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もちださんの鎌倉リポート No.198(2016年4月18日)



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新美術館・1


 1984年開館の県立近代美術館鎌倉別館(7月まで閉館中)は、けしてあたらしい建物ではない。旧本館があまりにシンプルで軽快だったため、なんとなく狭苦しい、地味な印象がもたれてきた。鎌倉本館が廃止されたあとも、別館として葉山館を事実上の「本館」として仰ぐらしい。

 遺跡保護のため、かなりちいさな建物になったらしく、メタボリズム建築に特有の遊びが多少もりこまれてはいるが、構造的には二階のフロアを地階のピロティがささえる短冊型の平屋建てにほかならない。スレート調のくすんだタイル張りがよりいっそう重い印象をあたえる。


 ただ、こんど鎌倉の「ガイダンス施設(仮)→歴史文化交流センター(仮)」に予定している塩漬け建物にくらべれば、そうわるくもない風合いだ。面白いかたちのかまぼこ屋根や、特有の凸凹は、ちょっとジブリっぽい感じもしないではない。ちなみにファサード左右に張り付いた「中二階」のように見えるのはトイレ部分。エントランスまではバリア‐フリーのスロープがあり、エレベーター、車椅子用のトイレもあるようだ。

 だが来館者の関心はチケットにみあうボリュームがあるかどうか。外観と比べ、なかは意外と遊びが少ないし、せまく単調な展示フロアにはものたりない感じがするかもしれない。このひろさでは版画とか工芸品といった、品数で内容を稼ぐ展示にしか向かないだろう。狭い庭にはいくつか彫刻もならんでいるが、中途半端なひろさは散策路というほどのものでもない。屋上庭園もない。


 メタボリズムmetabolismとは、代謝作用、ということらしい。都市の新陳代謝。簡素で機能的なモダニズムの建築様式が団地などにひろく採用され、もはや陳腐でありふれたものになった時代、ポスト‐モダニズムの思潮からむしろ無駄の多い、余分(メタボ)な部分を強調する様式がうまれた。玄関先に「おでき」のようにでっぱった展示室などはその典型。

 もっと奇抜な「おばか建築」も世界各地でこころみられてきた。もともとそういう要素は前衛的・反近代的であるとともに過去にも数多く存在していたのであり、バロック美術なんていったばあい、歪みや不調和をあえてもちいた。日本でも、たとえば姫路城天守閣にかくされたおびただしい数のロフトだったり、埃だらけのかくし部屋だったりした。いまは警備の関係で監視がきびしくなっているけれど、こども心に魅惑をかんじたのは、そんな場所をいくつも「探検」することだった。


 世田谷公園のちかくに、人工の川が流れるべつの公園があって、小学校低学年くらいでないとはいれないくらいの、檻で囲まれた4階建ての立体コンクリート迷路のような遊具があった(・・・まだあるらしい)。最近はツリーハウスなんかも流行っているみたいだし、ハモニカ横丁とかドンキホーテとか、狭いながらもごちゃごちゃしているからこそ、退屈しない、ってこともある。外国人に人気のカプセルホテルなんかも、たぶん潜水艦か宇宙船のイメージなんだろう。奇抜な空間にあこがれる心理は大人も子供も同じなのかもしれない。

 現代美術はむずかしい、わからないという先入観がかつてはあった。だがそのいくつかは、写実とかなんとかいう、近代芸術の固定観念がうまれるずっとまえから「存在」してきた、前近代の感覚にゆらいしている。こんなグノーシスふうの彫刻(写真)だって、古代や未開地にはいくらでもある。



横浜美術館にて
 いちぶの人が偏見から毛嫌いする前衛美術や現代音楽なんてものにも、わかりやすいもの、親しみやすいものはいくらでもある。

 ジャスパー‐ジョーンズやデクーニング、ポロック、ロスコあたりから「わからない度」、難解度がましてくるのだろうけれど、あんなのだって、うすぎたない高麗茶碗の模糊とした風合いを賞玩した桃山時代の茶人にくらべれば、さほど特異な感受性、高踏的美学を要求するものではない。常軌を逸している、なんていうけれど、常軌というのは凡庸の代名詞かもしれず、「人並みであること」が重視される社会生活において不当に抑圧された何物かが、そこに見つかるかもしれない。

 偏見はたんに知識にとぼしい、情報に疎いところからきている。「著作権」の厳格化は善意のクチコミさえ制限するし、商業メディアはカネをおしんで黙殺する。そうしてほとんどの作品はうもれてしまう。多くの著作を生きたものにするにはむしろ、フリー‐ユースの範囲をこそ、議論すべきとおもうのだが。



竹橋
 川崎の岡本太郎美術館、三鷹の森ジブリ美術館など、人気のスポットが数多くうまれるいっぽうで、「文化都市・鎌倉」の文化施設は、すでに減退期にはいっているのかもしれない。

 吉祥寺や恵比寿といったにぎやかな街にもそれなりの魅力はあり、豊洲や武蔵小杉、海老名なんていう新興タウンにも、注目があつまっている。「文化都市」なんていう特別感はこそばゆく、もはや時代遅れなんだろう。ただ、「文化都市・鎌倉」だからこそがまんしてきた、狭い路地とか坂道の不便、その他もろもろの特徴が、その魅力とともに失われてゆくことに、多少の懸念をいだく住民もすくなくないのではなかろうか。民業まかせでは、ありふれた「湘南グルメ旅」のひとコマに落ち着いてしまう。


 こどものころ、いまはなき伊勢丹美術館とか、渋谷西武のアートフォーラムとか、いろんな展覧会にいった。エルンストのような怪奇な絵や、四谷シモンさんの、ちょっとHな人形なんかもあった。指揮者の小澤征爾さんと内田光子さん(ピアノ)が新宿でメシアンの「異国の鳥」をやった日は大雪が降って、帰りにはゴールデン街のわきの四季の道が膝まで埋まっていた。こういう記憶は、けっこう残るものだ。

 メディアにのっからない展覧会は空いているし、ゆっくりとみられる。奇抜な絵なんかは、こどものうちにみておいたほうがいい。わけがわかんないのは大人もおなじ。むしろ偏見のないころに「いろんな作品」を知っておいたほうが得。宣伝に惑わされたり、行列にならばなくてもすむんだから。


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