トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第298号 


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もちださんの鎌倉リポート No.298(2018年3月13日)



No.297
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亜細亜主義について


 横浜市にのこる大倉精神文化研究所は昭和7年の設立。現在、土地建物は「大倉山記念館」として公園化され、見学もできるのだが、もともとは上海でまなんだ大倉邦彦(1882-1971)という財界人がつくった、私設の研究所だった。

 インドの詩人・タゴールに心酔し、東洋大の学長もつとめた大倉さんには「勤労世界観」1943という著作がある。その結びは「皇国世界観と大東亜建設」と題され、「大東亜の解放建設指導」について述べている。いわゆる欧米による搾取からアジアを救うのだという、当時としてはごくありふれた「進歩思想」をくりかえしているにすぎない。それこそが「世界平和を確立せんとするための聖戦」であり「天皇の大御心」でもあるのだといい、「翼賛の誠」を国民にもとめている。おなじことは大手マスコミも政府も唱えつづけていた。


 「大東亜戦争の目標とする所は・・・各国家、各民族をして、各々其の所を得しめ、・・・道義に基づく共存共栄の新秩序を確立せむとするに在る・・・」(1943.2.16、貴衆両院における首相演説)。すなわち先の大戦は、【アジア諸国のために】すべての日本人を犠牲とするという、奇怪な【正義】が公然と称揚されていたのだ。

 さきの大戦はすべて軍部の責任とするほか、特異な国家神道とか偏狭な儒学思想にもとづくとかいう、作家の三島由紀夫さん的な理解もすくなくない。しかし当時の文献にはほとんどそうした理論書はみあたらず、むしろ汎アジア主義的な主張が手放しに氾濫していた。国会図書館のデジタル‐ライブラリー(ndl)を検索すれば、もはや一目瞭然というべきだろう。当時の膨大な文献資料を作り話とすりかえ、「一切なかったこと」にするのは難しい。いまや狡猾な隠蔽がやすやすと通用する時代ではなくなった。

 東條は香港・マニラ・シンガポールを「米英両国の多年に亘る東亜侵略の三大拠点」といちづけ、その陥落を誇った。もちろん「植民地からの開放」と信じたのは日本の「進歩的」文化人だけで、現地の土民からみれば従来の隷属のほうがよほど幸せだったのかもしれない。他国を救おう、なんていうよこしまな夢のために自他の国民を殺害し、感謝されるどころか内外に激しい憎しみまで蒔きつづけたのだから、よほどの阿呆というほかはない。



古我邸
 興亜主義は戦争責任から巧妙に切り離され、ぬくぬくと延命がはかられた。戦後もしぶとく生き残った指導者らは、いわゆる「反日勢力」として活動、「中韓の反発は必至」などと言葉巧みに誘導しながら暴動を煽り、女衒国家と組んで慰安婦運動に入れあげたり、暗殺テロや核ミサイルに狂う北朝鮮のチアガールに性的な視線をむけるなど、意味不明・支離滅裂な左翼活動を、今もつづけている。これによって「友好がうまれる」などというのだから、おつむの中はたぶん、昔のままだ。

 米国人でも、知日派のアーミテージ元国務副長官などは、「大東亜戦争」が結果的にアジア諸国の独立に寄与したであろう「意義」を、限定的ながらも認める発言をしている。たしかに、万に一つの理はあったのかもしれない。しかし現実にはそうした認識は徹底的に否定され、公的にはけしてみとめられることはないだろう。どこまでも自国を正当化し、自国の利益を追求する。それが「国際政治」というものだ。

 歴史、すなわちヒストリーというものはもともとストーリー(物語)とおなじ語で、出来事をさまざまに解釈し、体系的・説明的に「物語る」というニュアンスをもつ。natural history(博物学)のように、日本語の「歴史」とはちがった用法すらある。つまり、歴史とは勝ち組による「総合的解釈」にほかならず、あくまで現時点における政治力学を反映した、いわゆる「公式見解」でしかない。ソ連がつよい時期には、学者たちはポルポトやスターリンにまで尻を振った。過去の真実などはむしろ土の下の、考古学に属するものでしかない。



原爆の火(横浜市・徳恩寺)
 かつてキリスト教では刑吏や高利貸など、人道にもとる行為が禁じられていたため、中世以来ユダヤ人とよばれる異教徒を表面にたてて行わせた。レーニンやヒトラーらはユダヤ人に「悪徳資本家」のイメージを重ね、その追放や抹殺があたかも革命の進展、あるいは鉤十字が象徴する狂信的キリスト教徒の勝利であるかのように演出した。

 ホロコースト(燔祭)とはユダヤ教徒がいけにえを丸焼きにする儀式のことだという。とりわけ原爆や東京空襲などは、市民虐殺の正当化に道を開いた。「人道主義の象徴」としてあがめられているノーベル大統領オバマはけして謝罪などしなかったし、自国につごうがよければ、国際社会は賛美すらするのだ。ナチの鉤十字はお寺のマークだ、などとまことしやかにいう者もいる。

 いまも反米思想をリードしているのは、かつて聖戦をあおった社会主義勢力だ。ノーベル作家Oは、「ヒロシマ・ノート」のなかで「新中国」の核実験を「新しい誇りにみちた中国人のナショナリズムのシンボル」などと書き、また9.11テロを、「スカッとした」と書いた新聞社もある。アメリカへの憎悪が中国やソ連、北朝鮮の妄動をかぎりなく美しいもののように見せてきた。核・ミサイル開発を後押しするため、フォーク世代の人気歌手・忌野清志郎を洗脳し、「きたちょうせんは〜いーい国だあ〜」などとと歌わせたニュース番組すらあった。日中韓共同体だの共通通貨だ仮想通貨だのと景気のいい絵空事ばかり唱え、自分で自分に陶酔する。「大東亜建設」などという、実現不可能な構想ばかりが先行し、もうあとへは引けなくなって拙速な真珠湾攻撃を要求した過去の歴史を省みず、まるでギャンブルに狂うばかのように、おなじ過ちを何度でも何度でも【繰り返す】。かれらにはそれが、「どこまでも気持E、だれよりも気持E」(うた・忌野清志郎)のだ。


 鎌倉文化人のひとり、平山郁夫画伯(1930-2009)。中国に初めて仏教を伝えたインド僧をえがいた「仏教伝来」1959が、その出世作だった。黄金の人を夢に見た後漢の明帝が、月氏国から白馬にのったふたりのインド僧、迦葉摩騰(カーシュヤパマータンガ)・竺法蘭(ダルマラクシャ)らを洛陽に迎えた(西暦67年)。画面からも、この白馬寺伝説をえがいたことは明白と思われる。

 しかし当の平山はなぜかインド僧の業績を否定。これは中国僧・玄奘三蔵(603-664)ひとりを描いたもの、などとした。玄奘は般若経典の集大成「大般若」を伝えただけの僧で、聖徳太子より後の人だから、「仏教伝来」というには大げさすぎるし、絵のどこからも玄奘のイメージをうかがい知ることはできない。おそらく、なんらかのメッセージが込められているのだろう。

 描かれた1959年は中ソ関係が悪化し、毛沢東は核兵器の独自開発に楫をきった。うがった見方をすれば、顔をそむける白馬が核保有に突きすすむ中共、黒いほうはそれを拒むフルシチョフ、ということになるのかもしれない。核廃絶を願う画伯のなかにも、生涯にわたって亜細亜の核ミサイルを賛美・許容するヘドロのような思いがひそんでいたとしたら、それはそれで恐ろしい。


 反米思想をひろげ日中戦争を起した近衛文麿(1891-1945)は、退陣後も国務大臣として軍事政権に顧問格で参与、終戦直後もしばらくは、なにくわぬ顔で副首相・国務大臣にいすわりつづけた。GHQに訴追されるや、荻窪の自宅(荻外荘)で謎の自殺を遂げる。

 近衛の別荘とされるものは鎌倉山などにあったほか、いまの「古我邸」を借りたこともあったという。軍部に大東亜新秩序の大風呂敷を指南。和平交渉をチラ見せしながら実行する気はさらさらなく、国家総動員の軍事費増強、仏印進駐を強行。事態をつぎつぎに悪化させ、直前になって政権を陸相(東條)に丸投げし、軍部に打開を依頼。失敗すれば「責任はすべて東條」・・・。日本のヒトラーは自己愛に執着し、どこまでも無責任にふるまった。

 近衛のとなりに載っているのが盟友・緒方竹虎(ゲッペルス)。朝日新聞副社長、情報局総裁として国民を洗脳し、戦後も狡猾に延命を果たした。日本放送協会(現NHK)にはやはり同社副社長・下村宏が就いて、言論界を独占。終戦直後の「朝日グラフ」には、緒方の業績を自賛する独善的な活字が踊るほか、いささかの悔悟の念もうかがえない。「痴人の面前に夢を説き得ず」ということわざ通り、妄想と現実のとりちがえは治る気配もない。いわゆる「吉田証言」、サリン事件の河野さん、だれも見たことのない非公開の検定前教科書にいたるまで、その新聞に載ればすべてが真実だとして、とたんにユーゲントが騒ぎ出す。さからえば何をされるか、知れたものではない。


 この書物の表紙には、近衛の持論「南進論」の概念がえがかれており、世界地図のうえの赤い日の丸の内を大東亜共栄圏、すなわち欧米を排除した経済ブロックにしようという絵物語を表現している。実現性はともかく、資源確保などの諸条件から、域内の自給自足を満足させるにはこの程度の広さが求められたのであろう。「一帯一路」などと銘打った中国の帝国主義も、じつはこれに似ている。

 東アジア共同体構想はいまもあり、国民をだまして外国籍総理を画策、在日参政権や日韓トンネルといった構想を公然とかかげ、審議拒否を売り物にするファシズム政党や、霊感商法でしられるキリスト教系カルト団体は一部マスコミにひっぱりだこだ。戦時中、「粛軍演説」をおこなった立憲民政党の斎藤隆夫議員を議会除名においこんだのは、「人間機関車」とあだ名された左翼の巨魁・浅沼稲次郎だった。空想的社会主義の夢をかなえるため、議会をつぶし、内外の市民を死の淵においやり、戦後もなお懲りもせず、「新中国」に赴いて反米言動を説きつづけた。

 やがて「ヌマさん」こと浅沼稲次郎は右翼少年に刺され死んでしまう。「亜細亜のために死ね」。かつてその幸福を説き、みずからが特攻隊に強いた「死」を、ヌマさん本人はさて、どう感じたのだろうか。


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