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もちださんの鎌倉リポート No.236(2016年11月26日)



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東遊



師岡熊野神社にて
 御神楽の亜種に「東遊(あづまあそび)」という演目がつたわっている。歌詞に「相模」や「駿河」の地名がでてくるように、もともと東国の舞曲であったらしく、朝廷が蒐集した全国各地の風俗歌の一部でもあったようだ。

 のこっているのは五曲だけ。高い音域、エキゾチックな呂旋法をからませて、印象はちょっとあかるい。ながく宮中祭祀にもちいられ、有名神社などでも、一般公開される機会は多くない。そのうえ古代の音楽は耳に遠く、ほとんどのひとにとっては難解ですらあるようだ。


【一歌】 はれむな 手を調へろな 歌 調へむな 相模の嶺
【二歌】 え 我が背子が 今朝の琴手は あはれ 七つ緒の 八つ緒の琴を 調べたるごと や なをかけ山の桂の木や

【駿河歌】 や 宇度浜に 駿河なる宇度浜に 打ち寄する波は 七種の妹 言こそ佳し
○言こそ佳し 七種の妹は 言こそ佳し 逢える時 いささは寝なんや 七種の妹 言こそ佳し
【求子歌】 千早振る この御社の姫小松※  あはれれん れれんや あはれの姫小松

【大比礼歌】 大比礼や 小比礼の山 はや寄りてこそ
○寄りてこそ 山はやあよらめ 遠目はれ

 舞にきわだった特徴はないが、ほぼ内側をむいてひだりまわりに旋回してゆく構成。舞人は四人か六人、正式には六人で舞うようである。「求子」の段では片袖を肩袒(かたぬぎ)にする。


 唱歌は息継ぎや生み字・メリスマ(音節のメロディ化)によって、分解寸前になるまでゆったりと展開する。歌詞が難解であるのはともかくとして、シブラル(音節)がとことん長くひきのばされるため、いったいどこを歌っているのかさえ、わからなくなる。

 伴奏にもちいる楽器は中管という小型の神楽笛、篳篥、和琴に笏拍子。中管(東遊笛・または高麗笛)は通常の神楽笛(太笛)より長2音高く、舞楽管弦の高麗楽にも転用される。構造は神楽笛とおなじく、指穴は6孔。吹き口で高低を吹き分ける横笛類の音域は2オクターブちかくあり、雅楽いっぱんで技巧的なメロディを担当する。

 篳篥は葦笛。オーボエなどと同じくリード(歌口・舌)を濡らして吹くのが特徴で、音域はせまいが他より音が大きい。おもに地下人の楽器とされるのは、間違いがゆるされず非難が集中しがちな基旋律を担当したからだろうか。平安時代には清少納言など、ひどく嫌う人もいた。バランス的にはたしかに、弱音器でもつけたほうがいいと思うが、音価の微調整がきくのが長所とされる。



(※鶴岡八幡にて)
 「琴」という文字は、もともとスチール‐ギターのような別系統の小型楽器「琴(キン)の琴」をさすが、はやくにすたれたためふつうお琴といえば箏(そう)をさす。和琴は絃を緒で締め、琴柱をたてて調弦する「箏」ににた楽器。大陸系の箏にたいし、和琴は縄文以前からあった素朴な古代琴のおもかげをのこす。

 古代には鴟(とび)の尾琴といって、尾部に扇形にひらいた板かざりのついたものもあったことが、出土品や埴輪などによって確認されている。庭楽では琴持ち役にささえられ立って演奏するほか、埴輪ではひざにのせて弾く例もあり、もとはあまり大きなものではなかったようだ。雅楽における弦楽器(琵琶や箏類)は、清掻(すががき)といって常にリズム(拍)を奏で、とくにメロディやアルペジオを弾くことはない。

 雅楽における合音は、近代和声における協和音【ドミソ】とはことなる特殊なものだ。基本的には3度(ドミソのミ)を欠くサスペンドで、近代音楽の尺度では不協和音に類する。3度を欠くのは、古代の分数調律法では上下5度(ファドソ)いがい、ただしく共鳴しなかったから。


 装束は神事用の小忌衣(おみごろも)の一種で、闕腋の袍にかさねてつくられ、「青摺の袍」とよばれる。竹・雉をあしらう素朴な青摺模様には「山藍(やまゐ)」をもちいる。藍はジャパン‐ブルーとよばれることもあるが、これはインドからつたわった種属(インディゴ)らしく、自生種では青変せずに濃い緑色にとどまる。浮世絵で知られる広重の藍はベロ藍(プルシアン‐ブルー)といって、これは藍草ではなく舶来の鉱物染料だ。

 巻纓・緌(おいかけ)の冠には、祭のきせつにあわせ桜の枝やフタバアオイを頭挿(かざし)にすることもある。そのばあい歌詞(※印あたり)も、当地の祭りに合わせて多少変わってくる。ベルトは石帯といい、細剣をさげ笏を挿す。帯飾りのネクタイのようなものは平緒という。これらは他の舞楽と同様、基本的に武官装束をしめしている。


 はじまりとおわり、時間や進歩という概念はここにはない。機能和声(スリー‐コード)によって起承転結を単純明快に示す調性(code=掟)ではなく、永遠にくりかえす旋法(mode=相)というものがあるだけだ。ハーモニーの語源は「調和」であって、のちにバロック(装飾過多)とよばれるような劇的な展開や感情の起伏ではなかった。

 ギリシャの理論ではオクターヴをヘクサコルド(ドレミファの原型)より短いテトラコルドという約半分の単位に分解しており、「君が代」でいうと出だしの短調っぽい低いポジションが律旋、「八千代に」のような長調っぽい高いポジションを呂旋と説明する。これは半音のちがいにすぎず、「ロレツ(呂律)が回らない」の語源になったように、素人にはなかなか区別がむつかしいものだったらしい。君が代にピアノ伴奏(和声)がつけにくかったり、「八千代に」のところが唐突に転調っぽく、現代人にはかなりうたいにくく感じるのも、短調とも長調ともことなる固有の旋法(壱越調)に由来する。

 明治の人の音感覚は、こんにちとは反対に軍艦マーチの「まもるもせめるも」の「め」のところを苦手にしていたなどと、なにかで読んだことがある。ようするに呂律をとりちがえてしまうわけ。


 日本人がまるだしの短調で恋や希望をうたったり、軍歌をがなったりしたのは、おそらく近代になっても律旋の感覚がぬけなかったからだろう。「美しき天然」「青い山脈」「露営の歌」「四季の歌」・・・。こうした懐メロ歌謡の、あかるく朗らかな、もしくはいさましい歌詞が示す【本来の意図】とはうらはらに、現代人の耳には底なしの悲嘆や絶望にしかきこえないのは、現代人の音感覚がようやく近代化してしまったからなのだ。

 それは近代教育がまちがっていただけで、ほんらいの律旋は短調などというものではない。明治の耳には、おそらく短調のもつ哀愁も、ちょっとした味付け、厳粛としたなかに微かに漂う仄かなペーソスというくらいにしか、感じられなかったものとおもわれる。ぎゃくに明治の人々は、現代人が苦手とするリストとかドビュッシーとか、難解な旋法表現をもつ「前衛音楽」には、むしろ親近感すら抱いていたようなのだ。


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