トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第217号 


▲もちださんトップへ戻る

もちださんの鎌倉リポート No.217(2016年7月8日)



No.216
No.218



蓮華往生について・3



日樹供養塔(長勝寺)
 不受不施弾圧のハイライト、ともいうべき江戸城内の「身・池対論1630」は、権力の側に付いた主流穏健派の身延と、池上その他・強義派との対立、という構図をとった。「不受(だれの世話にもならぬ)」なんていっても、生きている限り君主をはじめ、非信者を中心とする社会全体の恩恵を否定することはできない。既存宗派がなければ日蓮は出家もせず、経すら読めなかった。かれらは理屈のうえでも負けていた。

 池上本門寺の東にある長勝寺には、このとき負けて流罪となった池上貫主・日樹(1574-1631)の三十三回忌を慕う供養塔がのこっている。碑文谷では日進という者がながされた。この対決では、むしろ敗北し破滅した側こそが、法華経に殉じた真の英雄・真の勝利者とされてきた。宗門内部のとるにたりない路線対立や、「字句の解釈」といった馬鹿げた争点はすべて捨象され、「個人が国家権力に挑んだ」という神話的・象徴的な事象のみが抽出された。龍車に挑む蟷螂、いま風にいえば、壁と闘う卵のようなものと、認識されてきた。それはけして正誤とか善悪、勝ち負けではないのだ。



前田利家室逆修十一重層塔残欠1622にのこされた存命中の銘(本門寺)
 蒸留された正義感・万能感は、いわば純度の高い麻薬のようなものだ。かつて「米英帝国主義を撃たう」「大東亜のために死なう」とさけんだ恍惚の文化人も、国威発揚といったフリダシの欲望や、着実に死の桝目を歩んでいる目の前の現実を一切がっさい喪失し、脳内の正義、神話的陶酔境しかみえていなかった。そうした集団狂気の因子は反米社会主義や人種ナショナリズムにあるのだとしても、それだけではない。文化人らの常軌を逸した言説を淘汰から切り離し、切迫した正義のなのもとに朝夕加速し暴走させたのは、洗脳ツールとしてのマスメディアの登場だった。

 宝塔(日蓮灰堂跡)ふきんにある南之院の境外墓地には、なぜか鳩がたかりまくる狩野探幽・孝信らの墓などもあり、この当時も文化人の受けはよかったのかもしれない。だが、他の誰よりも自分が偉く、自分以外は地獄堕ち、そんな解釈はしょせん文学的・形而上学的なものにすぎず、いかさま現実とは乖離していたし、客観的評価もえられなかった。じっさいに何を犯したわけではなかったにしても、何をなしとげたわけでもない。かれらはただ、「お経の解釈をめぐり、対立する門派のどちらが正しいか」、みずから進んでお上の裁きをあおいだだけだったのだ。


 池上の墓地には、そのほかにも幸田文さんら、著名人の墓がおおい。各所に案内板までたつのは、力道山こと金信洛(戸籍名・百田光浩)の墓。また「実録・東声会」などのヤクザ映画でしられる名物組長の墓、などもある。おもての顔は民団幹部、政界工作やプロレス興行にもかかわったらしい。なかには戦前の大物右翼にして戦後の日韓国交の立役者とされる児玉誉士夫(1911-1984)氏などの墓も。

 現地の土人をあばれさせ、友好の名のもとに巨額の援助ビジネスを展開。対立をあおればあおるだけ、援助ビジネスはむしかえされ、甘露の汁をすうしくみ。セミナーでメディア文化人を接待し、批判を人種差別にすりかえて反社会勢力の肩を揉み、言論統制の法整備まで捏ね上げた「正義」の人々。

 よのなかには黒か白か、決め付けにくい要素もすくなくない。力道山の胸像についた奉加者名にはビートたけしさんの名もあるが、なにかをうかつに信じてはいけないような気もする。力道山はあくまで「悪いアメリカ人レスラーを空手チョップでたおした正義の日本人」。「敗戦直後の日本人に勇気と希望をあたえた」。そんなメディア神話のなかにだけ、存在してきたはずだった。



大坊・本堂(大堂)
 日蓮が息をひきとった1282池上氏の館は、西のふもとにあたる大坊ふきんにあったとされる。生涯をつうじて書き残した多くの対話編には相手のなまえがない。弟子や信者が仇の側からもってきた疑問もあれば、弟子たち本人、日蓮自身の自問にもとづく問答でもあるのだろう。おなじ質問におなじ答えをしつこく繰り返すのは、死ぬまでつよい反芻の意思があったからだ。内心にはなにひとつ、解決なんかしてはいなかった。

 「広宣流布の妄語となるべきか。日蓮が法華経の行者ならざるか」「夢の代なれば、仏・菩薩・諸天にすかされ参らせたりける者にてこそ候はめ」。おれは仏にだまされていたのではないか、そう自問したのは日蓮ひとりだった。いや、親鸞(浄土真宗)なんかも同じことを思った。不倶戴天のライバルだったとはいえ宗教家どうしのほうが、殉教の魅惑にとりつかれ聖人崇拝にこりかたまる単細胞な弟子・信者なんかより、よほど共通点はあったのかもしれない。



狩野探幽墓(本門寺)
 「凡夫の悪は仏になるとも、二乗の善は仏にならじとなり。諸の小乗経には、悪をいましめ善を褒む。此の経(*法華経)には二乗の善をそしり、凡夫の悪を褒めたり。かへつて仏経とも覚へず、外道の法門のやうなれども、詮ずるところは、二乗の永不成仏をつよく定めさせ給うにや」(開目抄)。唱えるところは、痴愚迷妄の悪人成仏にほかならない。そこを開祖日蓮聖人だけは、はっきりと自覚していた。

 みずからを「月日なり」「父母なり」「棟梁なり」とたたえ強がって見せるいっぽう、「貧窮下賎の者」「蓄身」「愚者」「海人の子」、賤民の血を引く「旃陀羅の子」などと卑下、自我をはげしく疑い、反問する。このあたりに、日蓮という人の真価があるように思う。諸天はそんな日蓮を助けたり助けなかったりした。依知の本間邸では、のんきに光る月(月天子)に向かって吠えてみたりした。自分を信じることの、むずかしさ。それはどんな弟子よりも身にしみていた。

 どんな奇跡でもおこせる、などというのはうそ。弟子たちがでっちあげた神話のようなものはもちろん、日蓮が自分じしんをひたすら神格化したような一部のばかげた文書(産湯相承など)は、あきらかに後世の偽書偽作。そこは現在の創価学会のたぐいも理屈の上では承伏しているようだ。



探幽妻の墓・狩野孝信墓(本門寺)
 蓮華往生というような伝説に、いまもそこはかとないペーソスが漂うのは、いうまでもなく安楽死、ということだろう。貧困にして重い病にくるしむ人、家族の介護負担を苦にするお年寄り、すでに廃人として痴呆病院のベッドにしばりつけられた人。宗教や社会は、「天国での幸せ」以外の、どんな解決策を与え続けてきたのだろうか。

 だれかを責め、だれかを追及するだけでは、生きづらい世の中は、なにもかわらない。「一殺多生」なんていっても、ほんとうに「多くが助かる」なんて保証はほとんどない。絶対正義をとなえるオウム真理教や、井上日召(戦前の日蓮主義革命家1886-1967)、あるいは重信房子のようなテロリストは、そこの一線を踏み越え、性急に実践にはしった。

 文学的な夢と現実とのあいだの敷居は、あんがいもろいものなのだろう。20世紀、共産革命がおこった国は、ほとんど独裁制におちいり、自滅してしまった。「政治家おろし」に夢中になるワイドショーもまた、次にだれがくるのか、これからどうしたいのか、どんな「楽園」が出来(しゅったい)するのか、なにも知らない。推奨の政治家のなかには近衛や東条もいたし、「尖閣は中国領」などとわざわざ中国に告げにゆき、戦争をあおる不思議な宇宙人もいた。それでも得体の知れない空疎な期待や幻想は、わきつづける。これはもはや、脳科学の問題なのかもしれない。



長崎平和祈念像でしられる北村西望の作
 なんで読んだかは忘れたけれど、日本の大学教授がかつてキューバを訪れ、「日本にも革命をつくる工場がほしいものです」と追従した。しかしゲバラは一蹴。「革命は工場でつくるようなもんじゃない」。その教授はたぶん、革命運動にそれぞれの社会背景があることを知らず、万国共通の最新ファッションのように取り違えていた。さすがに本場の人のいうことはちがう、と自慢げに書いてあった。

 日蓮主義にせよ親鸞主義にせよ、ある時代の社会環境のなかでは民衆革命ですらあったのだろう。だが、なりふりかまわず数珠や刀をふりまわしてよろこんでいた、そんな過去はすでに終ったことなのだ。法華経やアッラーやゲバラのたぐいが、はるかの高みからわれら水呑み百姓をあわれと見そなわして、きっとどこまでも見えないちからで救ってくだせえますだ・・・もう、そんな手放しの祈祷が通用する時代じゃないことは、すでにわかっているはず。よしんば奇跡というものがもしあるのだとしても、それは宝くじの当りのようなもの。宗教なんてみな、そこを踏まえて語り直さなければ時代錯誤の狂気でしかなくなる。


No.216
No.218