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もちださんの鎌倉リポート No.16(2008年1月1日)



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喫茶養生記



寿福寺本堂は正月の初詣に開放されていて、もと八幡宮にあった仁王門の仁王などがみられる。
 栄西(私)むかし在唐のとき、天台山より明州(寧波)に至る、ときは六月十日なり。天きわめて熱くして人みな気絶す。ときに店主(宿のあるじ)、丁子一升に水一升半ばかりを久しく二合ばかりに煎じ、栄西に与えてこれを服さしむ。「法師、遠く路をわたり来たれり、汗多く流る。恐るらくは病をおこすか。よってこれを服さしむるなり」と。そののち、身涼しく清潔、心地いよいよ快し。(原文は漢文)

 有名な『喫茶養生記』は、茶を中心に桑粥、高良薑(はじかみ)、香煎湯などの効能をのべたものである。ほとんどが漢方や仏典の医書などから引用したもので、栄西の実体験を書いたところは少ない。上は香料諸島原産の丁子(クローブ)の香煎であるが、なんだか虫歯の薬のような味がしそうである。現地では沈香、麝香を配合することもあったというから、なんとも中国式だ。

 茶は嗜好品であるとともに薬膳でもあった。唐代には「茶経」が編まれ、お茶は日本でも清和天皇のころまでは飲まれていた(我朝日本曾嗜愛矣)。勅撰集「経国集」827には当時の製法をうたった詩や、嵯峨上皇が空海と久しぶりに会い、茶で語りあったことがみえる。

 香茶、酌み罷(や)み、日、云(ここ)に暮る。(「経国集」より)

 その後、唐の混乱もあり茶種の輸入が途絶えたのかもしれない。栄西のころには、茶は病を招き、高良薑は熱をおこす、という中傷すらあったと記す。


ふだんは参道と墓地を見て帰る人、源氏山にむかう人がほとんどだ。



駅から見た石切山。そのむこうが旧境内。現在いっぱんの登山口はないが、大正時代にはこの山頂に茶店などがあった。
 高良薑は高良州というところに産するショウガ(はじかみ)か漢方人参のたぐいを煎じたものらしいがよくわからない。各種ある漢方人参(ウコギ科)は時代劇のイメージで無法に高いとか難病に効くとか思い込んでいる人もおおい。でも、現在人参の配合されたもっとも有名なくすりといえば「虫さされのキンカン」。現代医療ではあまりつかわれず、健康茶や養命酒、ユンケルのたぐいに箔をつけるものにすぎないから、むしろ中国人ががぶ飲みしていた嗜好品に先祖返りしつつあるようだ。

 健康ドリンクとしては、古来日本では「お屠蘇」がしられていた。これも薬好きの中国人が思いついたもので、実際に現代でも薬効があるとされる真面目な生薬ばかりでできているから、常習的にのんでもいいものか疑問がある。正月にだけ飲むのは、日本の宮中儀礼だった正月の「御薬」が民間に広まったからである。平安前期、慈覚大師円仁がたずねたころの唐の皇帝は、方術士が奨める不老不死の薬「五毒」をのみつづけたため、ついに昇天してしまった(円仁『入唐求法巡礼行記』)。

 香料をふくむ漢方薬は、どの土地でも育つというものではない。迷信も多く、先進医学だなどと安易な評価を下す学者もいるが、漢方にはいまだ解明されていない部分のほうが多いという。日本では「大同類聚方」百巻(808)、丹波康頼「医心方」三十巻(984)など中国系の本草が盛んに行なわれ、永暦四年1080には医学後進国であった高麗の役所から、王妃のため医師の派遣が懇願されたほどだった。南方系の薬種は日本を経由してもたらされることも多く、明治になって砂糖をもらった朝鮮人がはらぐすりとして珍蔵したなどの笑い話もある。

 高麗茶碗というのは、現地では宴会用の食器の小鉢だったものを16世紀後半、日本の茶人がおもしろがって転用したにすぎない。気候や風土の問題もあったものか、茶はまったく朝鮮には伝わらず、広まることもなかったのである。


茶の実。



画きやぐら。実朝の墓といわれる。壁面に分厚い漆喰の痕跡がのこるが、言い伝えにあるような「極彩色の唐草模様」はもう存在しない。
 栄西が訪れたころの宋では「茶を貴くすること眼の如くなる」さまだった。唐のころは釜煎りで塩味などを加えていたというが、進んだ焙煎の方法が開発され、だいぶ保存が利くようになったらしい。ただ、朝一番に摘んだあとすぐに蒸し紙の上で焙ると記し、日本の抹茶のように臼で挽くことはみえないので、栄西が学んだのはほとんど煎茶(緑茶)に近いものだったようだ。現在中国で主流のジャスミン茶、ウーロン茶系統の紅茶類は「すぐに」焙煎せず、茶葉ほんらいの酵素でしばらく熟成させ、明人が直接つたえたことで知られる嬉野茶のように、釜煎りしている。

 栄西の理論では心臓は五蔵の主、これが弱れば病になり、栄養不足となる。「心の蔵」は苦味を好む臓であるが、和食には苦味がないため、「茶を喫するは、是れ妙術なり」という。「もし人、心神快からざれば時に必ず茶を喫し、心の臓を調え万病を除き愈(癒)すべし」。なんだかわからないが、そういうことらしい。

 飲水病は冷気から起こる、脚気は夜の飲みすぎ食べすぎから起こる。だから黒豆の入った桑粥を食べるように、と栄西は説く。ニラ、ニンニク、ネギのたぐいも良くないという。現代では飲水は糖尿病、脚気はビタミン不足ということなので、宋直伝の療法のほとんどは理屈の上でははずれている。もっとも、茶の効用じたいは、現代医学でも周知のことだろう。この書は1214年、実朝(23)にも献上された。寿福寺伝本がもっとも古く、やがて版木に彫られてひろまり、「群書類従」にもはいっている。

 抹茶処といえば現在、報国寺や仏日庵などが有名。建長寺の風入れにもついてくる。喫煙養生記をとなえて叱られてばかりいるわたくしどもにとっても、茶はかかせない飲み物だ。京都などでは、抹茶コーナーを利用すれば舞妓を手軽に見られるというおたのしみもあるが、これにはもう、飽きてしまった。やっぱり、静かに飲むのがいい。


洞門の裏側にもやぐら群がある。近世、洞穴は修行にも使われていたという。


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