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もちださんの鎌倉リポート No.176(2015年11月21日)



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キッチュ探訪・1



横浜市・金蔵寺にて
 キッチュkitsch(独)とは下手物(ゲテモノ)、時代遅れ、俗悪、などといったいみ。昭和初期、ブルーノ‐タウトが日光東照宮のけばけばしさをこう評して、日本でも注目されるようになった。

 田舎の引き出物につかわれた、極彩色のカマボコだとか、鯛のかたちの砂糖。もっといえば世界一グロテスクと評されたタイガーバーム‐ガーデンの人形群、毒々しいカクテル光線が乱舞する、おかまバーのような中国の観光寺院、・・・もっとも日本の仏教美術なんかも、もともと相当はでな彩色におおわれていて、こんにちの錆び色は時代が作ったものでしかないのだ。


 もっとも、明治に来日したピエール‐ロティは、東照宮を絶賛している。その時期にはいまよりずっと荒廃していて、あちこち緑の苔に埋もれ、あやしげな巫女なんかも棲みついていたという。そのころは明らかに美しく、神秘的に自然と融合していたのだろう。

 シュール‐レアリズムとかポップ‐アートなど、キッチュを積極的、肯定的に評価する思潮もある。ウォーホルはキャンベル‐スープの缶を、なんども描いた。美しさ、なんてものは本で教わるよりも自分で見つけるほうが、ずっとおもしろい。否定的な偏見をいだきつづけるだけでは、なにも見ないのとおなじ。「なんか面白いかも」といった、素直な感想までも、見失ってしまう。忙しい時、ささくれだっているときに花なんか見ても、なんとも思わない、それとおなじだ。


 桜のかくれた名所、日吉本町というところにある、金蔵寺。文化財としては徳川初期の浅草誓願寺の鐘が移されていることで知られる。が、そんなものはどうでもいい。昼間の観光地やビルの谷間にあったらちっとも美しいとは思わないこんな彫刻や壁画なんかも、夕暮れ、ひそかな場所にあるとふしぎにおもしろい。へんな夢の続きでも、みているかのよう。

 これは本堂ひだりがわにある地蔵堂や弁天堂付近。弁天堂は斜面につくられ、張り出した基壇が埋門のようになっていて、階段のわきに仏画がえがかれる。レリーフは欄間彫刻なのか鏝絵なのか、みさかいもなくあちこちにすえられている。鏝絵(こてえ)とは漆喰やコンクリートを盛り上げて作る塑形技法。東照宮にも多い。


 水舎にも、奥の巌窟にも、この手のレリーフ。種明かしをすれば、もともと寺小屋から進化した幼稚園を併設していたので、ちっちゃい子にもわかりやすく、というより怖がらせないよう、ちょっとばかりかわいらしく、作っただけなのかもしれない。それがかえって、いい塩梅に異化効果をかもし出している。

 お寺は宗教施設だから、花見だけすればいいというものではない。せいぜい仏教童話の絵解きぐらい、そなえているほうがむしろ普通なのかも。新興宗教の教会ですら、エデンの園だのノアの船だのと、極彩色のパンフレットをくばっている。まあ褒められたものではないにしても、だ。

 折りしも境内の桜は満開。だが彫刻群は、季節の風情なんていうものとは無関係なまでに、くどい。アニリン染料で毒々しく染め上げた、明治の絵草紙かなんかのよう。



横浜市・大林寺
 この獅子と象の貫頭彫刻は寺にも神社にもみられるもので、象にまで肉球があるのがおもしろい。じつはこれは象ではなくて、夢を食べる幻獣としての獏なのだ。諸外国にもメトープ(飾り板Métopes)とかフリーズ(Frieze帯状部)といった欄間風の装飾があり、キマイラ(Chimère)とかガーゴイル(雨落口Gargoyles)という奇獣彫刻をもつものがある。
 
 横浜青木橋のうえにたつ本覚寺はアメリカの仮領事館になったさい、白ペンキを塗りたくった「日本ペンキ発祥の地」のひとつとされているが、古い山門やこの手の彫刻のどこにも、それらしい痕跡はなかった。専門家のおおくも、その史実性については首をひねっている。 

 多くのお寺では、さすがに極彩色は派手だとおもうのか、欄間彫刻なども素木のままのもが多く、色付きはまれ。それでも鶴岡八幡宮とか、以前紹介した大町の上行寺には七福神やら「左甚五郎の龍」なんかもあるので、いろいろ探してみていただきたい。


 これは円覚寺舎利殿の門にある欄間彫刻の例。だいぶ風化してかすれているけれど、たぶん西王母と琴の名人・玉巵なんかを刻んだもの。なんだか乗り物の龍に襲われている様にみえるのは、ご愛嬌。

 桃山時代、豊臣秀吉らが金に飽かしてつくったデコ盛りの宮殿建築を、諸方の寺社にわけあたえた。そんなのがきっかけで、近世建築には装飾過多の「美」を競うようになったのかもしれない。こうした彫刻も、禅の真髄とか神仙自在の境地などといった宗教的意味よりはむしろ、施主の富を誇示する要素が大きかったのではないかと推測される。

 そういえば、真葛焼など江戸・明治の輸出陶器にも、装飾過多のものがすくなくない。あんがいこれは、鎖国時代に空想された、外国人の好みをあらわしているのかも。


 いっぱんに欄間彫刻には東方朔(写真)など、道教的世界観にもとづく吉祥図が選ばれることが多い。八仙人とか七賢人とかいうのは、日本人にはあまりなじみがなく、「ひょうたんから駒」という故事成語はしっていても、張果老なんていう仙人の名なんかよほど調べてみなければでてこない。こんなのはデザインの粉本(見本帳)が代々欄間師らのもとに蓄積されてきたのだとおもわれる。

 いわゆる道教は個別の宗教として、まとまって渡来したわけではない。中国大陸でも、儒教や仏教、神仙道、あるいはラマ教・マニ教・景教・回教といったあらゆる宗派から、土地の神・伝説・文学・俗信・迷信にいたるまで、すべての思潮が分かちがたく混交していたため、いろんなものにくっついて、つたわってきたのだろう。浮世絵では、師宣がえがいた「異形仙人尽くし」という絵本などがしられる。


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