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もちださんの鎌倉リポート No.174(2015年11月13日)



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江ノ島童子・2


 建長寺の僧・自休と、雪ノ下相承院の稚児・白菊との悲話は、稚児が淵のゆらいとなっている。「女子ばかりが世の中の、妹背の仲ぢやありやしよまい・・・」

 歌舞伎では相思相愛、心中を図ったことになっているけれど、「鎌倉物語」1659では白菊は師匠の僧正の寵愛を裏切れず、ひと目あうこともないままに、ひとり自殺したことになっている。辞世の歌に自休への思いをほのめかせてあったことから、感激した自休もまた、その淵へ身を踊らせた。いまは、弁天丸とかいう渡し舟が、島入り口の橋のたもとまで一直線にかよっている。かつては石塔がたっていたという。


 中世の寺院における同性愛がどのようなものか、知る由もない。醍醐寺には「稚児草子」(1321年写)という春本のような絵巻物がつたわるが、なにもポルノ漫画だけが現実ではないのであって、自休白菊のような仄かな恋もあったことだろう。ここでは、むくむくとしたマシュマロ風の稚児が好まれたらしいことを、記すにとどめておきたい。

 稚児の本業は師匠のおせわであり、たとえば食事も残り物をいただいたから、「あのジジイ、ぜんぶ食いやがった」「ウチのは食い方が汚くて、吐き気がする」なんて愚痴も、説話集に散見される。

 牛童のように、成年にたっしても髪をゆわない者を大童といっていた。人気漫画にでてくるバンコランなんかも、いわば童髪だったのだ。朝鮮では花郎という男娼がいたが、ロン毛すなわち元服できない半人前は、男とみなされなかった。紀行作家のイザベラ‐バードが「コリアとその隣人たち」に書いているが、近代のチョンマゲ廃止令を「日本の陰謀」と勘違いした朝鮮人が暴動をおこし、王もロシア公使館に走って宣戦を布告、自国滅亡の遠因をつくったりもした。迷信深い土人にとっては、大切な男根を切られるように思いこんでしまったのかもしれない。


 近世の小説や演劇では、時代の制約から過去のさまざまな伝説や史実を綯いまぜにする傾向がある。脚本を四代目鶴屋南北らが執筆した「桜姫東文章」1817では、自休は生き残って清玄という新清水(鎌倉長谷寺)の僧となり、白菊はうまれかわって桜姫という薄幸の姫君となる。

 初期浄瑠璃「一心二河白道」などの先行作品で清玄はすでに、愛欲に狂ったストーカー僧であり、南北の芝居ではさほどの悪はないものの、濡れ衣をうけて寺を追われ、別の悪人にまんまと毒殺される非業の運命をたどる。山東京伝「曙草紙」1805では桜姫もまた、実母の悪業の報いを受け、さまざまな不幸のはてに悶絶して息絶える。南北はさらにすすめて、父の仇ともしらず賤しい盗賊に操をささげ、いまわの清玄をはねつけて遊女にまで転落するあわれな女にまでしてしまった。

 爛熟した江戸文芸はひたすら扇情的に、グロテスクなまでに「悪徳の栄え」「美徳の不幸」をうたいはじめていた。そして因果の糸にからめとられ、ふたりはけして、むすばれない。辞世の和歌に感激して死んだ、あの幸福な自休はもう、この世の人ではなかった。


 江ノ島には十余の岩屋があるが、江戸期まで名前の残っていたものは数穴しかない。かつては行場のみならず、人工の庵室や仏堂を構え、宿坊にもつかわれていたことが、鎌倉時代の日記「とはずがたり」からうかがえる。おそらく「投入れ堂」のようなものがたっていたのだろう。

○ これは千手の岩屋といふとて、・・・霧の籬、竹の編戸おろそかなる物から、・・・山伏経営して、処につけたる貝つもの(*食膳)など取り出でたる。・・・夢むすぶ程もまどろまれず、・・・岩屋のあらはに立ち出でてみれば、雲の浪・煙の波も見えわかず、・・・月も行く方なきにや空澄みのぼりて、まことに二千里の外まで尋ね来にけりと覚ゆるに、後ろの山にや猿の声のきこゆる。・・・

 明治30年、江見水蔭という冒険小説家が龍池窟なるものを探検し、のちに「海龍窟」という書籍にまとめている。ほぼ海水にみたされていたが、内部には大蛇をほった石もおかれ、「承久巳年、北条四郎時・・・」の銘があったという。むろんこんな銘文はでたらめだが、ある時期までは道がかよい、修行の場になっていたかもしれない。


 岩屋は奥行き数十メートルていどだが、明治以前は這いつくばってすすむぶぶんもあったという(平野栄「鎌倉紀行」1876)。奥はかねてから格子がはまっていて、ほんとうの先はわからない。岩屋には胎蔵洞、金剛洞のよびなもあり、文字通り胎内とかんがえられていた。べつの小洞には女性器のかたちの岩から泉がながれ、室町期の写経石とみられる大量の玉石もみつかったという。

 すなわち修験のひとびとは「生まれ変わる」ために女神の子宮にこもっていた。生れる苦しみを再体験するなんらかの苦行のすえに、ようやく地上にでた。十月十日はむりにしても、文覚は三七日の断食をしたという。島のくびれ、「山二つ」という場所に碑のたつ「木食上人」はだれのことか不明だが、その「修行窟」というのが崖下にのこっているらしい。

 そのほか龍池のある白龍窟、滝のある飛泉窟、十二の窟などの名が、近世の地誌にわずかにつたわる。現在は遊歩道がふたつの岩屋にかようばかりで、そこも市が管理し、江島神社関連の礼拝施設はかたづけられてしまった。多少の石仏はのこっているが、子供じみた自然体験アトラクションみたいなものになっている。


 磯のこまかな地名については、つり具屋なんかで地図をくばっているようだ。ただ、磯遊びできるほどの場所はかぎられ、ところどころで断絶もしていて、一周はできない。ライフ‐ジャケットなどの装備がなければ危険なところも多く、落石もあってむやみに岸壁にはちかづかないほうがいい。ハーバーから時計回りに、

鵜島 釜の口 水道口 長磯(写真1) 蛇巻岩 泉ヶ崎(岩屋下) 中磯 魚板岩 大平 燈籠下(稚児ヶ淵) 大黒の鼻 船着場 割磯 井ヶ崎 不動ヶ崎 松ヶ崎 大しんだる 墓場下 小浜(岩本楼裏)・・・行き方などの詳細は釣りサイトへ。

 右は「山二つ」にたつ36体もの猿を刻んだ庚申塔。烏帽子をかぶり扇をもって、唐人曲芸なんかを披露している。むかしもこんな猿軍団のような、大掛かりな猿舞わしがあったのだろうか。


 江ノ島は猫の島でもある。午前中には、愛想のない猫たちがなぜか観光客にすりよってきて、足元にすわる。脳天をくりくりやっても逃げない。それでいて目をあわせようともしない。毎日えさをくれるお店のひとにしつけられ、いやいや接客しているといったふう。ねこさん、5番テーブル。は・・・あああい。

 猫は狩猟動物のため、獲物に感づかれないよう、そっと忍び足であるき、たえずじぶんの匂いを消すくせがある。ほんらい人間にさわられるのはあまり好きではないのだ。


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