トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第69号 


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もちださんの鎌倉リポート No.69(2014年10月30日)



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西瓜ヶ谷やぐら


 瓜ヶ谷は北鎌倉より大船方面へ、十王堂橋のてまえを入ったところの谷戸。いぜん路傍にきれいな桜の並木があった記憶があったが、枯れてしまったのか、期待はずれで、なんだかしょぼい。それでも観光ルートにはない、しずかな道だ。

 そのまま梶原のS字坂にぬける谷筋が東瓜ガ谷、むかって右の尾根筋が西瓜ガ谷。東瓜ガ谷の地蔵やぐらへはこのまま進んで谷の最奥にはいってゆけばいい。



十四やぐら周辺
 西瓜ガ谷へのいりぐちは路傍の小川が道路下の暗渠にかくれるあたり。十四やぐらの森は右折してすぐ、飛び越すにはむずかしい、微妙な幅の側溝が隔てている。

 よくみると民家のすぐ際の、「やぐらの森を守りましょう」という看板があるフェンスのすきまがちょっとだけ、あいている。ただそこをよじのぼるのにも、そうとう勇気がいる。国有地、とはいえ都市化が進んだ現在、どうみても不審者。通常は「ボランティア・ガイド」なんかが募集している見学会で、手前の民家の敷地をお借りしてのぼるようだ。風体のあやしい人はたぶん、そうしたほうがいい。



板碑型など
 民家から続く参道に合流、13基+1基もの五輪塔がほられた十四やぐらをメインに、ひだりうえにむかって数基がつらなる。比較的小規模なやぐら群で、その先は開発によってすでに崖がきられ、不明。残存部分はよく整備され、崩壊したやぐらの壁面には、五輪塔や板碑型の磨崖連碑などもみてとれる。

 十三仏は初七日から三十三回忌にいたる、追善思想をあらわす。プラスの1基は二十七回忌、百回忌などをくわえた場合を示すものだろうか。百ヶ日以降を短縮して回忌法要をまとめて催すこともあった。

 13基の塔は半立体的に肉彫りされ、同様の形式は一部破損しているが百八やぐら群・大五輪窟のならび付近にもみられる。そこでは塔身に梵字のほか、お題目「南無妙法蓮華経」が漢字で彫り付けられており、供養をうしなった真言系の仏塔が日蓮系に改装された例は南北朝以降に多いから、この類似がわずかに年代観をあたえてくれる。



塔はちぐはぐなものばかり
 このへんで討ち死にした一族の供養やぐらなのか。付近に未知の廃寺でもあったものか、いまとなってはわからない。

 瓜ヶ谷から大堀切にぬける間道はいくつかあって、それぞれやぐらが点在する。東瓜ヶ谷地蔵やぐらのうえ、茅場の奥にも数基あったと思う。大堀切のあたりはマムシの名所とされ、蛇居ヶ谷(寂外ヶ谷)などの異名もあるが、そういう地名のある場所は名越坂など、かつての軍事的要衝である場合が多いようだ。それでも「やぐら」のおおくはすでに掘り返され、いまなお「きもだめしのスポット」などとして荒らされることがあるらしい。



瓜ヶ谷遠望
 北鎌倉はかつての大船村。旧市内にむかう巨袋谷、亀ヶ谷坂の入り口にもあたっていて、円覚寺の白鷺池がよこたわり、好々亭のトンネルや駅裏のちいさなトンネルのあたりが張り出し、せばまっている。そのへんにかつて「一遍聖絵」にみるような木戸があったという。南北朝の絵図には瓜谷路のてまえに「篝屋跡」としるす。いまでいう交番だ。

 十王堂橋のあたりにはかつて、関のおば様がいくつかあった。これは石神、「おしゃぶき様」がなまったもので、「咳」に効くというので、どこでもお茶などをそなえる。残念ながらもとの場所にそのままあるものはすくなくなったが、町の入り口に瘴気(流行病)がはいることを拒む、塞(さえ)の神であった。現在駅上の八雲神社にうつされた、「清明石」とよばれる自然石がおそらく古い形態で、これは踏むと病になるという。



清明石
 いつだったか、小町の古本屋で富士川英郎さん(1909-2003)のサイン本をみつけた。リルケ「葡萄の年」の翻訳。ここ瓜ヶ谷にすんだ著名なドイツ文学者であるとともに、生粋の鎌倉文士・やぐら博士としてもしられていた。

 戦前からの証言をみると、鎌倉のやぐら群は盗掘にあったり、ホームレスに荒されたり、せっかく集めた遺物を好事家や大学関係者に持ち去られたりと、さんざんな被害を受けてきた。富士川さんの「やぐらめぐり」(大仏次郎編「素顔の鎌倉」所収)にも、国賊・高時の墓石を杖で熱心に叩き壊す戦前のひとびとのすがたがみられる。赤星博士の論集には、ばらばらに掘り返された、名越山上石廟の無残な写真も・・・。



ちょっと残念な桜
 ひどいのは住宅造成で痛めつけられた釈迦堂奥やぐら群。27号穴まで残り、35号まで破壊、49号までは跡形もなく消滅。他の本にも、「たたりで人夫が大怪我、土地は骨が散乱して売れず(赤星直忠)」「無法な開発会社は倒産(大三輪龍彦)」などと、まあ憎憎しげに書かれている。

 どんな傾斜地にだって不動産価値があるのはわかる。ブランド地名、おしゃれな街、べんりな暮らし。ぶっそうな森や、歴史なんかいらない、という人も多い。ただ遺跡破壊は研究者によってながく記憶される。よくよく考えてほしいものだ。


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