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もちださんの鎌倉リポート No.162(2015年9月17日)



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柿生の柿・1


 柿生の柿を見に行った。禅師丸は等海上人というものが、新田義貞の兵火をうけた王禅寺(川崎市麻生区)を勅命によって再興ちゅう、1370年に寺領の山中で偶然発見したともいい、昨年800年祭をおこなったように、1214年発見説もある。等海は称名寺延命院の僧だというから、鎌倉初期の建保2年では矛盾がある。称名寺はまだ存在していないからだ。

 甘柿のルーツとしては、奈良の御所柿というものもあり、「和漢三才図会」「広益国産考」などにはこちらが載っていて禅師丸の記述はない。禅師丸の普及は江戸中期以降、そのピークは戦前で、鉄道網が充実、東京という一大消費地をひかえ、大量の実がつき安価、ということから神話化した蓋然性もある。


 東急あざみ野駅(横浜市青葉区)からあるく。かつての田園風景はブルドーザーで敷き均され、美しが丘という「プチ高級」な、小じゃれた住宅街になった。なんとかアベニューとか、オープン‐テラスのカフェとかが、ちらほらしている感じ。歩くのは村上龍さんの家をさがしにいったこどものころ以来。

 荏子田の公園の斜面に、奈良時代の家型横穴が保存されている。横穴墓は相武の台地のへりにおびただしく存在した。むかしの方言では「かんかん穴」「かんかな」などといって、なかから五輪塔が出てくることもあった。鎌倉にもある一種の転用やぐらなのだが、戦国時代には戦乱をさけて家財をかくしたり、人が隠れたという伝えもある。

 尾根向こうにはまだわずかに農村時代の畑が残り、未開発の谷戸なんかもある(元石川町残存部分)。薩摩藩へ屋敷勤めをした村娘が維新の際、もらってきたという巨大な石灯篭のところへ出ると、またありふれた開発地。


 早淵川の上流は、旧・元石川町改め「美しが丘西」という新興造成地になっている。保木薬師堂は一区画、村の鎮守十社宮や田舎消防団の鉄塔、自治会館などとともに、廃村の忘れ形見のようにのこされている。土地を売ってにわかに気が大きくなった年寄りに、若い新住民が協力的であるはずもなく、ひとをよせつけない微妙な雰囲気がただようのは、典型的な田舎の新開地によくあること。

 古材を活かして移転・新築された薬師堂は絵馬も割れているし、大量の蝉の抜け殻がたかったままになっているが、じじいばかりではどうするわけにもいかない。【よそもの】が【無償】で手伝う【筋合い】もない。ふるい店なんかは乾物屋ひとつないような感じで、ちょっと気の毒な気もする。


 たまたまここの仏像が承久三年1221作であることがわかり、博物館に寄託したものが9月12日に一晩だけ里帰りする。搬入する11時ころ、県立博物館員らによる説明会がひらかれる。長老達が堂でたべる昼飯の支度をまっているため、見学の機会は30分ていど。

 銘文によると仏師は「僧尊栄」。この仏像じたい、さほど特色のあるすぐれた作でもなく、足の裏なんかはレリーフだし、玉眼・螺髪などの欠損もあるが、眼の孔から胎内銘が判明してからは、鎌倉彫刻の標識作としての価値があるのだという。県立博物館はメトロポリタンや東京国立博物館などとはちがい、所蔵品にはレプリカでもなんでも一律に肖像権を主張、かなり高額な掲載料を申し受けるが、いまのところここではまだ、そういうはなしはないようだ。お布施の受付のようなものすらなく、失礼ながらここはじいさまたちの無言のご厚意、とうけとるべきなのだろう。


 村の講中の集会堂に古仏がのこる例は、鎌倉でも辻の薬師堂がしられており、この界隈にはすくなくない。荏田・真福寺観音堂の秘仏千手観音(平安)や同釈迦堂伝来の清涼寺式釈迦(鎌倉)、恩田・薬師堂の本尊(平安)など。いずれも近在の廃寺からひっぱってきたり、地域本山からあまったものを与えられたりしたらしく、詳しい伝来はわからない。賽銭箱の紋所からすると、王禅寺とおなじ新義真言宗。ちなみに截金をほどこした四天王像残欠1670、仏像を容れる宮殿厨子1732の存在などから、江戸中期までにはここに移っていたらしい。

 早淵川の源流は新興住宅街のなかにきえ、村界の地蔵をこえるとすぐに王禅寺の鬼門の鎮守がある。いまでこそ市界だがともに都筑郡で、一方が小机領石川郷、向こうが小山田庄麻生郷になって分かれたらしい。かつて日立研究所のあった坂の上り口(バス停「王禅寺東三丁目(新名称)」)で左折、すぐ右にはいったところが星宿山王禅寺の裏門。ここからだとメインの石段や仁王門より上にでる。麻生郷が北条氏領となって多くの寺領を得た鎌倉時代には、七堂伽藍をはじめ無数の子院を備えたという。


 仁王門の延長にあるのが旧本堂の観音堂エリア、さいごの石段のうえにも石のちっちゃい仁王が建っている。こちらがいくぶん寂れたかんじなのは、別に大日如来をまつる大きな新本堂が出来たからで、そちらには柿生の柿の原木や池、文学碑などがならぶ小奇麗なエリア。庫裏前には禅師丸をイメージした藪内佐斗司さん(せんと君作者)のオリジナル彫刻まである。

 禅師丸の原木は樹齢450年の祖木のひこばえが育ったものとしている。九月にしては、もう実が色づきはじめている。見るだけなら色のうつろいが感じられる早い時期がいい。季節になれば多少は近在の八百屋にも出回るみたいだし、さいきんは村おこしのお菓子にもなっているらしい。小粒だし、さすがに箱入りの西条柿など高級なものとはくらべられないが、平凡な富有柿なんかよりは甘い。熟柿のじきは来月以降。


 参道下には王禅寺ふるさと公園などもあり、全体的に森閑としたふんいき。ただよくよく考えると、旧日立研究所に実験・教習用原子炉が置かれていた時代があり、あたりが開発をまぬかれてきたのにはたぶん、そんな理由もあった。これは国産ゼロ号炉といわれ、がんの放射線治療の研究など、いろんな功績をあげたらしい。現在は廃炉となり解体部材の搬出がすすむ段階だという。

 マスコミは解決不可能な問題で無責任に不安をあおり、民衆の無知につけこんで救世主をなのる、へんてこな人物をもちあげて政権につけようとする。科学のもたらす恩恵だけは享受し、処分場とか保管施設なんかはたらいまわし。太鼓を叩けばいつかだれかがひきとってくれる、太鼓さえ、叩けば。・・・そんなものはけして「解決策」などではないのに。


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