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もちださんの鎌倉リポート No.168(2015年10月21日)



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石のひみつ・4


 六地蔵の左後ろにたつ芭蕉の古碑はなんかごちゃごちゃ書いてあるが「芭蕉翁 夏草や つはものどもの 夢の跡」というのはなんとなく読める。江戸中期1786、天明の飢饉のただなかに雪ノ下の俳句好き・松尾さんが建てたもので、江ノ島の稚児が淵前にあるのとともに、古いものらしい。

 芭蕉がじっさいに鎌倉を詠んだ句は「鎌倉は活きて出でけん初鰹」だけ。しかし天明六年には、このへんも「夏草」という感じだったのだろう。「・・・汽車通じ、旅館増し、全く俗地と成り了んぬ。八幡宮より、極楽の切通しまで家つづきとなるに及びては、芭蕉の「夏草や」の石碑も、今は、物笑ひの種となりぬ。」(大町桂月「鎌倉大仏論」より抜粋)



三保杉山神社(横浜市緑区)
まねかずも人くる花の盛りかな
旹(*ときに) 明治十丑年三月
千早ふる神の辺に桜うゑて花み吉野の山となしけむ

 扇谷上杉の榎下城のちかくの神社のかたすみに、ちいさな祠と、こんな碑があった。ほかの面には、祭神である菅公の詩や仁徳天皇の歌などがきざまれており、この摂社が神社整理令いぜんに天神山砦にあったころ、桜なんかを植えて村人達でにぎわっていたことが知れた。ところが砦があったあたりは、造成で大幅に地形も変わり、「天神前公園」とか「天神の杜公園」など、いくつかの場所に「天神」の名が点在しているだけ。

 てきとうに見当をつけて丘をあがった地点からは、ランドマーク‐タワーをはじめ横浜や町田市成瀬などの花火大会がよくみえた。砦をつくるにも烽火をあげるにも、とうぜん見通しのいい場所が選ばれたはず。二、三十年前までは、ちかくに半鐘をつるした火の見やぐらがたっていたという。



橘樹神社(川崎市高津区子母口)
 このビーグル犬のような狛犬は、何を象ったのだろう。神社によっては神使(つかわしめ)の狐をたてるし、天神の黄牛、めずらしいところでは春日の鹿や愛宕の猪なんかもたてる。犬といえば秩父・三峰神社の山犬信仰(大口真神)が有名。同社はこの犬がある橘樹神社の祭神、ヤマトタケルがひらいたことになっている。そのさいタケルの道案内をしたのが、白い山犬だったという。

 そうだとすればこれは狼かなんかの失敗作、ということになるが、ただ「素朴な神話」で終らないのが中世、という時代。県内には八菅神社など、タケルにかかわる修験の神社がすくなくなかった。神仏分離以前は、修験の道者が神社経営にもふかくかかわっていたのだ。密教修験では狐もしくは狼の頭蓋をまつる呪術もあり、敵を噛み殺し肝を食らう、といった、残虐かつ酸鼻なはたらきが期待されていた。肉食獣はまず、内臓を好むのだそうだ。



王禅寺
 石の仁王も、県内にいくつかみられる。軽い木材であれば弾力もあり、カサカサになって折れるまで数百年も原型をたもっていられる。石材のばあい仁王特有の天衣とか、細かいパーツは表現しづらく、自重によって、すこしの振動でも割れてしまいがち。けっきょく田舎成金の床の間にあるケヤキの布袋とかタヌキの置物、あるいは招き猫のような、ずんぐりしたものになってしまう。

 仁王はもともと、ギリシャ神話のヘラクレスが習合した可能性があるという。ギリシャといえば大理石彫刻。そういうものが伝わらなかったのは、素材および環境のちがいが障壁になったのだろう。バーミヤンや中国の大仏は、すでに石胎塑像といって表面は粘土か漆喰でつくってある。拙劣な仏像は韓国や中国にもおおいが、日本ではむしろ愛らしい、ヘタウマ路線の美しさとして肯定的に評価する傾向がある。たとえば岡本太郎さんのいう、「なんだこれは」ふうの作品だ。


 京都の三条橋ちかくにはゆうめいな「土下座像」があるけれど、こちらは正真正銘の土下座像。東急こどものくに線ののりかえ駅、長津田の某寺にある亡者像だ。

 ここを建てたのは旗本の岡野氏で、中先代の子孫をとなえ、後北条氏、秀吉、徳川につかえた。八百屋お七の一件にかかわったとかで、寺には代々、火災などさまざまな災難がかさなったともいわれる。ここには奇術師・引田天功(先代)のお墓もあり、「プリンセス」のほうもこのへんの家の出身らしく、親戚が法事なんかでときどき見かけるとか。雨の日も雪の日も膝詰めで閻魔にしかられているのは、檀家と悶着をおこした先住の和尚だともいうが、さだかではない。



極楽寺(横浜市緑区)
 石仏は仏師ではなく、ほとんど石大工がきざんだものなので、手馴れた形式的なもののほか、かなり自由に、もしくは雑に作られたものがおおい。なかにはこんな、当時の少年少女を生き写しにしたような、へんにリアリティのある石仏もまじっている。

 この女神はなにものなんだろう。宝珠と欠けた錫杖のようなものをもっているが、なにより首をかしげた村娘のような顔立ちが独特。眠たげな目やアヒル口はかなりおさない印象だ。彫刻であるだけに、浮世絵などとはちょっと違った印象をあたえる。現在のまんがでも、目がでかすぎたり髪が緑だったりしているが、極端な理想化、というよりはデフォルメというべきで、人間らしい顔立ちをあらわすものは珍しい。



東京国立博物館にて
 このブサ顔のうきぼりは、唐末のものという。日本の「随身絵巻」とか天子公卿の肖像なんかにも、やはりこういう、どうにもならない人相が多い。けっきょくこれは大陸ではやった表現様式であるらしい。

 こういう人相も、ある時代におけるはやりの意匠なのであって、過去には「苦みばしった良い男」「ニヒル」などといった、好意的な解釈でみていた時代があったのだ。中世には「ふわふわ」した、油断した顔つきはばかとみなされた由、吾妻鏡にもみえる。「にやける」というのは男色を売る、というのがほんらいの意味らしい。したがって、頼朝とか藤原定家とかいった肖像にみる中世のひとびとの顔つきもまた、現代の感覚では推し量れない記号化が、きっとあるにちがいない。


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