トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第289号 


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もちださんの鎌倉リポート No.289(2018年1月15日)



No.288
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コリア庭園・2


 昔、新羅の女王善徳は、援軍ほしさに自分で国土を譲る約束を交わした【唐】に突如背信し、かえって討伐をまねいた。王氏高麗は自分で求めた【契丹】の援軍が、わざわざ撤退するところを追いすがって襲撃し、二度にわたる凄惨な征伐をほどこされた。【モンゴル】に対しては、ひとたび人質を送って降伏したにもかかわらず江華島ににげ、賊徒の反乱をよそおって執拗にいどみかかった挙句、長期にわたる壊滅的な報復をうけた。お次はそのモンゴルに褒められようと、自らすすんで明を攻めて失敗、内通する謀反人に乗っ取られ、ついに亡国を余儀なくする。李氏朝鮮もまたおなじように興奮し、清を襲って二度にわたる大規模な征伐をうけるにいたる。・・・

 土人は歴史から学ばない。ただ「同じことを繰り返す」のだ。韓国人の「説明」では、これらは敗北や隷属ではなく、むしろ自分たちが代々「小中華」として中国人に文明を教えてきた証拠だ、などとして胸を張る。未開人は独自の言語体系(langue)に支配され、その範囲でしかものをみない。いつわりの【神話】に駆り立てられ、かれらは何度でも同じ道をくりかえし歩み続ける。人類学者レヴィ‐ストロースはこれを「冷たい(動きのない)社会」と呼んでいる。もちろんこれは、特定民族だけの話ではない。


 「扇動家は教壇に立つな」。ウェーバー(Max Weber1864-1920)は「職業としての学問」において、そういっている。しかしそんな警句も、馬の耳に吹くという、東からのそよ風のようなものなのかもしれない。戦後市民運動に多大な影響をもたらした丸山真男の言葉に、「日本帝国主義の実在よりも、戦後民主主義の虚妄に賭ける」というのがある。非常にわかりづらい言葉だが、政治学における「帝国主義」とは天皇制のことなどではなく、マルクスが明治維新前後にロンドンで見聞きした大英帝国流の【資本主義(グローバリズム)】のことであり、いわゆる西側世界のことをさしている。

 一方、丸山のいう「虚妄の民主主義」とは「北朝鮮民主主義人民共和国」などと讃えつづけてきたあの民主主義、すなわち文化人が熱愛する「国民的社会主義体制Nationalsozialismus」をいみしている。ようするに大正デモクラシー(普選運動)以来、インテリ富裕層が大手マスコミや活動家を総動員し、不都合な選挙結果を洗脳と暴力で否定。民衆へたくみに植えつけてきた反米・反資本主義の破滅的幻想を忘れられず、見果てぬ夢を戦後もなお、「一心不乱に追い求めてゆこう」という破廉恥なおごり、無反省きわまる厚顔な意思表示にほかならなかった。


 思い出すのは保守内閣を打倒し、反米聖戦をおこせば全世界の植民地、被差別民族、プロレタリア階級が一気に団結して歓喜し、未来永劫に感謝する・・・などとうたった戦前サヨクの恍惚政治。「友好」をふりかざした教育者の身勝手な独善は、国民生活を破壊したばかりでなく、「人類は平等」「五族協和」などと笑顔で説いて、未開人に開化まで押し付けた。勝手連を装いつつ、購読者からなるユーゲントを組織して他社を襲撃、・・・やがて主筆は情報相(内閣情報局総裁兼国務大臣)に君臨、言論統制を獲得して未曾有の400万部(当時)を売り上げた、かの【一部マスコミ】にとっても、それはウハウハの体制だったに違いない。

 ドイツではナチスを生み、ソ連ではスターリン、カンボジアはポル‐ポト。マルクス主義がほんらいの「経済学」であったことなど、一度としてなかった。自称「進歩的文化人」らの期待とはうらはらに、あらゆる社会主義体制は破綻、その圧政と侵略の実像も、ただひとつの例外もなくあぶり出されてきた。いかに「正義」をとなえたところで、そもそも身内の野党すらまとまらず、身近な暴力団ひとつ更生させられないひとりよがりの熱狂と陶酔が、一国を、あまつさえ近隣国や植民地を独善的に「指導」したとして、感謝などされるだろうか。サヨクという言葉は、もはや内容空疎な【記号】でしかないのだ。

 なおも革命幻想にとりすがる心情左翼らは、いまや一縷の望みを周辺国の将来に託すだけ。現実の中韓というよりは、援助・指導する自分自身を褒め称え、「外人参政権」「東アジア共同体」「日韓トンネル構想」などと、とりとめのない寝言をならぺたてては、雄大な自分に恍惚としている。カルト宗教の法悦にも似た、まさしく「虚妄への賭け」だ。



横浜山手
 テレビ朝日(旧・日本教育テレビ)で親しまれた往年の長寿番組「トゥナイト」。全国津々浦々の風俗街を実演つきで中継、浮かれた局アナや「カントク」と称するレポーターが毎回ホステスのあらわな乳に囲まれて絶叫するさまを横目に、なぜか在日の貧困問題や韓国の民主化運動などを、訳知り顔で語っていた、という。自分は良いことをしている、文化人たちは、きっとそう言いたいのだろう。ゆがんだ自己愛もさることながら、垣間見えるのは未開人や貧困層をねらい、札束で歓心を買おうとする【援助交際】の卑しさだ。海外へ買春ツアーにくりだすのも、かれら【愛好家】以外のなにものでもない。

 「信濃毎日」によれば、春山という在日が営んでいた朝鮮労務者向けの売春宿を、東京の大手新聞が軍の慰安婦施設にでっち上げようとハッスルし、廃材まで保管していたという。そんな「援助」をしたところで、土民はますますスポイルされるだけ。「慰安婦」のカネを自分も欲しくなり、大統領までが「一部ハルモ二のひとり占め」を激しく非難。シンバルを打つぜんまい仕掛けの猿のように、何度でも国をあげてゆすりたかりに便乗しようとする。私たちはもう他国の痴呆を救おうなんていうあさましい夢は捨てるべきなのだ。

 偽善はある種の筋の悪い人物たちによる自己欺瞞、【とりつくろい】でしかない。売る側も買う側も、じぶんの醜さを別のなにものかに擬態しようとする。世界最大の移民の性都・サンフランシスコを中心として、各地に繁殖するあのみにくい韓国式風俗街の銅像広告も、いびつな目を持った偽善者集団にとっては、きっと自分と精神薄弱者との【共犯の証し】にしかみえていないのだろう。



伊吹浄・訳。「日本と朝鮮の暗殺」公論社1979所収
 明治時代、朝鮮でたびたびおこなわれた残虐行為の一部始終を米国の外交官・ローウェル(Percival Lowell1855-1916)が克明に書き残している(左)。高官が給与をネコババしたのを日本人のせいにして虐殺・強姦運動をあおったのだ。ただこのような史実は「友好・併合の障害になる」などとして、国内では一方的に隠蔽されてきた。現在もなお、拉致被害者家族の存在を、じぶんたちの交歓の邪魔になると懸念する一部新聞の構成員らが、「北は親日」「チマチョゴリが切られた」「黙らせろ」と陰湿な集団ハラスメントを続けたことは、周知のとおり。

 未開性、発達障害、痴呆など、程度の差こそあれ誰もが生まれながらにもつ特性の延長にあるものだ。しかし、「できない人間」に過度な期待をかけつつ、裏では反日をあおり、中韓の軍国化や民度の停滞ぶりを日夜観察してその反応をよろこぶ迷惑集団は、なんの保護責任をはたしてきたといえるのか。かつて戦争をあおったプロの煽動家が、反差別の風潮をかくれみのに、得意の平和運動を【擬態】しながら、友好とは程遠い近隣国の異常行動をつごうよく斟酌し、尻馬にのり、強権化を励ましさえして、あわよくば「革命運動の進捗だ」などと思い込ませようとする。・・・知的障害者をおのれの欲望のために利用、たくみに食い物にするなど、心得違いも甚だしい。現実を無視し、満面の笑顔で大陸にのめり込んでいった「かつてのばか」の面影を、私たちは今も「まのあたり」にしている。

 発達障害をもつひとは、思い通りにならないとすぐに癇癪をおこす。いちいち叶えてやっているかぎりそれは癖になり、自分は万能、泣けばママはなんでも願いをきいてくれる、と深く勘違いしてしまう。「自分たちは最先端サヨク→自分以外は、すべて右翼→殺せ」。狂気のセクトに煽られ、幼児型の万能思考にとらわれた南北の核・ミサイル競争は、けして冗談などではない。もはやそれは人類一般の生存権にも関わる、深刻な事態ではないのだろうか。



高麗仏(東京国立博物館)・右は「ブッダ釈尊」展図録(奈良国立博物館S59)より
 折しも近年、アジアの心は知り尽くしていると豪語する例の一部マスコミが、「対馬の仏像・誰のもの」などと銘打って、仏像ドロをあおっている。みすぼらしい近隣国に、日本の文化財を分けてやろうというわがまま勝手な「思いやり」、「福祉の心」であるらしい。盗難被害はとどまるところを知らない。壱岐安国寺・梅林寺・海神神社・観音寺(長崎県)・鶴林寺(兵庫県)・叡福寺(大阪府)・隣松寺(愛知県)・・・。住職を金属バットで襲う(福井)・警備員を射殺(東京)、はては国家ぐるみの返還拒否・韓国宝指定と、手口はますます凶悪化。「思いやり」はむしろ敵愾心を涵養し、相手の万能感・虞犯性をかきたててきた。

 トンデモ史観などといっても、教員や大手マスコミが垂れ流せば小中学生や高齢者にはなかなか区別がつきにくい。亀石は韓国製、「サ行」がつく地名は古代韓国からの渡来人集落、・・・夏の洗脳セミナーで「教わった」ウソを、さも得意げに解説する教員もいる。鎌倉でもかつて某料亭跡にゴミとしてころがっていた石燈籠を「古代韓国製」であるとして、篤志家が本国に「返還」する美談がわだいになった。

 エスカレートする「お恵み」キャンペーンのいっぽうで、真正の韓国文化については、ほぼ何ひとつ知られていない。ほとんどが日本の先史文物を素材にした「こじつけ」だったり、空耳まがいの「語呂合わせ」なのだ。うそがはびこるのは「愛のキャンペーン」がもたらす一面的な予断・偏向によるところがおおきい。日本のサヨク運動は、もはや何を目的としているのか、いまどこを歩んでいるのかさえ、完全に見失っている。



愛・信仰・希望 (テレビ画面から)
 未開人がただの「うそつき」であるならば、話はもっと単純だったはず。だが大手マスコミがこぞってそれを鵜呑みにさせようと、あの手この手で先回りし、拡散する。みずからが犯した数々のホロコーストを正当化する国連も、反日であればどんなうそにも同情的。しかもかれらはいとも単純に、自分の正義を信じ込んでいるようにみえる。反省など、みじんもない。むしろ【記憶の捏造】と【事実の隠滅】こそが、かれらの権力、自慰と興奮の骨格をなしている。

 事実を無視し、みずからの「思いつき」にばかり執着するのは日本の文化人もおなじ。じっさいに何も知らないのかもしれないし、知ろうともしていない。まちがいは誰にでもあるものだが、韓国にかんするかぎり、あまりにも粗悪な学説が多すぎると思う。「万葉集は韓国語」「新幹線大国」「平成天皇は韓国人」・・・批判や検証をふせぐため、次から次へ、自転車操業で繰り出してくるメディア戦略は、さながら犬のマーキング。

 文化・報道・教育の名のもとに、365日たえまなくつづく、卑猥な偽史。自身が犯した罪を、すずしい顔で、こどもたちに押しつける。米兵事件などはしつこく追及するのに、教職員やマスコミ、特定民族による深刻な犯罪はすぐに隠蔽。私たちが少しでも事実を記憶しようとすれば、「右翼だ」「民族差別だ」「ヘイトスピーチだ」などと、まいど攻撃的なことばで人格を否定し、問答無用に言語を奪い、被害の受忍をせまるのだ。・・・いったい人間は、どこまで劣化してゆくのだろうか。そろそろ「文化人」は、自身が垂れ流してきた「社会主義神話」の虚妄を真摯に見据え、その重い責任を噛みしめる時が来ていると思う。


No.288
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