(現・七里ヶ浜)−峰の原−七里ヶ浜(現在は信号所)−矢沢−日坂(現・鎌倉高校前)−袂ヶ浦−腰越(のち小動)−満福寺下・・・以下、略。

 蔵屋敷は市役所前(諏訪東)から横須賀線ガードをくぐったあたりの旧地名。戦後この駅前に闇市がたったというのだが、どのへんだろう。 


 いつもみている吊り革とか、早朝の誰もいないモノレール駅とか、なにげないもののほうが、案外きおくに残るものだ。ありきたりのベスト‐ショットのような風景はかえって、他人がとった絵葉書やカレンダー写真のうつくしさにまぎれてしまう。

 デジカメは何百枚もとれるが、むかしの24枚撮りのフィルムでは、どうしても撮り残してしまう記憶がある。それがカルピスのシールとか、由実かおるのホーロー看板かなんかだったらまだ、マニアの手元にのこっているかもしれない。私たちの記憶は、もっとずっと淡いもの、ほとんど消え去ってしまったものに、つながっていた。


 江ノ電の駅がふんだんに木をつかうのは、塩害をさけるためだといっている。それはレトロ感を保つ上での口実だとしても、フラットな木のベンチはきもちがいい。歩きつかれたときなどは、つい長居してしまう。日坂というのは、踏み切りの撮影スポットになっている、あの坂をいうのだろうか。

 ここは田舎駅同様、出入り自由なので、ほんとうはいけないんだろうけど、お墓のほうへ出たり裏の踏み切りのほうへ出たりして、人混みをやりすごす。朝なんかは学生が走ってゆくすがたも目にする。私のかつての通学路といえば、どこも再開発で変わってしまい、駅はもちろんのこと、なにもなかった川辺の道も、もはや真新しい再開発ビルの谷間なのだ。


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