トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第252号 


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もちださんの鎌倉リポート No.252(2017年2月21日)



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木・1



瀬戸神社(横浜市金沢区)
 古木のほとんどは、神社や寺院にある。かつては生活の糧としてりようされた一方で、枝一本葉一枚持ち去るべからず、立ち入りさえ厳しく制限された神域もあった。禁忌が伐採をふせぎ、古い自然を残してきたのだということは、信仰が持続可能な自然環境をのこすために存在してきたことを示す。近代が信仰を否定したのは、自然破壊と不可分なのだろう。

 古来名木と謳われながら、すでに折れたり枯死した木が多いのはざんねんなことだ。旗立て松も、杉田の杉も枯れてしまったし、神奈川の龍灯松もうしなわれた。なかには先日の「柏尾のモチノキ」のように、「所有者の親戚」を名乗るものが強引に伐採してしまうケースもある。

 2010年には八幡宮の大銀杏が倒れた。だいぶ枝打ちをして、かなり軽くはしてあったようだが、大雨突風など温暖化による影響なのか、鎌倉音楽祭で「鎌倉ブギウギ」を歌いながら石段の客が飛び跳ねすぎたせいなのか。ちいさな理由は、ほかにもいっぱいあるにちがいない。ワイヤーで支えて、根がはるまで土の養生をすればよかったのだろうか。



鉄神社(横浜市青葉区)
 樹齢も400年を越せば桃山時代から生きてきたことになる。ただ年輪は切ってみなくては本当のところはわからない。あるいはまた、子株やひこばえが伸びたようなものだと、親株はくずれ痕跡もわずかになっていて、そんな場合、果たして親株もおなじ個体として樹齢に組み入れていいものかどうか。たとえば柑子(小ミカン)とか、禅師丸柿などの「原木」なるものがつたわっているけれど、先代・先々代の古株がほんとうにそこにあったかどうかは、推測・伝承の域を出ない。

 「公暁のかくれ銀杏」にしても、じっさいに年輪として1000年が測定できたわけではないようだ。「鎌倉物語」1659には「上宮石橋の砌、いちやうの木陰まで公暁伺来て、丞相を害し奉り」云々。安藤東湖の「遊湘紀事」1717には「階の右に銀杏の一株あり。これを求iはか)るに十囲、長けは十仭に幾(ちか)く、潅翳欝茂す。乃(すなは)ち僧公暁が隠れ以て実朝を弑する所てえれば、四百年前(*ママ)、既に然り。則ちここに至り、その大きなるは宜(むべ)なり」などとみえている。



遊行寺(藤沢市)
 年輪は季節の寒暖の差によってきざまれる。寒冷な年と温暖な年とでは、微妙に幅がちがう。考古学では、それをものさしにして、遺跡から出土した木材から伐採年を割り出す年代測定法がある。またC14(放射性炭素同位体)の残存率から測定する方法も併用される。だが日本では、「日本のもののほうが古いと、中国に申し訳ない」といって、直感をたよりに研究者が測定値を勝手に変更(補正)することも慣例になっており、弥生時代のはじまりや、縄文時代のはじまりなどに、深刻なばらつきがある。

 C14の崩壊率にはたしかに誤差があり、研究者は「日本にだけ特殊な環境がある」「日本でだけ海からの特殊な放射性ビームを浴びている」などと、自説をとりつくろう独自の物理法則を創作してきた。

 諸説あるのはけっこうなことだが、基準の単位がまちまちでは、5(寸)と10(センチ)・8(インチ)などを数値だけでくらべて喜んでいるようなものだ。年代測定のものさしが国内外、また研究者ごとに違うのでは、もはや科学の体をなしていない、といってよいだろう。それゆえより確実な、年輪解析の実例がふえてゆくことに、期待が高まっている。



熊野神社(横浜市港北区師岡)
 植物の進化の歴史はよく知らないが、数億年前、最初に種子をつけた植物の類いを裸子植物というらしい。ソテツなんかはたしかに原始的だし、高級な八百屋のマツタケの下に敷いてあるサワラ(*ヒノキやヒバの一種)の葉っぱなんかも、よくみればトカゲの鱗っぽいイメージだ。マツやスギ、カヤにマキ、イチョウなんてありふれた木みたいだけれど、じつはすでに繁栄の歴史を終え、絶滅による淘汰をへた、残りわずかな種族らしい。恐竜をほろぼした巨大な気候変動などで、地上のおおくの種が枯れてしまった時期もあったのかもしれない。

 現在繁栄をきわめているのが被子植物というもので、桜も苺も林檎も桃も、すべておなじバラ科の仲間だったりするように、遺伝子変化は多種多様。樹木もあり草花もあり、収斂進化によって別の種族がかえって似たすがたをしていたりと、素人目にはほとんど分類上の区別はつけられない。



龍雲寺(横浜市都筑区東方)
 仏教では、万物は仏のはからい、と考えられてきた。釈迦は輪廻とかカースト(身分差別)を否定したけれど、やがて「一切は空(くう)」という唯識の哲学は深められ、因果応報、業(カルマ)というものに改めてスポットをあてるようになった。

 人間の意識の中には理路整然とした意思・思考・感覚のほかに、マナ(末那)識といって自我(アートマン)がはたらいて正常な判断を狂わせる。さらには個人の責任ではなく、アラーヤ(阿頼耶)識といって、遠い過去からやってくる生物進化の集積、人知をこえた本能とか宿命のようなものも、生命の本質に宿っているとする。苦や不幸の原因をなす、こうした全てのものを「一切空」として滅却するのは、どのような悟りなのだろう。・・・全世界のすべてのものが仏であり、他者もまた私であり、なにひとつ無関係ではないということ、これを縁起説とか華厳思想とかいっている。華厳とは無数の花をつけた一本の樹、といったいみ。生態系もそのひとつなのだろう。



石塔坂(横浜市青葉区)
 この木は「枯れ葉やどんぐりが落ちる」といって、特定の人物から執拗な攻撃をうけているようだ。刑法261条器物破損罪などにあたるほか、やがて物言わぬ動物や、弱者虐待へとエスカレートするおそれをも秘めている。先年世田谷で、気のふれた元警官が野良猫のことで腹を立て、日本刀をふるい近所の方を惨殺してしまった。

 自らの歪んだ正義感や特権意識、あるいは積年の劣等感といったものが、痴呆という病によって歯止めをうしなったとき、突然暴走しはじめる。じぶんは狙われている、じぶんは何者かに、おびやかされている・・・。狂人が幹に何枚も打ち付けた板や、無惨にただれた樹皮のそれぞれが、孤独な老人の、無惨に崩壊しつつある脳幹組織そのもののように思えて、なんだか哀れに痛ましかった。



熊野神社(横浜市神奈川区東神奈川)
 この木は慶応四年の神奈川の大火、および横浜大空襲で全焼しながら、二度にわたって自力で再生したという。木にはもともと外側(辺材)に分裂組織があってあらたな年輪や表皮をうみだすが、内側(心材)はほぼ成長を止めた永久組織なので、丸焦げになったままだ。イチョウは水分の多い木だから、辺材ふきんで焼け残った細胞がさかんに分裂能力を再開し、若返ろうとつとめてきたのだろう。いまも多くの実をつけ、まずしい人をうるおしている。

 いくつかの古木では雷で心材が燃えたり、朽ちたりして洞(うろ)になったものや、なかば折れたりしたものもある。八幡宮の大イチョウも幹や枝の空洞がだいぶひろがっていたのに、枯れたり折れたりはしなかった。根が自らの成長を支えきれず、「倒れた」のだ。それでも完全に死にたえたわけではなく、再生はゆっくりと、すすんでいる。木は人間なんかよりも、よほど器用に生き続けてきたのだ。


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