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もちださんの鎌倉リポート No.243(2016年12月28日)



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遊行寺宝物館にて


 一遍聖絵は弟子の聖戒が監修してほぼ同時代にえがかせた一遍上人の伝記絵巻1299。絵師は円伊。聖戒の寺であった京都歓喜光寺(六条派)につたわったが、同寺は立ち退きで山科にうつるなど、公開の便がないとかで、数年前からほとんどが藤沢遊行寺に移管された。もともと遊行寺につたわる遊行派の「遊行上人絵巻」は内容を異にする別本だったため、国宝の有名なほうがめでたく本山にやってきたというわけ。遊行12派が解体・統一されたのは戦後になってからだ。

 宝物館のリニューアルにあわせ、昨年全12巻の一斉展示がおこなわれたが、もちろん狭さはかわらず、巻き返しながらのちょっと出し。期間の後半は県立博物館や金沢文庫などと連携し、展示スペースをひろげての公開となった。まあ今回でなくなるわけじゃなし、あまりにも濃密な絵巻なので、数多くの画面をいちどで消化できるわけでもない。


 リニューアルは天井からの薄暗い照明が改善されたのだという。展示室いりくちの空也像のところに、館長が自慢げにたっていた。混雑のあまり入場制限までおこなっていたが、見物の列はあきらかに「説明板」のところでとまっている。おとしよりには字がちいさいのだろう。LEDはたしかに明るい。ただ、あえていえばかつてのまばらな白熱灯のほうが、画面のシワとかツヤとか、つまり「ほんものらしい」マチエールをかんさつしやすかった気がする。たとえきれいに見えたとしても、【複製とかわらない】のでは、あまり興がわかない。

 行列のなかには、歴史好きのちいさな子まで文句もいわずならんでいた。人混みは苦手だが、大人がむずがっていては、ばかだ。

 いちぶの絵は幕末の修理のさい流出し、三渓園をへて上野の国立博物館にはいり(四条道場・関寺・市屋道場などの段)、個人蔵の断簡(江ノ島)などもある。切り出された部分はとうぜん複製になっている。図版は中公社の絵巻大成などでみられるほか、上記展覧会の図録もべんり。詞書の内容は六帖縁起などとして公刊されてきたため、岩波文庫などでもよめる。



「日本絵巻大成別巻 一遍上人絵伝」1988中央公論社刊より引用・構成
 絵巻物の群像表現は、西洋絵画をはるかにしのぐ。16世紀に活躍したブリューゲルなどでさえ、地獄絵などにみられる宗教的な主題・寓意性を脱却しきれておらず、庶民の生活をありのままに描いたものではなかった。一遍聖絵は、筋書きとは一見無関係にみえるような鎌倉時代の社会史を、ことこまかにえがく。それこそが大判絵巻(*半紙を縦継ぎにしたていどの幅)のなかにあえて豆粒のようにえがかれた、一遍の人生をとりまく「背景」であるかのように。

 左図上部にかかげたのは、四天王寺南の路地にある移動家屋。車輪がついているのみか、屋根には反りもあって、けっこう丈夫そう。これはあるていど裕福なひとが、病者になって隔離されたものらしく、路地口には縄まではってある。絵巻のすみっこに、ひじょうに小さくえがかれているが、その稠密なまなざしこそ、この絵巻の最大の特徴。標準的なモニターであれば、ほぼ原寸にちかいといっても過言ではない。

 中は寺社のかたすみに縄張りをもうけて施行をうけるもの、下部は浮浪者の小屋で餓死したものにカラスがむらがるのを、面倒見のいい非人仲間がおいはらっているところのようだ。飢饉などの困窮者をうけいれる場所はほかになかったが、さすがに非人仲間にもヒエラルキーはあって、新参の浮浪者にまで職や施行が十分にゆきわたるわけではなかったのだろう。そこは現在の近隣関係とまったくおなじだ。


 一遍がしたことといえば、踊り念仏という、盆踊り大会のようなものでひとをあつめ、札をくばる。札には「決定往生六十万人」つまり全員成仏、というようなことが書いてある。あつめたカネは施行にまわし、法談もそこそこに、またほかの土地へと旅立つ。「全員成仏」というのは、人間の平等を示す思想だ。一遍は特定の教団形成よりもまず、札をくばることを目的とした。

 インドにはご存知カースト制度があり、前世の悪が転生して生まれながらの身分を規定した。そんなものはない、と釈迦はいい、身分や財産をすてることをすすめた。だが釈迦の死後、「悪に報いはないのか」ということがもんだいとなる。複雑な縁起説がうまれ、因果応報が再燃する。もちろんこれは社会の悪・金持ちの横暴を懲らすことが目的だったにはちがいないが、腐敗した仏教徒は標的を弱者にむけはじめる。寺へ年貢をおさめろ。おまえには、うまれながらに前世の悪がある、などと。

 そんなものはない、あらためてそう宣言するのが札くばり(賦算)の意味だった。


 そのちっちゃい札は、正月の初賦算をはじめ、上人が折々の機会にいまもくばっている。現在の藤沢上人・他阿真円さん(97)は時宗法主・遊行七十四代、藤沢五十七世。札の印面は、いまもかわらず「南無阿弥陀仏 決定往生六十万人」。60万は一遍当時に推定された日本の総人口。非人とされた人、あらたに生れてくるひともいるから、生前に一遍がくばったのは寺の記録だけで25万1千人、実数は100万とも、200万枚ともいう。浄・不浄にかかわらず、信・不信にかかわらず、だれにでもくばった。

 阿弥陀仏という仏は、すべてのひとを往生させ、輪廻転生を切り、かならず成仏させると約束した。ならば信じようが信じまいが、往生はもう決定している。腐敗僧が主張するような神罰とか仏罰なんかないし、年貢だの布施だの念仏の量だのといった虫のいい前提条件など、いっさい存在しない。往生させるのはわたしでもおまえでもなく、阿弥陀仏なのだから。万民が平等に成仏するならば、主従だの親子だのといった縁は必要でないし、自他が等価であり平等であることはすでに【決定している】。


 時衆とはもともと、念仏などの法会の「期間中」における一時的なメンバーをさす言葉だったが、一遍は「一期不断念仏結番」というのを組んで片時も念仏をやすめず、生きているかぎり六時念仏の「期間中」である、とした。同行の者48名を24時間、六番にわけたローテーション表のようなものが、のこっている。それはだれかのための法会(融通念仏)というものではなくて、むしろ今がみずからの臨終の「瞬間」である、と片時も忘れず観念するためのものだった。

 愛憎・妬みなんかも自他の執着からくるもので、そんなものはなくなったほうが相手ばかりか、自分自身も楽になるのではないか。そんなものに囚われた社会に、異を唱えようという思いだけが一遍をつきうごかしていたのだ、とおもう。教団はつくらず、まずすべての人間に、あますことなく札をくばろうとかんがえた。なかには、わけもなく敵意をむき出しにして刃を振りかざす者もいた。有縁の世界とは、もとよりそんなものなのだ。

 「唱ふれば仏も人もなかりけり」・・・その瞬間には、阿弥陀仏が実在するかなんていうのはもはや問題ではなかった。臨終には誰もが仏であり、敵味方の差別もない。かれは「教え」たかったわけではなかった。余生を費やして確信したかっただけなのだ、たぶん。いまならば、原爆犯人トルーマンの墓にさえも拝んだだろう。たとえ、きちがい(狂惑の奴ばら)といわれても。



(引用構成・前掲書より)
 絵巻には修正の跡があり、金沢文庫では絵絹をはがした修復時の画像がパネル展示されていた。ある場所で、一遍は上半身はだかで布教していた。一遍上人と混同されることのおおい一向俊聖の絵巻にも、裸で布教する一向の姿がしられている。機会が無くみていないが、さいきんの映画では、天真爛漫なキャラクターで人気のコメディアン、ウド鈴木さんが演じたという。

 宝物館にはこのほか、教科書で有名な後醍醐天皇の肖像画などもある。北条高時が最初の本山・当麻無量光寺をべつの弟子にやってしまったため、北条幕府滅亡後に藤沢を公認してくれた、その報謝のためにまつったのだろう。毎年御所に上人みずからが訪問するしきたりになっていた足利公方にたいしては、敵味方供養という宗旨の根本について説く、教材であったのかもしれない。鎌倉での拠点・別願寺には、公方持氏の寄進状や、「桜花度々到来、悦入候」云々の礼状などがのこっており、かなり親密な間柄にあったことが知られる。その別願寺文書は文化財オンラインというサイトから閲覧できる。


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