トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第199号 


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もちださんの鎌倉リポート No.199(2016年4月20日)



No.198
No.200



新美術館・2


 市役所の昭和建築1969も、いまからみるとだいぶレトロな感じがする。寺の楼門か鳥居を象ったような正面玄関のフォルムは、背面に高い建物がじゃましていないので、スカイラインもすっきりしている(ただし電線がじゃま)。

 設計は久米設計。前衛的な個人設計ではないから、建築当時はたぶん保守的でおとなしくみえたかもしれないが、母屋部分の3、4階を、庇をもちいて持ち送り式におおきくしている点など、当時はやりのポスト‐モダニズムはかんじられるし、この時期の建築も日々へっているから潜在的な価値はなきにしもあらず。


 文化財課や休憩所は4階、「としよりのはなし」など刊行物をうっている行政資料コーナーは3階。屋上庭園はなく、二階建てぶぶんの屋上テラスは無駄に職員の通路になっているだけで、関係者以外はたちいれない。庭園スペースは敷地内にちょこっとだが、南玄関まえにはときどき花を並べる。公共建築は真夏の南極だし、都市にはこういう空間もひつようだ。

 敷地のあちこちに分庁舎があるし、むかしの雑誌社みたいな、ぐっちゃぐちゃなデスクをみると、ちょっと狭いのかなとはおもわれるが、ガランとしたどこかの市役所よりは、働き者みたいにみえて、かえっていいんじゃないの? せっかく風景に馴染んできたのだから、へんに改築などせず、昭和の日本遺産として、このままずっと保存されるよう希望したい。


 市役所内にはいくつか絵画類もかかげられている。やはり埃になってしまって、保存環境は万全ではないが、建築のアクセントとしては、20世紀のノスタルジーをかんじさせる、こんな絵がのぞましい。

 コンクリ壁に日本画、鎌倉彫の「レリーフ」なんていうのは、やっばりちょっとそぐわない。建物は「額」でもあるのだ。ふるいお寺に、欲ぼけした和尚なんかがいれば、いずれ金ぴかのビルディングに改装されてしまう。宝物館を新築し鐘や本尊、石仏まで収容。マスコミや庭師をよび、ライトアップなんか企画して別途拝観料や撮影料を請求する。そうした建物のなかにはすでに和尚はおらず、券もぎりのおやじが「あと30分で閉館ですよー」と、わけのわからないことを怒鳴っていたりする。建物は、はたらくひとの「額」なのかもしれない。


 これはとりこわしが決定した、旧美術館の新棟。水面にまでおろした鋼材フレームをガラスのカーテン‐ウォールとアスベスト‐ボードで二分しただけの、大胆すぎるほど簡素なデザイン。鋼材は当時の新素材・コルテン鋼による錆び色を生かしており、この錆びが保護膜となって腐食をふせぐ特性を持つという。主棟とおなじく、これも坂倉準三(1901-1969)の設計。

 耐震性の問題で、この新棟はすでにだいぶ前から閉鎖されていた。唯一のアクセントとなっていた大ガラスの採光壁ぶぶんにみぐるしいトラス型の梁なんかを入れたら、元も子もなくなってしまうのだろうし。じっさいモダニズム建築とは無駄を極力そぎ落として、機能だけに特化した量産可能な簡素な構造を理想とした。100年に一度の大地震でガラス壁が全面倒潰したらどうしよう、なんてことは、それほど重くは考えられていなかった。


 金沢八景の横浜市金沢図書館&地区センター1980。なんかににてるとおもったら、坂倉建築研究所・・・氏が、昭和15年に創設した事務所によるもの。わるくはないけれど、デザインとしては既存の成功例のたんなる焼き直しのようにかんじる。

 異様な図書館といえば、「あさが来た」でおなじみの日本女子大の、旧図書館。すでに全面改装されたそうだけれど、かつては3-4階の周囲に先生方の研究室、というより洗面所つきの独房のようなものが、ぐるりと取りかこんでいて、まんなかを薄暗い書庫が貫いていた。あかりとりの吹き抜けを書庫にしたのかと思いきや、当初からそういう設計だったらしい。3階へは外階段がついていて、書庫へも直接でいりはできるのだが、べんりというには程遠い。修道院じゃないんだから。

 ただ、建築としてみたばあい、すぐれたマンネリ作品にくらべれば、ひどい失敗例のほうがはるかにおもしろい。


 これは県立図書館と県立音楽堂1954。前川國男(1905-1986)設計。別にたつ青少年センターも、おなじ人がデザインした。そちらは氏の代表作・東京文化会館(上野)をおもわせる、丸みをおびた分厚いヴェランダ外面が目をひく1962。前川氏もコルビュジエの弟子だ。

 図書館はラティス(格子)状に組んだ有孔ブロックや羽板(ルーバー)で全面を覆い、日よけと装飾をかねているが、いちぶは改修のつごうで撤去してあり、簡素なモダニズム調の建築本体がむきだしになっている(写真左上)。音楽堂とは食堂と渡り廊下(写真右下)でせつぞくしていたらしいが、いまはともに閉鎖されている。時代とともに構造への要求もかわるのだ。

 ここの音楽堂ではじめて聴いたのは、いまは大家になっているインバルさんの「運命」だったとおもうのだが、記憶がさだかではない。すごくへんな解釈だったとおもうんだけれど、いまのCDを聴いてもそんなではない・・・。


 建築とともに、美術品もしゅういの風景になじむ、ということがある。旧本館にならんでいたこんな彫刻が、あらたな場所にうまくとけこむかどうかは、わからない。葉山にいくのか、別館にいくのか。

 ひだりの彫刻は北鎌倉にすんだ小説家の高見順さんをかたどったもの。元タレント・高見恭子さんのお父上でもあり、馳文科大臣はお婿さん。大臣は元オリンピック選手で人気プロレスラーとしてもしられるが、わざわざスポーツ推薦をけって国語(古典)の先生の免許もとっている。アニマル(浜口)さんにはだいぷ世話になったともきいた。いまは雲の上のお方だが、よい業績をのこしてくれるよう、彫刻になった高見さんも祈っているにちがいない。


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