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もちださんの鎌倉リポート No.271(2017年6月7日)



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蛍・2


 「里山ガーデン」は広大な敷地に花びらを象ったモダンなデザインの巨大花壇がひろがっていた。期間限定・入場無料のイベント用庭園なので、手のかからないポピーやガーベラなど、けして珍奇で高価な花があるわけではないが、取り合わせが巧み。総体としてみるとき、みごとなグラウンド‐カバーとなって【自然】と融合した絶景がうみだされる。経営難の大船植物園など、リニューアルの参考になるかもしれない。

 賑わう入り口ひろばで来訪者の声に耳を澄ますと、すごかったね、・・・あんまりバラはなかったけど(笑)。ひとびとが気になる薔薇の花壇はといえば、期間限定の「ガーデン」ではなくて、緑化フェアの別会場になった山手や山下公園など、ベイ‐エリアの観光地でいつでもみられる。ガーデンは秋にも再開の予定とか。


 雑踏をさけて金網のそとのやまみちをくだると、むかし議員さんをやっていた旧家の跡にでる。屋敷神のお稲荷さんなどが今もいくつか散在している。聞くところでは息子は外国人と結婚し田舎に興味は無いらしく、広大な敷地は相続かなんかであらかた処分されていったのだろう。その一画、ヤギを飼っているお寺「のようなもの」は、墓地経営などが目当ての新興宗教法人であるらしい。

 自然の多い地区では、老人ホームのたぐいも増えた。中世に高僧がでたという、大きな蔵があったとある旧家は、嫁さんに使い込まれたのだという噂。親戚のおやじはまだ辛うじて農家をつづけているが、GoogleEarthのストリート‐ビューでまいど顔が大写しになり憤慨している間の悪い男で、跡継ぎはいない。ガーデンの桜はさいしょ、大家族だった昭和の昔に、その叔父が植え初めたんだとか。

 このへんの旧家は総じて山ふところにあり、里山へは傍らの尾根筋を登って行く構造が多いようだ。そういえば前に紹介した川和菊屋敷なんかも同様。古民家園では建物の古さばかりが重視されるが、ひとびとの生活はそれだけではない。


 蛍の穴場のすぐ近く、「新治市民の森」のガイダンス施設として新治里山公園・にいはる里山交流センターというのがある。その一画に旧家がまるまる寄贈されていて、展示品というよりは無断であがりこんで自由にくつろいだり、座敷で勝手に弁当をひろげたりしてもいいようになっている。

 確実に古い江戸時代の建物は長屋門だけだが、そこもいまはきれいに整備されていて、二階は使用人小屋というより、もはや立派な「離れ座敷」といった趣きだ。下階には季節にちなんだ民芸品なども飾られている。本館は平成になってからの家だが、関東の平均的な旧家のありさまとして都会育ちの人にはめずらしいかも。別棟にはイベントなどに使用可能な竈(へっつい)や古来の農具、土蔵、離れ便所なども復元展示してあり、幕末から明治にかけての主百姓の生活も学べるようになっている。

 門外には資料室を兼ねた管理事務所、「つどいの家」なども建てられた。竹とんぼなどの遊び道具もある。


 近くに何軒か分家一族のかたがいらっしゃるので本名のほうは差し控えたいが、地元の話では当主のかたが観光農園などに手を出して失敗、ここには書けないようなことがあって、遺族は呪われた家屋敷から田畑山林にいたるまで、まるまる寄贈してしまった。いまならどうかと思われるが、当時はまったく観光客が来るような場所ではなかったのだ。

 生前、せっぱつまった当主は地元の人に「ホタル見学、千円」などとわけのわからないことを要求していたともいう。蛍なんかどこにもいるからと、多くは笑ってとりあわなかったというのだが、数年後には御覧のような公園施設になってしまった。詳しい事情は知る由もない。いまは市民団体やボランティアが協力して運営し、そこそこのにぎわいをみせている。どこの者とも知らない人がイベントやらワークショップをひらいており、「いまなら」というのはまさしく、そういう意味。昔のひとだけでどれだけがんばっても、時代はうごくものではないらしい。


 さいきんNHKで代書屋さんのドラマをやっていた。そういえば義理のおば(?)にあたるのだろうか、親戚にも戦後そういう仕事をしたというひとがいて、年とってからも、年賀状の字なんかドラマの人よりはるかに上手かったのを思い出す。じっさい、いまでもそんな仕事がなりたつのかどうかは定かでない。みんな「あの世の人」なのだ。

 都市の緑化、ないし緑地保全は、個人や篤志家の努力だけではむずかしい。行政による協力がひつようだし、たいして土地を持たない一般市民としても、環境は公共の利益という意識だけは、つねに忘れないようにしたいものだ。自然環境はあっというまに壊れてしまう。自分の土地・他人の土地がどうなろうと関係がないという者には蛍を見る資格なんか無いし、せいぜい汚した水を自力で濾過し、自分自身で光合成でもすべきだ。


 鎌倉でも有名な「御谷騒動」いらい中央公園や広町緑地など、環境保全の問題ははてしなくつづいている。市民の「憩いの場」になっているところもあれば、ただ単に立ち入り禁止になっている場所もある。まだ山にはいる人がいるのだろうか、とある住宅街で、夕やけ小焼けのメロディが町内放送でながれていたことがあった。 

 住宅が密集した有名観光地であれば生活道路と観光ルートとの区別もあいまいで、封鎖され荒廃したやまみちも目立つ。津波がきても登り口がなく死ぬ人がいるかもしれないが、それでも自分だけの山林、プライベート‐ゾーンはまもりたい。せっかく閑静な土地を手に入れたのだから。

 私有地なんていっても、無限ではない。もともとは没落した誰かの開墾した土地を借金のかたに責め取るなどして百年千年のあいだ転々としてきたもので、長い目で見ればつかのまの借り物でしかないのかもしれない。



県立四季の森公園にて
 蛍の発光は、ルシフェリンという物質が酵素のなかだちで光る酸化反応。こんにちでは医療にも応用されるため、関連研究で下村博士がノーベル賞を獲得したのは記憶にあたらしい。この時期、たまに鎌倉の海岸で見られる赤潮(夜光虫)の発光なども原理はおなじだ。ただ中世の人々にとっては謎でしかなかった。ルシフェリンの語源はlucifer、すなわち明けの明星であるとともに、禍々しくも蠱惑的な、堕天使の名でもあった。

 日本でも、昔は蛍を古戦場の跡に飛び交う「ひとだま」のように言うひとがいたらしい。京都の国学者・矢盛教愛(1817-1881)は「宇治紀行」のなかで「ここ(*宇治川)の蛍をこの郷の亡魂(なきたま)としも世に化名(あだな)しけるは、いともうたてき誣妄(しひごと)なりや」と書いている。たしかに蛍は、うち捨てられたような場所でしか生きることができない。かりに亡者の霊が蛍になるのだとしても、その蛍が絶滅したあと、幼いこどもたちは私たちの何を思い出すことができるだろうか。
 
 さて、さいごの写真は、今日撮ったばかりの四季の森。こちらはゲンジボタルだか、あんまり飛んでなかったのでこちらは数枚からの合成。悪しからず。


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