トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第52号 


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もちださんの鎌倉リポート No.52(2008年10月31日)



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ゴス(GOTHE)



鎌倉カトリック雪ノ下教会外壁のイコン。
 日本を代表するゴスロリ作家・澁澤龍彦(1928-87)はいまも人気がある。SMで知られるサド侯爵の翻訳で知られ、明月院のまえにお住まいだった縁で鎌倉を舞台にした小説も書き残している。

 サド侯爵にしてからが近世の人で、ほんらいのゴシック時代とは直接何の関係もないようにもみえるが、ファッションとしてのゴスのばあい、病的で反近代的なニュアンスをおしなべて中世的、という理解があるらしい。つまりオカルト・ホラーやピカレスク(悪漢小説)などと同様、近代主義への批判や反発を含んでおり、平たくいえば「不良」とか「ちょいワル」とかが逆説的に「かっこいい」という意味を表すのと似ている。もっとも日本ではヴィジュアル系バンドあたりのイメージが強すぎるので、なんとなく好みが分かれるところだろう。

 さて、そもそも「ゴス」とはなんなのか。

 【Gothic】というのはルネサンスの人々が前時代を「ゴート人風の」という否定形容詞で表現したもので、ゴート人というのは、いわゆる古代ローマ社会を壊滅に導いたゲルマン民族のひとつ、ゴート王国にゆらいするという。ただしゴシックとはそんな古代の話ではなく、10世紀ころからのロマネスク様式と15世紀ころからのルネサンス様式との間にあたり、西洋美術史でいうと、鎌倉〜南北朝はいわゆるゴシック時代、ということになる。

 すでにゲルマン人はヨーロッパ社会をリードする先端文化をみにつけ、フランス、イギリス、ドイツなど現在につながる強大な王国も確立されていた。これまでのローマ文化にはなかった、摩天楼のように垂直にそびえたつ薔薇窓(ステンドグラス)の大聖堂が北フランスを中心につぎつぎに建設された。ローマ教皇が南フランス・アビニョンに移されもした。古代の蛮族の名をひっぱり出してきたのは、積年の劣等感から解放され次のルネサンス時代をリードしたイタリア人文主義者たちの、意趣返しにほかならない。


中世の伝説を素材にしたロダンの彫刻(参考)。



ときおり鎌倉文学館で特別展がひらかれる。1990年のパンフ。
 実際のゴート人は4-5世紀に活躍した。そのころのゲルマン人、アングロ・サクソン系のひとびとは、たしかに神話時代の蛮族にすぎなかった。太古にはペルシャ帝国の北、コーカサスから北シリアあたりにいた半農耕民だったのだろうとされる。ゴスの象徴ともいえる、髑髏をもてあそぶような独自の民俗文化はいまもキリスト教文明の表層下にのこっていて、近代文明を強調し、むやみに野蛮を否定したがる白人社会の傲慢さはこの裏返し、ともいわれる。

 世界史や地理が必修ではなくなったためなのか、西洋に迷信はない、などといって得意がるえせ文化人もおおいようだ。だがたとえば、このごろよく知られるようになったモン・サン=ミシェル修道院(フランス)にまつられている大天使ミカエルにしても、20世紀初頭にはやった黄禍論(人種差別運動)のパンフレットでは、なんと日本や東アジアを象徴する「巨大な大仏」を相手に槍で戦っている、おかしなイラストまであるのだ。

 ヨーロッパの田舎に行くと、聖なにがしの縁日にはいまも「ちんこパン」が売られていて、これで尻をたたくと安産、などといっている。イタリアにはミイラ信仰があり、ドイツには親族のどくろを磨き、装飾している地方がある。里神楽のひわいな身ぶりや、神社なんかにある「陰陽石(ちんこ石)」などを恥じ、ばかにする日本人はおおいが、そういう「歴史」や「伝統」は日本にだけあるのではない。

 さて、【アビニョンの幽囚】とは、実力で教皇領を確立したフランス国王とローマ教皇庁が対立、あらたにフランス人教皇が立てられるとそれを国内のアビニョンに留め、1309年から1377年まで七代にわたって教皇庁をフランスにおいた。ローマ復帰後もフランス人はアビニョンにべつの教皇をたて、1417年まで教会分裂期がつづいた。世俗権力がついに宗教権威を動かしたのは承久の乱1221や両統迭立(てつりつ=交代につく)、南北朝の分立の様相に、かなりにている。

 後鳥羽院と幕府との暗闘は1077年のいわゆる【カノッサの屈辱】を想起させる。実力で皇帝になった者と、伝統的に「任命権」をもつ宗教権威者とのチキン・ゲームは、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世(ドイツ王)の屈辱的な謝罪で幕を閉じた。後鳥羽院をとらえて流してしまった北条義時は一枚上をいっている。もっとも、実朝が生きていたなら、大政奉還に追い込まれていたかもしれない、のだが。

 実朝は、承久の乱の4年前にその命を落とした。政子らは、事件の前後、かねて子がなかった実朝の後継として後鳥羽院に新将軍となる皇子の下向をすみやかに要求している記録もあり、だれが、どのような意図で暗殺をくわだてたのか、事実認定はおもいのほか複雑だ。苦渋の選択、ということもつねに斟酌しなければならない。現代政治においてさえ、目に見えぬさまざまな力学、タブーが存在するのだから、過ぎ去った歴史の裏側をあれこれ解釈するのはけしてたやすいことではない。


「西洋絵画の父・ジョットとその遺産展」。詳細は下記。



澁澤さんが最初に住んだという小町の家の真下から見た滑川。サドやコクトーはこの家で翻訳された。
 1215年、イギリスの欠地王ジョンは【マグナカルタ】にサインした。当時、国王は失政のすえに封建貴族のストライキにあい、貴族に干渉する国王権を軽減させられたのだ。フランス王と争って大陸の領土を失い、教皇と争って破門され、国土を奉って謝罪したふがいない王に、貴族は愛想をつかした。権威保全のため京の帝に譲歩を重ねる勢力と、将軍権力さえ否定する武士勢力のつきあげとの間に引き裂かれた実朝将軍の権威破綻は、これとほぼ同じ時期にあたっている。

 ジャンヌ・ダルク伝説やロダンの彫刻「カレーの市民」でしられる【百年戦争】〔1337〜1453〕では、フランスの一騎打ち戦法がイギリス歩兵の長弓隊に惨敗したとされる。当否は別として、さるまねの得意な一部の日本人が、あの元寇や長篠合戦の「解釈」で元ネタにしたことでも有名だ。ただ、火刑台上の聖処女をただの迷信、「近隣国を排除する偏狭なナショナリズム」だなどといって英雄気取りで切って捨てたり、自国の騎士道を笑顔でばかにし敵国の賛美を情感ゆたかに唱えたりする、あの独特の自虐史観のようなものは、フランスにはない。日本の学者たちの独創性は、わずかにそこだけだ。麻生さんがいう「どM」というのも、このあたりのことなのだろう。

 中世には、崇高にして聖なるものと人間的で俗なるものが、不可分に存在した。ポーランド出身のコペルニクス(1473-1543)の地動説にしても、好んで教会神学に逆らったのではなく、つじつま合せが困難になってきた複雑な天動説より、どの天体も単純な同心円をくるくる回っているほうが神のつくりたもうた世界としては荘厳で美しく、完璧なはずだ、とする堅固な宗教的信念から生まれたものという。

 澁澤さんはとくいの随筆で、バタイユやユイスマン、スワンベリにベルメール、四谷シモン、金子国義などといった「おたく」としかいいようのない、エロチックでうしろぐらいような異端の作家や芸術家を偏愛した。かつてヨーロッパの封建領主は庶民の処女権まで所有したというから、大磯の遊女虎にせまった和田義盛や、塩谷の妻に横恋慕した高師直のエロどころではなかった。

 聖なるものへの追求の影には、まったく裏返しの現実がつねにあったということだ。作家はこれを【反時代的な夢】と主張したが、けして昨今のロリコン教員のようなおぞましい犯罪行為を肯定、ないし教唆しているのではないらしい。むしろ禁忌につつまれた現代社会のなりたちを、ある種の倒置法でなぞっているようにみえる。もともとどの時代にも普遍的に存在していた人間ほんらいの闇(無意識)の部分を、たてまえやタブーの名で覆い隠して見えなくしてしまったのはむしろ現代社会のほうだからだ。

 澁澤さんの小説「髑髏杯」は、江戸時代の畸人が極楽寺で大館宗氏(レポ18)の頭骨をひそかに掘り出して杯をつくるという物語。「護法」ではなぞの童子に魅入られ、隠れ里へ追い込まれた女の首が切り取られる。「ダイダロス」では実朝の船の残骸があらわれ、「きらら姫」では江ノ島からお猿畠にむかう謎のトンネルがえがかれる。


作家が愛好した人形作家・四谷シモン展のカード。どこで買ったかは忘れた。



明月院あたり。作家の旧宅は非公開だが、お墓のある谷向かいの浄智寺からみえる。
 ヨーロッパにおける髑髏の象徴は【死を思え】という神学にもとづいている。日本の仏教でも、一休さんがわざわざ正月に髑髏をみせびらかしてあるいたとか、野垂れ死にした小野小町の、腐乱してゆく肉体を描いて「色界の無常」を説くようなことが行なわれた。新撰組が羽織に髑髏を刺繍したのもこのながれなのだろう。ひとはさまざまなユートピアや千年王国なるものを思い描いてきたが、けっきょくこの世に永遠なものなどどこにもない、と気づいていたらしい。

 ゴシック・ブームはイギリスなどを中心にすでに長い伝統がある。いっぽう、日本のおたく文化がヨーロッパなどで強い関心をあつめているが、これは近代社会のはぐれ者・おたくそのものがある種の中世回帰だからともいわれる。

 ゴシック時代の文学といえば、「ニーベルンゲンの歌」「パルシファル」「カルミナ・ブラーナ」「トリスタンとイズー」「オーカッサンとニコレット」「ばら物語」・・・と、原作そのものよりも19世紀後半に改作されたオペラなどをつうじて人気の作品が数多くある。北欧やケルトの民話、ビザンツ帝国、アラビア文芸などの影響が指摘されているほか、琵琶法師ならぬ吟遊詩人がかかわった作品も多く、「源氏物語」や「平家物語」「曽我物語」などとどうちがうのか、文学好きな方はよみくらべてみるのも面白いかもしれない。

 さいごに、会期ぎりぎりになって恐縮だが、新宿の高層ビルにある美術館で、ジオットを中心とするゴシック絵画のたいへんめずらしい展覧会をやっている(【写真4】、9日まで)。ルネサンスの人間中心主義におちいるまえの強烈な信仰心に満ちた絵画を舐めるようにまぢかでおがめる。この視点からあらためてわが国の古都をながめれば(レポ5・6)、同時代への感慨がひとしお深まるにちがいない。


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