トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第249号 


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もちださんの鎌倉リポート No.249(2017年2月9日)



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 この河豚のようなものは、冬の鳩。

 断熱効果が高いのは空気だから、自前の羽布団をふくらませ、できるだけ多くの空気をためこんでいる。これが暑い夏だと、石畳の冷えた部分にへたりこんで、身を細くしてからだを冷ます。恒温動物にも、四季を乗り切るための工夫がひつようだ。

 「鳥肌が立つ」ということを、古語では「毛穴が太る」といったらしい。「笑壷に入る」とか、古語には面白い言い回しがすくなくない。「総毛立つ」「身の毛がよだつ」なんて言葉もある。人間と鳥がおなじ先祖をもっていた時代には、いったいどんな姿だったのか。


 一般の鳩はカワラバト。通称のいわゆるドバトは、お寺なんかに多いので堂鳩とか塔鳩といわれたものがなまったもの。伝書鳩とかレース鳩もこの一種。

 木立で寂しげな鳴き声を聞かせるのはキジバト(山鳩)。山鳩の歌、といって思い出すのはシェーンベルクの壮大な音楽劇「グレの歌」。原作は夭折したデンマークの作家ヤコプセンが書いたものらしく、山鳩は王の恋人トーヴェ(Tove)の死の、その真相をうたう。暗いお話であるうえに、印象派ふうの奔放な和声進行が多く、マーラーなどよりもさらに一歩、すすんでいる。

 神奈川の珍鳥といえば、まいとし大磯で見学会がおこなわれているアオバト。海水を飲みにくる奇妙な生態でしられる。カラスバトはおもに島にすむらしく、その他の種についても、このへんで見たという話を聞かない。法隆寺でおなじみの斑鳩(イカル・三光鳥)というのは、鳩ではない。


 中国では鳩(鴿・イエバト)を食べる。アジア留学生なんかはどぶ川の鯉でさえも、料理の話題にする。ただ真似ればいいというものではないが、田舎の学者ほど、文化の違いをみとめることができない。「正義」にもやっぱり、国境はある。

 日本では仏教以前においても、「天つ罪・国つ罪」などといって、牛馬犬鶏猿などの家畜を食うことは禁じられていた。狩で獲るものよりも社会的成員である家畜のほうに、つよいタブーがあったようだ。たぬき汁とかキジや鶴の肉、雁の卵なんてものが古典におおくみられるのも、それが家畜の犬や鶏ではなくジビエ料理であることを強調したのではなかったか。実際には鳥飼・犬飼・猪飼などがいて、肉食文化をもつ集団もいた。

 一方で狩猟対象であっても、春日の鹿、伊吹の猪、稲荷の狐など、神社の「神使(つかわしめ)」として神域や祭りの期間などに限定して崇められ、聖別されるものも存在した。鳩サブレのパッケージでしられるように、八幡宮の神使は、もちろん白い鳩。


 王朝時代には白い動物を瑞祥として珍重し、朝廷にたてまつる習慣もあったようだ。八幡宮の白鳩は「飼われている」らしく、どことなく他のドバトに較べ、伝書鳩を養殖したような、人工的な雰囲気がある。帰巣能力が高いのでどこかへゆくことはないのだろう。

 弁天池に面した、お休み処にすわって缶コーヒーでも飲んでいると、鳩はしぜんあしもとに集まってくる。ここで餌をあたえる人が多いからなんだろう。なかには全身に鳩をたからせて喜ぶ、ハードな愛好家の姿も。ただし免疫力の落ちた人には感染症の危険もあるという。鳥もまた人間に触られるのはあまり好きではないようだ。

 個々の顔がわかるようになれば、相当の鳥マニア。鳩のほうは、意外に人の顔をおぼえるのだという。厄介者の鳶も、こんなふうに人になついたら、きっと大好きな唐揚げなんか毎日のようにもらえたはず。鷹にちかい、なかなか精悍な顔をしているのに、迷惑行為をもっぱらにし、みずから嫌われる。不用意に餌付けをする【人間】の責任も大きい。三歩で忘れる鳥あたま、なんてことわざは残酷なようでいて、いくらか真をうがっている。


 鳩の寿命は数年から十数年。ツバメや鴨、ユリカモメなどのような渡り鳥ではないので、アオバトのような特殊な例をのぞいて、たぶん春になっても秋になっても、さほど遠くへゆくことはないとされる。繁殖には栄養を濃縮したピジョン‐ミルクというものを吐き出すことができるので、雛の成長ははやい。人が与える餌の数だけふえるのだ。

 鳥たちの声を、古来音楽家たちが模倣してきたが、本物のようには鳴らなかった。そもそも絶対音感なんかは嘘っぱちで、自然界の音に人間が定めたような音階なんかないのだ。「鳥のカタログ」をつくったメシアンの鶯(「七つの俳諧」)もなんだか変だし、ベートーベンの郭公はミ・ドだがマーラーのはファ・ド。これは耳の問題ではなく、人間の音階とはもともとずれているから。正確な音階による演奏よりも、不安定な口笛やおもちゃのウグイス笛のほうが本物にちかいし、とうぜん本物の鳥たちの、音価なんか気にしない自由な鳴き声のほうが、耳にはずっと心地いい。


 元寇は数百艘ではなく、「実際には」何百万艘もいて、目に見えない部分は八幡の鳩が飛んでいって、人知れず「羽風で沈めてくれた」・・・。ある種の夢想にすぎない、そんな伝説から神風神話は生まれ、鳩は神使として崇められた。じっさいに元・高麗船を破損させ鷹島に追い詰めた天然の風、そして主力の一部を取り逃がした、学者ののべているような不十分な大風は、「神風」ではなかった。

 サブレはむかし首の折れてるやつが多かったけれど、いつからか包装が進化して折れなくなった。すこし堅くなったかも、という人もいる。こちらは八幡宮の額にデザインされた鳩マークを比較的忠実にあしらった、和三盆の菓子。たしか「若宮大路」とかいうやつ。和三盆は黒糖を職人が丁寧に砥いで肌理細かくし、重石をして苦い糖蜜を除いた、和菓子専用の高級品。雑につくったものは黍砂糖などとよばれる。

 家紋の鳩はもっと写実的にデザインされたもので、熊谷直実の「鳩に寓生(ほや*ヤドリギ)」は、石橋山で頼朝をすくった二羽の鳩にまつわるという。


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