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もちださんの鎌倉リポート No.226(2016年9月28日)



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彼岸花


 新横浜の近く、新羽にある曼珠沙華(彼岸花)の人気スポット、西方寺。花時を知らせるHPもあり、無料ということもあって、近所の家族連れや自撮りする若い子なんかも目に付く。詳しくはレポ171号に書いたけれど、ここは鎌倉極楽寺にあった西方寺を移した1492という伝承をもっている。

 鎌倉の西方寺跡は極楽寺坂の桜橋寄り、上杉憲方墓とされる十三重層塔残欠のあるあたり(下写真右下)。ただし道の向かい側、道合(憲房)逆修ときざまれた宝篋印塔1379や極楽寺の七世長老・明賢の墓塔1368など十基があるあたりは、残念ながら私有地で、人家のうらにつながる小道も封鎖されているようだ。


 寺伝では、もともと北条政子の創建した笹目安養院内の西方寺(開山・勝賢僧正)をルーツとするらしい。本尊は定朝様式の黒阿弥陀で、さほど下った感じはせず、平安末か鎌倉前期のものという。笹目にあったころ、殺生禁断の金色の光がまぶしく、魚がまったく採れなくなったので、たまりかねた前浜の漁民が墨で経文を書きながら、とうとう黒く塗りつぶしてしまった。その後、寺は極楽寺にうつって塔頭寺院となり、鎌倉公方府の滅亡後、衰微したためいまの場所に再興された、とする。

 また本堂右の一段高いところにある観音堂は、現在地にもともとあった寺(保安寺観音院)の名残りで、秘仏の小柄な観音像を伝える。十一面のうえに透かし宝冠をつけためずらしいもので、これも平安仏らしいが、震災で破損し修理中。子年の開帳だが、べつに御前立ちや、ちっちゃな風神雷神像などもある。


 本堂は江戸時代のもの1721だが、首都圏では珍しく、創建当初の草葺の姿に修復・復元された。中世の寺社も多くは茅か桧皮・杮(こけら・薄板)葺きであったようだ。杉戸絵なんかもあり、なかなか瀟洒。五輪塔の断片などを、無縁墓に片付けてしまわず多少庭に活けてあるのも、歴史をかんじさせ、良い趣味だ。

 鎌倉の寺院で実際に他に移ったものや、その伝承は多く、秦野の金剛寺には「頼朝が勝上岳にたてた観覧閣がルーツ」とする説がある。これは蘭渓の頂相に自讃されている住坊「観瀾閣」のことらしい。伊勢原の大慈寺は太田道灌が十二所の大慈寺、または扇谷の建徳寺を移したともいう。建徳寺は扇谷上杉の菩提寺で、現存する海蔵寺と親しい関係にあったようだ。ただ万里集九が鎌倉めぐりで訪れているから、道灌の在世には鎌倉にもまだあったことになる。これらは寺の移設というよりは、法脈伝播にかかわる伝承なのかもしれない。・・・
 


 名物の曼珠沙華は色とりどり。基本は緋色だが、リコリスとよぶ園芸種としてクリーム色・黄色・ピンクなども。もっとも、野生の亜種にも白花曼珠沙華や鍾馗水仙(黄)・夏水仙(ピンク)などがあり、「キツネノカミソリ」などちょっとかたちの違う野生種もあるが、それらもおそらく品種改良の元になっている。

 曼珠沙華や彼岸花は漢語であり、和歌に詠まれることもすくなく、すべて中国原産とも考えられてきた。中国では石蒜といい、ようするに「まずいニラ」である。球根や茎に毒があり、よほどアク抜きしないと食えない。日本では、その毒性を利用し、畠のへりや土葬墓に植えて害虫およびモグラなどの害獣を避ける目的で広まった、とされる。また、薬用や襖張りの糊の原料などにもした。

 基本的な緋色の曼珠沙華は、近縁の鬼百合(食用百合根)なんかと同様、種をつくらないため遺伝子変化がすくなく、たった一個の球根から植え広げられた、などと説明されることが多い。白花などの亜種は、例外的な突然変異のようなものでふたたび種ができ、交雑したともいわれる。


 国会図書館のHPで検索すると、「山口県植物方言集」に、さまざまな異名がみえる。「どくばな かぶればな へびばな ゆうれいはな しびと(死人)ばな」など、縁起でもないものが多いのは、毒性を知らせるためもあろう。曼珠沙華・天蓋花とは仏教からきた美名で「天上の花」をいみするらしいが、曼陀羅華ともキチガイナスビともいわれる朝鮮朝顔(ダチュラ)など、仏教関係に有毒のものが多いのはなぜだろうか。

 方言のなかには、「いっときばな いちじばな」とあるのが注意される。これは万葉に人丸の歌としてみえる「道の辺の壱師の花のいちしろく 人皆知りぬ我が恋妻は」によまれた、壱師の花という古称を伝えているとおもわれる。


 「いちし」というのは、曼珠沙華の花のつきかたに関係があるようだ。もともとあった水仙に似た葉がほとんど枯れて、一本茎に花がつき、花が枯れるとまた葉が伸びてくる。柿本人麿といえばまた、曼珠沙華の亜種であるハマユウを詠んだつぎの名歌の方が有名だ。

 み熊野の浦の浜木綿百重なす 
  心は思へど直に逢はぬかも

 浜木綿は葉が枯れることなく、近縁の君子蘭・アマリリス、パイナップルや万年青のような肉厚の葉が何枚もかさなって、古代人には神社の木綿幣(ゆうしで)の束のように見えた。「百重なす思い」を引き出すための序詞(判じ物)として詠まれているわけだ。


 このへんで浜木綿といえば三浦半島、鎌倉でも由比ガ浜に多少自生している。花時は七八月で、だいぶ早い。以前鎌倉でみたときは御覧のようにあまりいいコンディションではなかった(上写真右・稲瀬川河口付近)ので、ほんとうは浜木綿の方がみたかったのだが、今年は白花曼珠沙華でがまん。

 曼珠沙華は英語ではスパイダー‐リリーともいう。近縁種のユリなどとともに、日本からも数多くの品種が欧米に輸出された。だから逆輸入のものも多く、舶来の園芸種でも純粋な外来種というわけではない。園芸種の総称となっているリコリスLycorisは、ギリシャ神話の海神ネレウスの娘のニンフの名にもとづくらしい。だが海辺のヒガンバナ類といえば浜木綿だろうし、ハマユウの仲間はアフリカなどにも多いという。


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