トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第270号 


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もちださんの鎌倉リポート No.270(2017年5月31日)



No.269
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蛍・1


 県内有数の蛍名所としてしられる「県立四季の森公園」からちょっとあるくと、さいきんクチコミでしられるようになった【自生の蛍】の【穴場】がある。ここは某人気タレントの実家(中学時代の友達の家のおとなりさん)のすぐちかくで、近年「メダカひろば」という親水公園になったところ。

 自生のだから、ちいさなヘイケボタルだ。これはもともと上流にあった田圃ふきんにいっぱいいたもので、むかしはマムシなんかもいたから、昼でも畦に近づく人はなく、ほとんど独り占めみたいに見ることが出来た。蛍が公園に移動したのは、田圃が消えたことや、親水公園に植わった芦原が、蛙などの捕食者から幼虫を守る効果があったためかもしれない。メダカの屍骸も、幼虫のえさ。


 周辺の「上級者向け」の場所とくらべて比較的安全ということもあり、子供連れなんかもおおい。ピークの時間帯は夕闇が深みをます七時半ころ。安物のデジカメだとほとんど何も映らないので、これらは試しに星モード一分間露光でとって、蛍ぶぶんを大きめにトリミングしてみたもの。見易いよう圧縮後にコントラストなどを加えたほかはCGや合成はなし。蛍の多さや手持ちによるブレ、以下の写真で空が昼のようにみえているのは、60秒分の露光によるカメラのいたずらにすぎない。

 もちろん人間の目はすぐに暗闇に慣れるから、地上の風景はだいたいこんなもの。ゲンジボタルほどではないにせよ、蛍ももっとずっと明るく、はっきりみえる。ほんものの輝きは、どんなプロにも映せたためしがない。初めて見るちびっ子たちが、まるで縁日にでもきたように、遊歩道を走りまわる。ちいさな手のひらで不器用につかまえては、「早く放してあげて」という母親の声にしたがって、おずおず指を開く。ちゃんと飛んだ、よかったねえ。蛍は潰れやすいのだ。


 新興住宅の造成は、このへんでもざくざく進んでいる。丘陵を侵食して行くそこそこおしゃれなプチ豪邸や高層アパートは、あっというまに新たな住民でうまってゆく。山田右京の塚とか、念珠坂地蔵堂の石碑とかも、いつのまにかなくなり、いくつかの旧家もすがたをけした。いまは小学校が移設されたこのへんの芦原のなかに、かつてちいさな沼ができていて、赤とんぼが蚊柱のように舞い、思いがけず鴨の群れがとびたった、そんな記憶もある。

 このまわりには今でも、10以上の谷戸をふくむ広大な「新治市民の森」や「三保市民の森」、念珠坂公園、横浜動物園ズーラシアとそこに隣接する「里山ガーデン(期間限定)」、前述の「四季の森公園」、小川がそそぐ鶴見川沿いには洪水調整地区の田んぼや果樹園など、まとまった緑地がすくなくない。それらが生態系の緩衝地帯となって、このわずかな自然をまもっているのだろう。


 蛍も多いが、見物人も多い。こんな地味な名所でも、SNSかなんかでいついつが見ごろとか、瞬時に拡散するようだ。自動車のハイ‐ビームは蛍の生態にとって毒なのだが、くらやみにこれだけの人が徘徊しているとなると、点けないほうが危ない。

 ふるい住民のなかには迷惑がる人もいるらしく、不法駐車はNG。通報されたという話もきいた。独自の自治会のある新住民と旧住民とのあいだには、微妙な対立もあるらしい。なまじ首都圏であるだけに、焚き火ができなくなったとか、タケノコが盗まれるとか、あれやこれや、昔ながらの農村の感覚と都会の常識との齟齬があるのかもしれない。


 四季の森公園をふくめ、一般の蛍の名所では、毎年養殖したゲンジボタルの幼虫を放流している。自生のものではないし、完全に定着したものでもないのだ。四季の森では園内の街灯をけして、極力自然に戻そうとしているが、それでも「養殖」「人工」の名は拭えない。スマホの明かりや捕獲も禁止だから、こどもたちがたまさかに触れ合える環境でもない。

 文豪谷崎潤一郎が、蛍の名所の有名無実化を嘆いたのは昭和10年。観光化がかえって蛍の居場所を奪ってしまったと、たぶん「陰翳礼讃」の付録に所収する、「旅のいろいろ」というエッセイにかかれている。蛍が餌をたべて成長するのは幼虫の時だけで、羽化して以降は交尾のためだけにとびまわる。光りは相手をさがすための決死の合図だから、人間のもたらす余計な「明かり」は生命のサイクルを狂わせてしまう。さいわいなことに、ここに集まる現代の大人たちの多くは、その辺の事情をわきまえているようだ。


 大規模開発をまぬかれた理由はいろいろある。このあたりはその昔、大池があった湿地帯で、鎌倉古道というのは、念珠坂公園附近からいま団地になっている尾根筋を迂回して、宅間上杉憲直の榎下城へつづいていた。バス通りも昭和のはじめに切り通しを開削するなどして別の谷筋へ迂回。いまも大池の名残りは池の谷戸の遊水公園になっていて道をせばめ、薄暗い生活道路が通っているだけだ。極端に民家が少ないわけでもないのだが、蛍にとって、その「暗さ」が絶好の環境をつくっている。

 農村だったころの名残りで、杉沢堰という、農業用水の遺構ものこっている。蛍はこのへんにもでていた。黄色いかきつばたが咲いているはずだが、さすがに夜目にはほとんど白黒にしかみえない。やがて風が強くなった。軽い蛍は、風が嫌い。市民の森のなかの、「池ぶち広場」あたりも探索してみたかったが、宵もふけてきて今日はこれで終り。夜中に光ることはほとんどない。


 ちかくの「里山ガーデン」というところで、今週末まで全国都市緑化横浜フェアというのがひらかれているので、昼間にみにいった。実は親戚の農家が寄贈した里山が会場の一部にあたっていて、むかし自生のアケビとか山吹とかをとった記憶がある。むかし蛍をみたというのも、その傍らの田ん圃だったのだが、そこはもうなかば宅地に変わっていた。

 山は植物園の予定地に区画されながら長く塩漬けになっていて、ようやく公園化にむかって、一歩二歩動き出したところ。もちろんもう草木を採ることはできないし、ほぼ自然の森は植え替えられ、下藪も刈られてあらたな花壇になってゆくのだが、宅地になるよりはまし。多くのひとがおとづれ、意地汚い係の者がまるで自分のもののように管理するのだとしても、それはそれとして、アスファルトの町になるよりはずっといい。思い出はうせてゆくが、都市は子供たちのため、百年先のために種をうえるのだ。


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