トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第181号 


▲もちださんトップへ戻る

もちださんの鎌倉リポート No.181(2015年12月13日)



No.180
No.182



退治物語



雪ノ下教会にて
 ある種の宗教家は相手の落ち度だけをあげつらい、傷ついた自分、自分の正義だけを強調しようとする。それは「フレーム・アップ」とよばれるありふれた雄弁術に過ぎないが、他者にたいする独善は厭世家たちのいわれのない万能感となり、恐怖政治の毒牙はやがて異端審問として、身内にまでおよんでゆく。

 近世の啓蒙学者ディドロは、宗教を「人間が自分等の命よりも大事にするやうなえたいの知れぬ存在物」とよんだ(「ダランベールの夢」杉捷夫訳)。

 ヨハネ‐パウロ2世はこの反省に立ち、かつての教会のあやまちを明快に謝罪した。「カトリック教会は、諸宗教の中に見出される真実で尊いものを、一切排斥しない」。最近の法王の回勅でも、信者は「将来の信仰者」(異教徒)を尊重し、つねに模範となるよう求めている。


 ふるくはキリスト教会も原理主義のとりことなっていた。明国に布教したマテオ‐リッチのような偉人でさえ、「土民の信仰にあまりに融和的」だとして長い間、かたよった評価をうけた。マテオを派遣したヴァリニャーノらイエズス会の重鎮は、すでに日本に布教した実績があった。では「より布教が難しい」とされた明国と比較して、当時の日本人はより従順だったのだろうか。

 最後の鎖国令がだされたその年に出版された仮名草子「吉利支丹退治物語」1639は、こうつたえる。「談義を七段に作りて、諸人に教化す。彼が言ひ分を聞くに、何の臆意もなくまず神道内典(仏教)を言い立てて、五段までは散々に謗り言ひ破りて、のこる六段七段は、己が法門と聞ゆ」。

 まず日本の宗教文化の一方的な否定に、布教の約七割をさいたという。当時の日本では、比叡山の焼き討ちに象徴されるように、すでに既存の僧侶に対する反感がひろがっていた。「退治物語」も、たしかに日本仏教界の腐敗については、外国人に一理も二理もあるようなかきぶりだ。


○貧人乞食どもを集めて、いぐち(*欠唇)、癩病、ようちやう(*瘍腫)、痘瘡、腫物等、掲焉(*たちまち)に療治してわが門徒に引き入れ、息災なる乞丐人の、宗体にならむといふ者に一飯を施し、中へんの世に過ぎわびたる者には外教(*新知識)を授けて渡世を心安くして、その報恩に己が宗体に引き入れ、若き者、かぶき者、生知恵、小才覚さうなる者どもには、伊達道具にてたぶらかし、大名とおぼしきには、ゐんすの数珠、遠眼鏡、コンタツ(*メダイユ)それぞれに挨拶して、因みを深うして宗体にだみ入る。・・・そのうへ牛馬豚鶏以下の肉食、朝夕に食らいて、畜生の行儀を羨みて、大方は食らい物を味わへて宗体になる者ども多し、と聞き伝へし。

 伴天連たちは、さまざまな方法で門徒をふやした。「南蛮国は四十二ヶ国五百五十余郡の大国なれ共、貧苦難病、又は乞食盗人の類ひ一向なし。去るに依つて欲なく、欲なければ罪業なし(「吉利支丹伝来記」)」。人はただ施しをうけるだけでは満足しない。与えられた債務感にみあうだけの、みずからの名誉・自尊心も要求する。自分だけが真実を知っていて、他の日本人はばか。特別な自分、選ばれし自分。そう思い込むようになってゆく。

 やがてこれは「日本を従へ」「国を取らんとの謀ごと」とする疑念がひろがった。後世の思想家にも「日本三分一もなびきなば・・・帰伏する者案内者とし(「切死丹濫觴実記」)」「かの国より我国をうばはん為(三浦梅園「五月雨抄」)」などと断言しているものが多い。反日もエスカレートすれば、鷹揚な知識人も疑念をいだくようになる。


 この物語では在野の学者伯翁居士と、当時有名な修道士・ハビアンとの討論がえがかれる。このひとは日本人初の高度なキリシタン書「妙貞問答」などを今につたえる、不干ハビアン(Fabian1565-1621)その人にちがいない。だが不干斎は、やがて問い詰められてことばにつまり、とうとう下品で攻撃的な罵詈雑言の応酬におちいってしまう。

○ヰルマン(*修道士)しばし口を閉ぢてゐたりけるが、ややありて申すやう、「デウスこの世界大主の手柄には、天照大神、春日、八幡の宝殿へ上がりて糞小便をしたりとも、罰の当るまじきをもつて、根本の仏と知るべし」。伯翁聞きて、憎ゐやつめが高言かな。さらば容赦もなく面の皮をめがんと思ひ膝を直し、「ハビアンよく聞け、・・・人だましのデウス、てて無し子を産みたるサンタマルヤ出だし候らへ。頭より脛まではこ(*大便)をひりかけて足にて踏みにじりてみん」。

 もう何を言ってもむだ、とハビアンはぶつぶついいながら退散。史実として、不干斎は林羅山に論破されたこともあったらしい。後年、「破提宇須」というのを書いて「デウスは罰当たり」と決め付けるなど、いつしかもとの仏教徒に転じたことがわかっている。


 聖テレジアはおさない日、家出してムーア人に殺され、殉教して天国にゆこうとした。植民地支配はこうした狂信者の「意図的な被害」をてこに、すすめられた。長崎二十六聖人の磔材は、なおお守りとして高値で取引されるなど、人気があった。

 人間は間違う。法王の謝罪にもあきらかなように、「人間の正義」には限界があるのだ。踏み絵(メダイユ)すらふませずひたすら殉教を強要した当時の教会指導者は、信者を救ったことになるのだろうか。異文化を否定するばかりか、殉教しなければ身内のものでも即、異端視。いきてさえいれば信仰はつづいたろうに、原理にくるうひとびとは、安全な場所からピラトさながらに【信徒たちを審判】し、キリストのまねびを要求した。

 いったん転んで「かくれキリシタン」になったものを、似非者とする考え方も、ねづよくある。だが偶像を踏んだくらいでなんの罪があろう。こんなものはもともと、伴天連が与えたメダイユにすぎないのではないか。だれかが生きて、だれかの犠牲をこいねがう。はたして背教者はどちらだったのか。


 近松作「傾城島原蛙合戦」には天草四郎ならぬ七草四郎がでてくる。時代の制約から、時は鎌倉時代、蝦蟇の仙術で虹を吐く妖術師・四郎の正体は奥州藤原高衡とされ、仏教を誹謗、京の市民を狂惑しついに島原で乱をおこす。

 「退治物語」ではこの乱の根源は領主がわの圧政だ、という複眼的考察をわすれてはいない。しかし現代の歴史家は、日本側の弾圧ばかりを現代におきかえて批判し、殉教とか侵略とかいった非人道的な背景を忘却、18世紀にはヨーロッパをはじめ世界各地でイエズス会士(ジェジュイット)の追放がおこなわれた史実さえ、言葉巧みに隠蔽してしまう。

○ ジェジュイットはインディアンに執拗過酷な労働を強制し、汗を搾取し、何の所有権も与えず、無智な迷信のなかに留め置いた。また、絶対の尊敬を要求し、鞭を握って哀れな貧民のあいだを歩き、老若男女の見さかいなしに打ちのめした。(ディドロ「ブーガンヴィル航海記補遺」浜田泰佑訳)


 日本では律令時代から「宥恕」というかんがえがあり、外国にあまい。南蛮には数多くの日本人が奴隷として拉致されていたが、【現代におきかえてかんがえる】ことをしないできた。生麦事件や鎌倉事件など日本側の落ち度にはいまだ恐縮し、トワンテ山を占領していた外国軍隊や不平等条約のことなどはすっかりわすれはててしまっている。あまつさえ原爆は当然、ナガサキの弾圧や広島のイルカ漁にくらべたら、ナチスや連合軍、共産諸国のホロコーストなどとるにたりない小さなこと。・・・問題点は、いともかんたんにすりかえられてしまうのだ。

 「こちらが悪口をいわなければ、絶対に相手も言わない」。インテリたちは古代からくちをそろえて忖度してきた。ぎゃくに相手が執拗に「みずからの被害を強調」してくると、とたんにパニックにおちいる。「反論はするな、すこしでもさからえば、せっかく築きあげてきた信頼関係が、いっしゅんで壊れてしまう」。

 「反日は無制限にただしい」という意見もある。外国のスパイを時の首相近衛に紹介したり、同志を密告して処刑し、多くの抑留者を虐待して自分だけがよろこんでも、エリートの考えではそれが特別な自分の証しであり、人として正しい生き方なのだった。ただ不可解なのはそうした生きざまを、日本の知識人は手を携え、極力隠そうとしてきたことだ。


No.180
No.182