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もちださんの鎌倉リポート No.180(2015年12月9日)



No.179
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一言芳談抄


 鎌倉末期の編纂か、という「一言芳談抄」は中世屈指の奇書のひとつ。遁世者の指針となる浄土僧たちの名言集、初心者むけの平易な仮名法語の一種だが、内容はかなり過激。

○明遍僧都云、穢土の事はいづくも心にかなふ道理あるべからず。
○明禅法印云、居所の心にかなはぬはよき事なり。心にかなひたらんには、われらがごとくの不覚人は一定執着しつとおぼえ候なり。・・・或人、時料断絶のよしをききて入興の色ある事、意(おもうに)云、世をのがるるありさまは煙たえてかすかなるこそ本意にてあれ云々。



甲神社石塔(応永廿一/十月日)
 穢土とは現世。時(斎・とき)とは食事のこと。食費がまったくなくなって、むしろ喜びの色をあらわす、世捨てびとたち。死んだ者のようにいきる、ということは一遍など他の浄土僧ばかりでなく、禅の六祖・慧能も、聖フランチェスコもいっており、フランチェスコはうまいものにあうと灰をふりかけてたべた。

○法然上人、ある人にをしへて云、人の命はうまき物を大口にくひて、むせて死ぬる事もあるなり。しかれば南無阿弥陀仏と噛みて南無阿弥陀仏とて、ぐと呑み入るべし。
○敬仏房云、今生は一夜のやどり夢幻の世、とてもかくてもありなんと真実に思ふべきなり。後世をおもふ故実には生涯をかろくし、いきてあらんこと今日ばかりただいまばかり、と真実に思ふべき也。
○解脱上人云、一年三百六十日・・・日夜十二時はしかしながら終焉のきざみと思ふべし。(以上、巻一)



延命線香(円応寺)
○敬仏房或時被仰云、年来死ををそれざる理をこのみ習ひつる力にて、此所労もすこしよき様になれば死なでやあらんずらんと、肝の潰るる也。
○顕性房云、我は遁世の始よりしてとく死ばやと云事を習しなり。とく死たければすこしも延べたる様なれば胸が潰れてわびしき也。・・・敬仙房云、一生はただ生を厭へ。・・・顕性房云、死をいそぐ心ばへは後世の第一のたすけにてあるなり。(巻二)

 病気(所労)がすこしでも治ったら、死ねないのではないかと落胆する。念仏聖の心には、もはや往生しかない。念仏のススメ、というよりはあの世への憧れ、あやうい臨終願望(「死に欲」)、というべきなのかもしれない。じっさい浄土をめざして舟を出し、西へ西へと漕ぎ出していった狂信的な僧の話は、宇治拾遺物語などに、いくらもみえる。

 こういう境地にはいった者を【後世者】、といった。もちろん該書にひく高僧たちが自殺した形跡はない。そこは他力、つまり阿弥陀さんのおぼしめしで、みずからどうすべきものでもなかった。ただ無心に念仏をとなえる瞬間に神仏にちかづき、不二一体になったと感じた。そのさきには生も死もなく、なにも望むものはなかったのかもしれない。


○賀古の教信は、西には垣もせず極楽と中をあけあはせて本尊をも安ぜず、聖教をも持せず。僧にもあらず俗にもあらぬ形にてつねに西にむかひて念仏して、其余は忘たるがごとし。

 教信は平安前期、貞観ころに没した伝説のひと。妻帯もし、日雇い労働なんかもしながら三十年あまりにわたって念仏を続け、里人からはアミダ丸、とからかわれた。

 ここで思い出すのは、上行寺東遺跡の無常堂の跡(レポ61)。本尊として岩盤に彫った密印阿弥陀像にむかってたてものが張り出し、そのむこうが透けていて、そのまま西日を拝むつくり。阿弥陀仏のむこうは崖となってきりおとされている。「上行寺東遺跡を考える会冊子」というのに見取り図がでていた。入り日を拝むのは「日相観」といって、浄土教ではふるくからおこなわれていた。



地蔵堂道(扇谷)
○聖光上人学問を不受して云、日来(ひごろ)学し玉へる人々だにも捨ててこそ念仏をば申されけれ。さばかり惜しきいとまに念仏をば申さずして学問をする事、無益也。顕性房云、むかしは後世をおもふものは上臈は下臈になり、智者は愚者になり、徳人は貧人になり、能あるものは無能にこそ成。(巻三。本文は鈴鹿文庫所蔵版本に拠った)

 ただもう馬鹿になり、乞食のごときになりはててでも、無心に往生のみを信じるべきだという。浄土宗には「妙好人」という概念があり、市井に生きる職人さんとか、当時としてはなんの教育も持ち合わせていない俗世の者が、なんのはからいもなく信心ひとつで一途に念仏にうちこむすがたを理想像とした。

 近代においても、仏教学者・鈴木大拙が戦中の著書「日本的霊性」で大絶賛していたり、柳宗悦が美の極致としてこの妙好人を理想にあげた。小賢しい知識人なんぞに「飲ませる茶はねえ」とまでいっている。



杉本寺
 中世において、南都北嶺が念仏をおそれたのも、まさしくその点にあった。【無知】のもとでは古代から積み上げてきた中央集権的身分秩序もたちどころに解体、自由気ままな個人主義にみちを開く。道理も通じず世間の恥も神仏の祟りもおそれず、年貢も借銭も払わないまま、氏寺なんか平気ですてて改宗してしまう。

 新仏教をうみだした中世は一面で、惨憺たる乱世と欲望むきだしの市場経済をもたらしたけれども、それはそれ。生きるための悪に拘泥するひつようはなく、倫理の解体はむしろ人間性の解放だとして、歴史家たちからたかく再評価されてきたゆえんだ。廃仏とか神社整理で土地建物をカネに換えたり、戦後は「法隆寺など焼いてしまえ」ととなえた一部文化人と、一脈つうじるところもあった。

 既存の秩序をぶっこわす、わたしたちはとことん馬鹿になるべきだというのが、戦前戦後のあいことばになってきた。馬鹿になりきらなければ、戦争も革命もできやしない。軍部やスターリンはたしかに間違っていたかもしれないが、騙された民衆の、正義を信じる純真一途なその真心は、いちども間違っていない。間違いがあるとすればそれはすべて、他人のせい。だまされた善意の第三者に、罪はないと主張する。だから、間違いつづけてきたことすらも、気づかない。



顔なし地蔵(大町)
 家康に仕えた鈴木正三(1579-1655)は「飛び込み念仏」などといって、武士が相手にきりこむときの無心の境地にたとえる。「ナイーヴ」というのは英語ではむしろ幼稚とか未開、という否定的ニュアンスをもつが、日本語では繊細とか何とかいう肯定的な意味に理解されてきた。

 まいどマスコミは「自分以外は悪者」だとさけんで、思考をとめてしまう。文化大革命1966-1976も、ピカソが絵にまで描いて断罪した朝鮮の虐殺1950も、なんだかわからないままに、「日本軍がやった」。そして「この国が滅びるところを見たい」だなどと、なんの迷いもなく、うたっている(7.22朝刊)。こうして日本人は、いっさいの知性にかかわることなく、なんの責任も、なんの矛盾も、なんの恥も感じずに、つぎのキャンペーンへと身をゆだねてきた。

 手術後、腹膜炎で死にかけて、夜中に目を開けると氷がいっぱい挟んであって、かわいらしいナースがずっとてをにぎっている。TVドラマでみたようなこんな死にざま、いったいなんていうんだろう、と不思議に可笑しかった。思い通りに死ねるかはだれにもわからないのだし、意識がうすれると、もうなんの理屈も執着もなく、ただ無防備に眠いだけ。・・・魂の救済とは、いったいなんなんだろうか。


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