トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第203号 


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もちださんの鎌倉リポート No.203(2016年5月5日)



No.202
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『彼方』・1



ステンドグラス(カトリック山手教会)
 鎌倉時代に相当するヨーロッパ中世をえがいた小説としてまず思い浮かぶのが、ユイスマンス(J.K.Huysmans1848-1907)の長編「彼方」。筋は現代の厭世家が、中世の悪魔主義や、「あおひげ」のモデルともなった伝説の幼児虐殺者、ジル・ド・レーをしらべていくうちに、中世の崇高な祈りに思い至る、というもの。中世の民衆は、このおぞましい犯罪者がついにみずからの行為をみとめ、悔悟のことばを口にし、火炙りの刑を受け入れたとき、あろうことか涙さえ流して同情を示しはじめた。

○ このときこそ、中世の魂が、こうこうたる輝きをあげて、法廷にみなぎりわたったのであった。・・・満堂の人々はひざまづいて、この殺人犯のために祈った。(田辺貞之助・訳)



十字架の道行(同)
 ジルの生きた中世の、未開な貴族社会においては、その程度の蛮行はふつうだったという。だれもが多かれ少なかれ、罪深い人間だったのだ。だからこそ民衆はこの殺人者に心を通わし、殺人者もまた、中世のありとある悪を一身に背負って死んでくれた、ある種の救世主、ということになっていったのだろう。

 頽廃した教会文化に絶望しながら、作家は中世の歴史の中に魂の救済をみつけだそうとした。ようするに、これは悪魔主義を主題としつつ、逆説的にキリストとは何であったか、を問うている。虐殺魔の火刑とイエスの磔刑を混同するなんて、ひどく瀆神的なようにみえるかもしれないが、どんなに「おぞましい者」でも救われるし、救いをもとめてもよい、ということを発見したのだった。以後作者は、俗衆のくるしみを引き受け全身が腐って死んでゆく中世の聖女や、ルルドの泉にあつまる重病人、などにまつわる宗教小説をつぎつぎに発表した。



日蓮の法難(常栄寺)
 全身が腐る、といえば説経節にでてくる小栗判官や俊徳丸なども似たようなはなしだ。かれらは貴種でありながら庶民の痛みを代償するため、腐乱死体となり不治の病に冒されなければならなかった。義経や菅原道真がなぜ大衆的な人気を獲得したかというのも、かれらがその不条理な死をもって、民の犯したありとある罪を背負った「贖い主」だったから。

 「代苦」の宗教といえば日蓮宗。そして宗祖・日蓮の被虐をさらに上回る拷問に耐えたとされるのが室町時代、宗派中興のさなかに生きた僧・日親(1407-1488)。順調な法門興隆は「弾圧と虐待」の神話にそぐわないと考えたのか、信じ難いような体罰を生き抜いたことになっている。聖典「法華経」には、この経をしんじるものは弾圧されるだろう、と書かれているため、信仰と弾圧はイコールでなければならないという考えがあったためだ。


 日親が興したとされる「不受不施義」というのは、江戸時代にいたって日奥らを輩出、江戸幕府に激しく逆らい、日蓮宗の本流とも対立し、ついにキリシタンとならぶ邪宗門として徹底的に摘発されるまでになった。日親の「冠鐺(なべかむり)」伝説などは、そのような経緯から遡行して考察されるべきだろう。

 日親は予期される当局の拷問にそなえ、あらかじめ痛みに耐え、不死身の体をつくるためにみずから爪をはいで錐で刺し、熱湯風呂にはいるなどの山伏的な荒行をつんだ。「法華経」の加護があってやがて爪はもとどおりに生え、なんどくりかえしても日親のからだは元通りになった。このような超能力人間にとって、なみたいていの拷問では同情をそそられないと考えたのか、伝説はしだいにエスカレートする。

 日親(34)は室町将軍・足利義教に「立正治国論」なるものをたてまつるさい1440、釜茹で・水責め・監禁・陰茎を串刺されるなどの過酷な体罰のはてに、「法華経を信じないおまえはやがて死ぬ」と将軍を面罵、ついに灼熱の銅鍋をあたまにかぶせられた。じっさい将軍義教は翌年、嘉吉の変で死ぬから、日親の予言は成就した、という筋書きだ。



妙隆寺(小町)
 頭風という病では、激痛のため髪が剃れなくなるという。だが日親のばあいはそんな皮膚病ではなく武勇伝・鍋かむりの後遺症だとされた。一説には鍋は頭に密着したまま、まるで刀の鐺(こじり)にはまった金具のように、生涯離れなかったともいい、そんな肖像ものこる。

 日親が義教に要求したのはなんだったのか。「立正治国論」は日蓮「立正安国論」のダイジェスト。法華経を信じなければ世界滅亡、などと唱えてはいるが当時、世界が滅亡したけはいはない。要求に具体的なものはなく、自分の出世や他宗の抑圧、反抗する寺社の焼き討ちを暗にもとめているにすぎない。そうすることでようやく「法華経」の神秘の力がハッキされ、やがて国家や民衆を自動的に救ってくれるだろう、という玉虫色の未来予想図についてさえ、行間の空白にほんのかすかに見えるかどうか、だ。肝心なところが欠けていては、実際なにがいいたいのかよくわからない。そもそも「法華経」じたい、「良ク効ク」と書きながら何に「効ク」のかよくわからない、万金丹のようなお経なのである。

 日親がうまれた上総埴谷氏は小山田氏の出、犬懸上杉氏の執事。祖父重義は鎌倉郡代、武蔵守護代にまでなったというが、当主重氏(伯父?)は禅秀の乱1416の残党として公方持氏からはげしい征伐をうけ、由比ガ浜で斬首された。日親が鎌倉妙隆寺や京都・肥前などでおこなった地道な布教については、老年に記した「埴谷抄」「伝燈鈔」などの回想記にみえているが、冠鐺などの超人伝説については本当のところ、よくわかっていない。江戸時代にまとめられ、浄瑠璃にもなった「日親上人徳行記」に、書かれているだけなのだ。


 日蓮宗は民衆と共に発展してきた。しかし自己正当化に終始するあいまいな神学理論のなかに、民衆救済の具体的なすがたは、うかがい知ることはできない。さかんに他人をののしりながら、では対案を「具体的に示せ」といわれると途端にうろたえ回るいんちき野党のような印象すらある。宗門の内部においても、内ゲバに似た激しい相互批判がくりかえされ、それでいて自身へのどんな批判も「弾圧だ」などと封殺し・・・これも日本人の思考の、一種の「型」なのだろうか。

 わが宗に入れば、他宗の寺社には供物はもちろん、年貢も借金もビタ一文はらわなくていい。バチなどあたるもんか。他宗の神仏なんか一切合財、抹殺してしまえ。・・・困窮者にとっては渡りに船の、半信半疑の夢のような説法だったのかもしれない。そのかわり、有名な本能寺や城興寺などにいたっては、他宗の報復に備えて厳重な堀がめぐらされ、さながら城郭のようであったという。改造した鍋を冑の鉢としてかぶった僧もいたのだろう。それをみたものが、あるいは鍋冠伝説をつくったのかもしれない。



「この池に身を浸すこと百日間」
 宗教のほんとうのいみは、僧侶たちが夢中になる阿呆陀羅経の羅列ではなくて、むしろ信者たちの思いが結晶した「神話・伝説」のほうにあるのかもしれない。「冠鐺(なべかむり)」の被虐が史実であるかどうかは問題ではなく、中世民衆の罪のかたち、負債感の重みこそが「冠鐺」なのだ。それを代わりに「被って」くれたひとがいた、「弾圧された聖者」のイマージュは【民衆の免罪符】として、日本においてもさまざまな「黄金伝説」をきざんできたのだ。

 児童虐待などの不祥事をくりかえす教職員なんかは、「戦争に反対してだんあつされた教員」などという、ありもしない過去の幻想に便乗することで、主客を顛倒し自身の無能力を韜晦しようとする。戦中戦後、情報局総裁として民衆弾圧にハッスルしたマスコミなどは、いまや毎朝アンネ・フランクや杉原千畝などを特集し、あつかましくも自社との混同を企ててきた。これも昭和の魂が、「こうこうたる輝きをあげて」みなぎりわたる、ある種の【救済願望】にはちがいないのだ。


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