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もちださんの鎌倉リポート No.51(2008年10月30日)



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五山文学をめぐって・3



大谷戸あたり。
 五山文学とは五山とよばれる臨済宗の禅宗寺院を中心におこなわれた中国風の漢詩文学のことで、とうぜん鎌倉五山にその濫觴がある。禅の学問ははじめ蘭渓道隆や無学祖元ら、現地でも名の知れた中国出身の高僧を中心におこなわれたが、やがて日本人の円爾弁円(1202-1280)や留学経験すらない夢窓疎石(1275-1351)らの流派が枢要を占めるようになった。

 なぜなら、かれらは同時代の中国語や元・明の諸事情に詳しい外交僧としての役割を求められていた。というより檀越(スポンサー)である権力者は、禅僧をそのようなものとしか見ていなかった。いつまでも外交を外国人の専断に任せるわけにはいかない。帰化僧や留学僧らは詩や禅語で中国の風習や思想をつたえるとともに、弟子たちの語学教師として、外交僧の育成をサポートしていく役割を担っていった。むろん禅に美辞麗句は必要ないはず、と蘭渓和尚は嘆いてもいる。

 中国僧・清拙正澄は、師行家とよばれる、朝廷の伝統的な漢文学者(明経・紀伝家)を批判し、世襲が日本の漢文研究をスポイルしたのでは、といっている。日本には良きにつけ悪しきにつけほとんど「科挙」がなかったし、また通訳や同時代発音の研究者(音博士)は別にいて会話はまったくの専門外。おもに古典の訓詁や先例・故事故実、美文の作成のみにかかわっていたにすぎない。

 また中国では白話体といわれる低俗かつ難解な準口語文もはやっていた。外字なのでここでは表示できないが「そもさん」「せっぱ」などという言葉はアニメ「一休さん」でもおなじみのものだ。漢文と中国語の違いについては、もはや説明も不要だろう。

 日本式漢文では通用しなかったのはもちろん、民族の変転のはげしい中国を知るためには唐学の必携書・三史(史記・漢書・後漢書)、五経(易経・書経・詩経・礼記・春秋)ではたりなくなった。「資治通鑑」「宋朝通鑑」などの同時代書はもちろん、宋学(新儒教=朱子学)の原理書や四書(論語・中庸・大学・孟子)などの再注釈書(新注)もまなばねばならない。日本では無意味なこんな書も、むこうの科挙のやからはみなそれを読んでいるからだ。


無学祖元(頂相彫刻より、CG復元)。さいごまで日本語を覚えず、参禅した時宗のかわりに通訳を打ったという逸話も。


 開かれた帝国・唐では、阿倍仲麻呂が植民地ベトナムの「安南都護府」長官に任ぜられて博学・善政をもってしられ、王維や李白などからも尊敬されていたが、元や明になるとそうはいかなくなった。拉致されたり、中国辺境に追放されたり、スパイとしてあわや殺されかけた留学僧もいた【※1】。劣等感むき出しのナショナリズムにこりかたまった、中韓のちんぴら役人のあきれた漫罵をつねに聞かされるだけ。そんな不毛で不愉快な役回りに使節の僧は甘んじたのだ。

 五山の僧たちは、対馬でホロコーストをつづける王氏高麗・李氏朝鮮の侵略をやめさせたり、絶対的な宗主国として背後にいる元や明の真意を探るなどの役割をになってきた。禅僧は法の相承がしっかりしていたので、相手と癒着し職をけがして師僧をうらぎる、ような例はほとんどなく、忍耐深くその役目を果たした。相手より一段上にたって平和的外交を希求してきた日本にとって、中韓の役人との詩会などはさながら接待ゴルフのようなもので、やがてその文学的価値などはほとんど無視されるようにもなっていった。

 五山文学がなんとなく嫌われているのは、どことなく現代に酷似した、こうした政治的背景があるからなのかもしれない。内容よりも、どれだけ正確に中国語なのか、平仄は合っているか、中国人・韓国人はなんと言っているのか、「大人(ターイン)」などとよばれる高位の中国人にどれだけ媚を売りコネを築いてきたか。そんなことで評価されるならば、杜甫なり蘇東坡なり、現地人の漢詩をよんだほうがずっとましというものだ。

 朱子学とは、朱程学、性理学、道学などともいう。老荘や仏教(禅)を排斥しているがじつはその多大な影響下に生まれている。現実は善悪にかかわらずすべて仏理に依っている、という華厳(禅の所依する経)の思想は、「世界は中国のためだけに存在する」と置き換えられた。中韓(北朝鮮もふくむ)がどのような国かをまなべば、おおよそその学のなんたるかをうかがい知ることができよう。

 程伊川(1033-1107)は、「道(タオ=宇宙原理)」と「理」とをむすびつけ、中国が宇宙全体を支配する法則であり絶対正義だと考えるにいたった。朱熹(1130-1200)は三つのドクトリンを示している。@講学論は「格物致知」ともいい、あらゆることに自国中心的な「原理」をみいだすことにつとめる。A主戦論はレポ6にも示したように、諸外国・異民族はとるにたらない動物であり不倶戴天の敵であるから、いっさいの和を排し、永遠に戦い続けなければならない。B任賢論とは、科挙では必ず自分のように排外的でファナスティック(狂信的)な民族主義者のみを登用、王侯の弱腰をはげしく諌めるべきだ、等々。

 中韓では儒学院(村の寺小屋)がこうした侠客のたまり場となり、偏執的ナショナリズムが高揚。外国人への暴力や、独善的で不健全な世直し暴動(「白蓮教」「殺人契」など)における教唆・煽動の拠点となっていった。


南宋の石工がつくった狛犬(奈良・東大寺)。



崇山門は鐘楼のかたわらにある(建長寺)。
 朱子学に対しては王陽明(1472-1528)などのするどい批判があるにはあったが、大きな力にはならなかった。日本でも江戸時代には儒学者たちによる朱子学批判(荻生徂徠など)が盛んにおこなわれた。「兵を用いん」「壕を深くして待て」など、品性のカケラもない文面が中韓の妖主からさかんに送られてくるなか、相手の意図や実力を冷静に判断し、戦争回避に努めたのは五山の僧たちだった。

 清は1816年、英国正使アマースト使節団に自国皇帝への叩頭(三三九度の土下座)を強要し、拒否されるとこれを逆恨み。洋夷・禽獣とののしって追放し、砲撃戦にまで発展した(岩波文庫編「朝鮮琉球航海記」)。やがてアヘン戦争、アロー号事件など列強との感情的な衝突が頻発するようになる。朝鮮でも開国前から「斥和論」がおこり、外国人皆殺しがすすめられた。大院君は朱子学の寺小屋の出身で、これも「異賊は人間として数えるに足らず」という中世以来のいびつな思想がもとになっていた。

 朱子学という名の巨大な自慰は、19-20世紀の中国・朝鮮を世界から孤立させ、内側から確実に蝕んでいった。宗教は民衆の阿片、毛沢東はそういったが、800年ものながきにわたり、どれだけ自国を傷つけてもなお、けして手放そうとしなかった病める自尊心「=宇宙の法則」を根絶するのは、そう簡単なことではない。そもそも、これは私たちがどうこうできる問題ではなくかれら自身の「心」の問題なのだ。

 戦後、中韓をめぐる言説は例外なく政局に利用されてきた。「中韓を批判する者は右翼」「もてはやす自分は正義」。かんじんの異文化理解などはそっちのけで、「正義」になろう、とひたすらこまをすって中韓を讃え、日本の悪口だけを一心不乱に唱えつづけた。中韓の味方か、それとも差別か。そんなひとりよがりな二分法を、教員は年端もゆかぬ小学生にまで迫ってきた。・・・言論統制に邁進するのは常にこうしたひとたちだ。

 「さからってどうなる」「刺激すると、こわい。」外交音痴の日本人は、こんな羽織乞食の肩をもむ。あおりをうけたアジア研究は一挙に萎縮し、声をひそめていった。その結果、「拉致はない」「理想の楽園をばかにするのか」などと被害者のほうが怒鳴られ、戦争責任をすっとぼけたナチ(=国民的社会主義)政党の元構成員らを英雄のようにいう、子供だましの歴史教科書が定着するなど、負の連鎖はとめどがない。日本の知性はいま、けして笑えない事態におちいっている。

 みずからの過去をいつわり、みずからの影におびえ続ける、ひとかたまりの人々。不都合な事実はやみくもに握りつぶし、その一方で、中韓の復讐心をたきつけて絶えずその矛先を自分以外の日本人にむかわせて置けば・・・そんな、びろうな下心がにじむ【モンスター・メディア】※2すらある。


(上)は戦争継続を煽る「グラフ誌」。戦後、家永教科書の時点ではまだ左派みずからの積極的戦争関与についての言及があった(下)。



銭洗い弁天の裏から。
 保身と外交を混同する手合いの、うむを言わせぬ叫び声は、どこまで現実と乖離してゆくのだろう。かつて五山の僧たちが苦悶してきた周辺国をめぐる問題には、けして終わりはない。

 客観的にはどうなのか。世界の常識は、嘲日侮日とかいう連中がうれしげに喧伝するあの特異な価値観、すなわち【北東アジアの共通認識】※3やらとは、だいぶ様子がちがうようだ。英エコノミスト誌の調べでは、日本は好感度・貢献度・平和度のいずれにおいても現在、世界のトップクラスで、アジアでただひとつの「完全な民主主義国」と分類されている。調査対象のうち特異な反日国はわずかふたつだけで、その理由も「後進的ナショナリズム」「進んだ隣国・日本への嫉妬」。欧米の識者は、一般論としてそう明快に分析している。

 


【注※1】 数奇な運命をたどった留学詩僧として雪村友梅がよく知られている。また、朝日新聞2006.2.1日付文化総合面にも雲南に流された日本人僧たちと地元民にまつわる興味深い記事が載っていた。
【注※2】 大戦前後、トップが情報局総裁・放送協会会長等を歴任して驚異的に売上げを伸ばし、国務大臣としてファシズム内閣にも参画。軍部と一丸となって「国民教育」を担当・主導した。「戦争と新聞」朝日新聞社2008。
【注※3】 空手も、茶道も、剣道も万葉集も国民固有の参政権も竹島も青色ダイオードも、すべて韓国のものだということで、勝手に調整を進めるものがいる。中国では18世紀に再建されたとされる北京故宮も、日本では「明代のもの」。それどころか4000年前、というひとも多い。「中国4000年」はもともと即席麺のCMコピーだったものだ。キャンペーンがたけなわとなった1970年代以降、ネコも杓子も、相手の増長もおかまいなしに、手を変え品を変え【事実と異なる】珍説奇説をくりだしてきた。・・・だれを喜ばせ、だれをだまそうというのか・・・歴史は、ここまでばかにされている。


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