トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第22号 


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もちださんの鎌倉リポート No.22(2008年2月11日)



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「神風」は吹いたか?・3



貞観の韓寇を伝える六国史『三代実録』【注】の祝詞(869)。賊船を「入れ賜はずして逐い還し漂没せしめ賜」うのが神風の役割だった。
 神風というのは、じつは奈良時代から使われていた常套句だった。新羅や高麗の官民が北部九州を襲うたびに、「日本国は神国なり」「神風よ吹け、敵を押し返せ」と八幡や筥崎、神功陵に祈った。だが、しこたま盗んだら賊が去っていくのは当たり前。そのうちただ台風が吹いただけで、「まさに今日、新羅の大軍が攻めてくるはずだったが、神風で海の藻屑と消えたのぢゃ」などというあきれた託宣までがおこなわれた。

 だからもし、「嵐」などがまったく存在しなかったとしても、元寇が一段落しさえすれば、当時の人々はやはり「神風のおかげだ」と言ったにちがいない。朝廷は平安前期までに律令でさだめた「軍団」を廃止し、少数の武士に国防を丸投げしていた。非軍備の日本をみずからの手でつくりあげた公家たちは、ただ祈ることしかできなかった。つまり神風とは、要は「非戦の祈りが奇跡を起こす」「日本は9条にまもられた特別な国」などとといったレトリック( 言葉のあや)の古語表現だったにすぎない。がんらい神国思想とは仏教祈祷とおなじく、非戦思想のひとつだったのだ。

 「神国思想は偏狭なナショナリズム」だと誇張して云々する人々のたくましい空想力にはまいど驚かされるが、少なくとも歴史解釈のテリトリーにはまったく似つかわしくないように思える。

 元寇といえば、安い教訓を得ようと多くの書物が日本を悪者にしたて、いわゆる「苦言」を呈そうとする。パクス・モンゴリカ(征服地の平和)をかかげる正義の元にくらべ、無力な日本軍はただ反抗するだけの文化の遅れた田舎者で運良く台風に救われた、などと罵詈雑言を羅列するたぐいのものから、韓国人がみずからの意思で船底の栓をぬいて、日本を救うため元軍もろとも沈んでいった、なんて小説まがいのものまであるという。しかし正確な文献学からみると、ばかげた空想でしかない。

 資料の扱い方にも問題がある。有名な「御物・蒙古襲来絵詞(竹崎絵巻)」ではよく「苦戦の場面」が教科書などに引用されているが、じっさいにはそのような「場面」自体、まったく存在しない。矢の雨にみずから突入する勇敢な先陣のシーンの一部を「苦戦」にみえるよう意図的にトリミングし、誤解を招くようなキャプションで「演出」しているだけ。すぐそばに異時同図でえがかれている「逃げてゆく蒙古」を露骨に消しているものさえある。


神風は元寇以前、すでに和歌の枕詞にもなっていた。伴信友、安政5年刊。


 朝日新聞の元論説委員でいまなお社内から「日本一の軍事ジャーナリスト」と謳われる田岡俊次さん(1941〜)は、神風はただのトドメ、おまけのようなもので、嵐の吹くまえに鎌倉武士は迎撃に成功し、二度ともすでに勝敗は決していた、と主張する。くだんの俗説とはずいぶん違った考え方のようだが、学術的にはむしろ、かなり当を得た説明だ( かまくら春秋社『北条時宗 小百科』所収・「元軍撃退の真相〜天は自ら助くるものを助く〜」2001年)。

 「元史」「高麗史」「八幡愚童訓」「竹崎絵巻」など、内外の古記録をきちんと読めば、田岡さんの理論はほとんど史実をそのままなぞっていることがわかる。元軍はいくさに破れて潰走した。逃げ遅れた過半数の船は「嵐」によって帆柱を落とすなどの損害を受けたらしく、佐賀県鷹島の沿岸を所在なくただよっていたが、これも日本軍のえじきとなった。弘安の役(1281)では断罪された元軍の兵士は10万をこえた。・・・

 こうした史実は内外の文献考証がすすんだ江戸時代の史書にもかかれており、神風はただの脇役にすぎない。神風を強調した史書は「神明鏡」など、ほんらい宗教書にちかいもので、「てきは数百万艘」「高さ5mの鋼鉄の巨人」などというたぐいの資料である。こういう宗教者のたわごとは恩賞を惜しむ為政者の正当化にたくみに利用され、激戦を制した当の武士たちはむしろ自分たちの手柄を卑小化する神風伝説に苦りきっていたはず、と田岡さんは指摘している。



江戸時代の教科書。台風は一部の船を追い返しただけで、元軍の大半は日本軍に敗れ、断罪されたことになっている。文政10年刊、京都。



神話をそのまま題材にした明治時代の教科書。「天孫がシナやマレーから朝鮮半島経由でやってきた」などという大東亜史観は、当時はまだ国体を損なうものとしてかたく禁じられていた。
 「実戦では、まぎれもなくモンゴルが勝っていた(黒田俊雄さん)」などとやみくもに力説する学者は少なくない。だが鷹島には現在、蒙古の遺品を集めた博物館がある。伝説どおり台風ではるか彼方に漂流し「一隻残らず海の藻屑と消え去った」のなら、そもそも特定の場所に遺品などあろうはずがない。また、逃げ遅れた10万もの蒙古軍を「無抵抗の被害者」とし、「日本人は卑劣」「むしろ捕虜虐待がとわれる」などと小手先のでまかせを捏ねて元の敗退をかたくなに否定する一部学者のつじつまあわせにしても、はなはだ無理がある。上記の原資料は抄録をふくめ岩波文庫、群書類従などで簡単によむことができるはずだ。

 さて、これまでなぜ、まちがった神話ばかりが教育現場で語り継がれてきたのだろうか。その背景には、創作を許容し史実をゆがめてまで実現したい「反戦」教育が、みえかくれする。おそらく、モンゴルとアメリカを混同し、外国の正しさ、無抵抗降伏のありがたさを骨の髄までたたきこむ教材として用いられてきたからにちがいない。台風がなければ負けていた、畏れ多くも世界最強の帝国にたてついた日本人は何が何でも間違っていた、というストーリーだ。

 だが、自分以外の日本人は精神が下等でいつまでも戦犯、子供たちも同罪、と触れ回るこの利己的で他罰的な勢力が、じつはアジア・太平洋の平和友好をいまも執拗にかき乱している張本人ではないのかという見方も、いっぽうに根強くある。

 教科書問題をはじめとして、先の大戦をめぐる現代の寓話は縁もゆかりもない古代史まで歪めてしまう。主導するのはかつて聖戦をとなえた巨大マスコミだ。情報局総裁を次々に輩出、国民的社会主義やら超国家〈=大東亜〉主義やらを鼓吹して、狂ったイデオロギーにもとづく独善的な言論統制で庶民の生活をすみずみまで破壊し、うなぎのぼりに肥え太っていた。学者も作家も、市民団体も、統一社会党のおえらがたも、すすんで協力した。いわく、天孫族はアジアからやってきたので、大東亜はもともとひとつの家族のようなもの。欧米からアジアを救うため、いまこそすべての日本人が犠牲になるのだ、・・・とかいうあの詭弁、あのゆがんだ「神風」のイメージが吹き荒れはじめたのは、たかだかそのころのことである。

 異論をタブーとして排斥する政治的偏向や言葉狩りは、今もあると思う。だからこそわたしたちは、真実とは何か、を田岡さんのように常に「自分」の頭でかんがえるひつようがある。



ゆがんだ「神風」の風刺画。20世紀の戦争を変えたのは巨大マスメディアの登場だった。うしろでばけものを操っているのは戦時、400万部も売った大新聞。

【注】このページの歴史資料は小画面でも文字を判読しやすいようコラージュ処理したものであり、現物とはすべて体裁が異なります。ご研究のさいには、念のため、国会図書館などで現物にあたることをお勧めします。

次回は「名越三昧山」1・2。


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