トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第159号 


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もちださんの鎌倉リポート No.159(2015年9月9日)



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 いまどき珍しい巨大な幟には「座間神社」と書いてある。かつては遠くからもみえたのだろう。かつては宮中の祭り・節会のさいに「標(へう)の山」と称するかざり幡をあげた。古くは神木をかざりたて、のちには竿に飾り鉾を使用したので、山鉾の原型にもなった。節句のこいのぼりも、この変形。八幡の幡というのも、このことだろう。

 社頭からみる参道は、丹沢のひときわ高い峰の方向をさしている。いわゆる神奈備というやつ。祭りは市日をいみしていたので、これを目標として太古からひとびとがあつまった。物資はいったん神様のものとなることで、ひとの呪縛をはなれ、気持ちよく交換できるようになる。いわばこれが駅の原型。

 いまでは都市化でどこも、幟どころか山の姿さえ、みえづらくなっている。そういえばアドバルーンとか、広告付き飛行船なんていうのも、近年めっきりお目にかかれなくなった。



奥は鐘楼
 座間という語感はききなれないが、いっぱんには古文書にみえる「夷参・伊参(いさま)」に由来し、これは「山河のハザマ」からきたとされる。だが大阪でザマさん、といえば座摩(いかすり)神社のことだ。さかのぼって宮中の神祇官にも座摩の神があり、これは「居処知(いかしり)」つまり住居の神で、古代の造成地の守り神「生国足国の神(生玉さん)」などとともにまつられた由緒深い神の名だった。

 座摩大神は生井・福井・綱長井・阿須波・波比岐神の五柱の屋敷神からなる。座間市上宿の座間神社は現在、日本武尊をまつるが、ほんらいの「居処知」の神が忘れられてしまった可能性もある。もとは飯綱権現(現在は摂社)を名乗った時期もあり、修験での不動信仰が神仏分離でヤマトタケルに変化する例もすくなくないらしい。


 星の谷観音には佐々木信綱の鐘がある(レポ79)。相模川の河岸段丘は当麻無量光寺あたりから勝坂遺跡、座間神社、星谷寺をへて海老名につづくが、神社うらには米軍座間キャンプがよこたわる。立ち入り禁止の広い軍用地には発火物の危険をさけるためや、不慣れな米兵がむやみに外へ繰り出さないようにする「ゲットー」の意味合いもある。

 基地周辺の者が危険にひんしていても、自分の信念はけして曲げないほど反米政治がさかんな沖縄とは違い、県内ではひかくてき平穏をたもっている。そもそもこの国に基地をもたらしたのは、近隣国に恋着し、反米戦争を煽り立ててきた者なのだ。かれらは、政府自民党に反対すれば日中韓がひとつになり、アメリカを退治して全世界に恒久平和をもたらしてくれると、いまも信じている。「すくなくとも五月までに」米軍を追い出す、などと聖戦を布告した骨がらみのばかもいた。


 湧き水が豊富な地でもあるが、段丘と相模川の間の低地には、鳩川という細流が排水の役割をはたしている。中世武士のいた地域にはたいてい、鎌倉でいう滑川クラスの流れがある。今でこそ流量をコントロールできるが、相模川に取水口のある農業用水の水位は鳩川よりもだいぶ高く、水量も多い。川よりの地には「新戸」なんて地名もあり、かつては広大な氾濫原だった。

 相模川対岸の依知地区は段丘上の微高地であるため、座架依橋は田圃のなかを長いアプローチをとってのぼっている。この橋も当初は渡し舟にたよっていて、小規模なうちは架けてもすぐに流されてしまった。いったん下流が開発されてしまうと、ダムによる水量管理が不可避となる。橋の欄干にはかつての渡し船のほか、名物・大凧揚げのレリーフがある。川面をわたる風は、たしかにつよい。



相模線
 鳩川は海老名市にはいり、天井川になろうというところで相模川へ落ちている。その合流地点ちかくにあるのが有鹿神社本宮。もともと上流の有鹿谷に奥宮があり古代祭祀遺跡でもしられるが、下流へとすすんだ開拓のある時点で、水源よりは排水のほうが重視されていったのではないだろうか。

 中流域の鈴鹿神社(座間下宿)の伝承では、有鹿の神は悪者(宝を盗む大蛇)あつかいされており、これはおそらく、湧水の豊富なこの地域で、鳩川の水の女神も恩恵よりは害悪、かえって田を損ずる水害の象徴のようにおもわれたことを意味している。鳩川もこのあたりでは町外れまで湾曲し、新田宿というあたらしい集落ができている。水害ののち、人工的に曲げられた、のかもしれない。



座間上宿(相武台下)
 「続日本紀」などの古文書にでてくる夷参駅、というのは古代の役所・駅屋(うまや)のことで、運輸や通信、軍事などを管掌した、いわば本格的な道の駅である。奈良時代、武蔵国は東山道に属し、新田(上野)足利(下野)を経由していた。いっぽう、古東海道は夷参駅から鎌倉へくだり走水から上総につうじた。これとはべつに、夷参駅からたった四駅、武蔵国経由で下総につうずるバイパス(伝路)ができた。そこで武蔵国を正式に東海道に属したらどうか・・・そんな記事がある。

 古代のターミナル・夷参駅がどんなだったか。想像するのはむずかしい。「鈴が音の駅馬(はゆま)駅屋の 堤み井の水を給へな 妹が直手よ(*駅鈴を鳴らして通り過ぎる早馬のように喉がかわいているから、せめて水くらいのませてください。君の手で、じかに)」。万葉にみえる恋の歌は、せっぱつまったあつかましい要求を早馬にたとえていてほほえましい。



海老名市(旧246と水道路)
 夷参駅から武蔵方面にむかう道には店屋駅(町田)・小高駅などがあった、とされるがその痕跡はあきらかでなく、現在の246(矢倉沢往還・大山街道)よりはだいぶ北方に推定されるにすぎない。相模国府についても、現東海道がとおる平塚(大住)国府や246ぞいの海老名(高座)国府などを点々としたようで、いまだはっきりしない。中世の道の前提となる律令時代の幹線道路についても、わからないことばかりなのだ。

 高座郡、といえば高座豚。鎌倉ハムのルーツとなった地域。昔ながらの富岡商会が有名だが、名ばかり受け継いだ大手メーカーからも出しているし、鎌倉の名をすてて地元豚にこだわるメーカーもある。


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