トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第207号 


▲もちださんトップへ戻る

もちださんの鎌倉リポート No.207(2016年5月19日)



No.206
No.208



十字架への道行・2


 ルネサンスなど近世絵画を嫌ったユイスマンスは、グリューネヴァルトらの中世絵画を「プリミティフ派」として礼讃しているけれど、古いステンドグラスなんかははるかに土俗的で、よい意味で稚拙だし原初的である。

 由比ガ浜のステンドグラスはドイツの作家のオリジナル。リム(接合枠)を模した太い描線。掻き落しを多用し、偶然のかすれとも意図ある表現ともつかない繊細な効果を重視する。ビュッフェやルオーなんかを思わせる20世紀的要素もさることながら、ほとんど表情のない顔、光線によって区画された構図など、中世以来の伝統もかんじられる。これは前代のイタリア‐ロマネスクや後代のルネサンスからみて、「ゴシック」すなわち「ゴート人(野蛮人)の」と渾名された、フランス〜ドイツの美術傾向を示す。



総督ピラトの尋問「真理とは何か?」
 ゴシックの全盛期は鎌倉〜公方府時代に相当する。15世紀後半から顕著になるルネサンスの特徴として、イエスや聖者たちの仏像ににた頭光が消失し、しるしばかりの「亡者のリング」のようなものに変わってしまう。神々の人間化がはじまるのだ。

 19世紀の小説家はこれを異教化と解釈し唾棄しているが、じっさいにはルネサンス以前にもギリシャ‐ローマや十字軍によって、オリエント以来のグノーシス教やムスリムの文明は西洋社会におおきな影響をあたえてきた。いっぽうのヨーロッパの文化じたいにも、キリスト教以前の土俗信仰が深くねづいていたのではなかったか。キリスト教の世俗化は近代ヨーロッパがみずから求めたもので、ムスリムとかユダヤ人とかいった他のなにものかの責任ではないのだ。

 イエスは人間となり、人間は神になった。権力と教会は一体化、「異端」と名付けるものには火炙りを命じ、「教会の信者」にはどこまでも【許し】をあたえた。その独善のはてには、現代につらなる教会ばなれがおこった。


 外人墓地にはモーゼの十戒のステンドグラスがある。古い墓地にはユダヤ教徒もイスラム教徒もまじっているので、旧約のこの図柄になったようだ。「汝、隣人の家をむさぼるなかれ」「殺すなかれ」「偶像をつくるなかれ」・・・。帰国しなかった宣教師やさまざまな技術者などが、外人墓地に眠っている。

 中世ゴシック建築の特徴は、半円アーチにかわって尖頭アーチというペン先型のアーチをもちいるのだが、もちろんこれは石積み建築にこそいみがあっても、木造やコンクリート建築にはなんら関係はない。ただ「教会らしさ」といういみにおいて、定着したデザインにすぎない。ゴシック様式がおもに北方に展開したのは、周知のようにイタリアには地震があるからだ。窓のすくないロマネスクふうの建築には、ステンドグラスよりも壁画のほうがにあう。ただ、日本にフレスコ式の壁画は定着しなかった。


 さきにものべたが、横浜には開国当初、ジラール神父らの尽力で横浜天主堂1862がたてられた。明治になって、プロテスタントの横浜海岸教会などがつぎつぎ建立されるが、初代のものは大正震災などでほぼうしなわれた。

 当初、宣教師の活動は米プロテスタントのほうが活発で、長老派の宣教医ヘボンは神奈川時代から仏教寺院を宿舎にするなどして活躍。聖書翻訳やヘボン式ローマ字の発明でしられるほか、居留地山下町にたてた自宅を利用した英語塾が、やがて統廃合をへて明治学院となり、女子部は改革派教会のメアリ‐キダー女史にたくされフェリス女学院になった。英語や実学をもとめ押し寄せた日本人生徒にたいし、本来の目的であった布教(ミッション)という点では、じゅうぶんな成果はあがらなかったかもしれない。しかし、もとより自己犠牲のない信仰なんかありはしないのだ。


 カトリック由比ガ浜教会堂は大正期の創建1913。当初は天主公教会大町教会をなのっていた。詩人の中原中也がジョリー神父と語り合った話はよくしられているが、大正震災後にたてられた聖堂1928は残念ながらその後老朽化し、いまのたてものは改修以後のものだという1954。

 中也の先祖は山口でザビエルを信仰していた。ミッション系幼稚園にかよったりと、信仰はうまれついてのものなのだ。プロテスタントには、成人以後の再洗礼を主張する会派もある。だがとしをとってから、あらゆる宗教・宗派の内にある「尊いもの」をただひとつだけ、選び取るのは簡単ではない。とりわけ現代人にとっては、しらないこと、わからないことがあまりにも多すぎる。それは慎重に隠され、あたかも中世の彼方にあるもののようにみえる。あるいは自分自身の中にだけあるもののようにもみえる。

 「けっきょく、中途半端なもので」。言葉をにごすと、神父さんは笑ってこうおっしゃる。「あなたも・・・きっと、洗礼を受けられるようになりますよ」。


 鎌倉にはステンドグラスは比較的すくないのかもしれない。メソジストの大町教会堂は主祭壇のうえの三つの小窓に薔薇十字などをえがいたものがあるだけだし、カトリックの雪ノ下聖堂では左陣洗礼盤のよこに一面あるくらい。大町教会の新築された塔の窓には、「東方三博士の旅」「ベツレヘムの星」なんかがかかげられていたが、よくよくみればステンドグラスではなくて、ときどきの祭事をしめす「それらしい絵」だった(レポ83)。

 ステンドグラスはむしろ世俗建築に応用され、国宝館のドア口なんかにもあるし、横浜のテニス発祥の地記念館などにはテニスの図柄なんていうのもある。アール‐デコ時代の巨匠、エミール‐ガレやラリックなんかがガラス工芸の復権をはたした。いわゆるアール‐ヌーヴォーはその前期、商業生産にはいる前のオートクチュール時代にいちづけられる。


 鎌倉駅、石川町駅・・・公共機関にもステンドグラスはもちいられている。製作技法は進化し、野太いフレームなんかももう必要でないし、摺りガラスに印刷しただけの安価なものも製造され、ゴシック時代とはくらべものにならないくらい自在な色味を可能にし、内部からの光線さえも、明るく透過する。

 その「幻燈」的なキッチュなうつくしさも、あるいみ20世紀的なノスタルジーをかきたてる。まるで藤城清治の影絵のような。もちろん宗教的な峻厳さはそこにはないし、中世もない。もちろん近代のものがすべて駄目というわけではなく、県内ではたとえば開港記念館などにみごとなものがあるので、そのうち機会があれば紹介できるかもしれない。


No.206
No.208