トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第82号 


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もちださんの鎌倉リポート No.82(2014年11月16日)



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キリスト教会について・1



雪ノ下カトリック聖堂
 鎌倉を代表する教会建築といえば、雪ノ下のカトリック聖堂、由比ガ浜のプロテスタント教会、小町通り脇の英公教会なんかがしられる。ふるい建物もあるが、いずれも明治・大正以降に設立されたもので、さほどふかい歴史はない。

 ただしキリシタン史を遡ると、江戸初期のかくれキリシタンが浅草弾左衛門や小袋谷・極楽寺の非人長吏(レポ24)にかくまわれ、ついに摘発・刑死したというような史実が散見されるという1623。雪ノ下のカテドラルのひだり奥に、くすんだ油絵による展示がある。


 耶蘇教は景教としてふるくから中国大陸には入っていたが、本格的に伝わったのは大航海時代のこと。仮名草子「吉利支丹退治物語」などによれば、一般にはきりしたん仏教、すなわち仏教哲学の異端くらいにしか思われていなかった。貿易商人などに信者は多く、いわゆる鎖国・禁教が行われたのは半世紀にわたる人身売買の結果であり、「植民地化の手先である」という説がひろがってからのことらしい。

 全盛期にはドチリナ‐キリシタン(教理問答) やコンテンプトゥス‐ムンディ(厭世書キリストのまねび)など、おおくの書物が翻訳刊行された。とくに重視されたのは殉教、ということだった。もちろんそれは一向宗でも日蓮宗でも大規模におこなわれていたから、とくに異様というわけではない。棄教・改宗したものもおおかった。ただ、宗教が宗教であった時代、中世の精神がそのころまではあった、ということだ。



十字架への道行
 原始キリスト教は多くの殉教者を出した時代を経て、ついにローマの国教となり、ちょうど鎌倉時代にあたるころ、教皇権は頂点をむかえた。しかし室町前後になると、教皇の拉致や教皇庁の分裂がおこり、新興領主や商工民の勃興によってプロテスタントの分離がすすんだ。鎌倉公方府の滅亡した1450年代には、ルネサンス絵画から、金色に輝いた聖人たちの頭光が明らかにきえてゆく。

 中世までは殉教者の時代で、聖人とよばれた僧たちの屍体の一部なんかが仏舎利のように崇拝され、巡礼者をあつめた。標本箱のようなキャビネットの小窓のなかに埃のようなものが入っていて、それぞれ「黄金伝説」などに説かれた聖人だれそれの灰であるとか、衣の一部だとかいうラベルが貼られている。聖人たちのチャペル(祭壇)はさまざまな功徳を代表しており、受験の神様、安産の神さま、旅の安全を守る聖人・・・これはもう、多神教といっても過言ではなかった。


 キリスト教の拡大期には、さまざまな迷信・俗信、あるいは異教の立場まで、鷹揚にとりこんでゆくことが、布教におおきな意味を持った。聖書には「空(くう)の空」などと、まるで般若心経みたいなくだりもみえるし、聖遺物信仰はアーサー王ものがたりなど、各地の伝説にもおおきな広がりをみせた。とうぜんこれらの土俗信仰はヨーロッパ社会において、教会の内外にいまも根強く生きている。しかし明治以降につたわった「近代キリスト教」には、こうした魅力的な歴史文化の諸相がすっかり捨象されてしまっている。

 教皇権が絶頂に達したとき、インノケンティウスV世(1161-1216)は権威の独占をはかるため、異端の改宗をつよく命じた。以来教義は厳密化、「聖人」はうまれにくくなり、生活習慣のことなる人種・集落・個人を排斥。一神教特有の、暴力をともなう他罰的正義がしだいに高まってゆく。いわゆる魔女狩りのはじまりだ。「インディアスの破壊について」など各種古文献をみるまでもなく、踏み絵の裏側では近世、被害者が加害者となった凄まじい殺戮が、その絶頂期をむかえていた。



プロテスタントの鎌倉教会
 中世ドイツに生きたエックハルト(1260頃-1328?)は、自我を捨て、死んだ人のように生き、みずからのうちに神の子を生むことを唱えた。聖書から独自の連想をつむぎ、なにやら禅僧のようなさとりの境地にいたってしまったようだ。一方でエラスムス(1466-1536)という和尚は、「愚神礼賛」という書物でキリスト教社会の偽善・腐敗をきびしく指弾。けっきょく人間なんてものはみんな、もともとばかなんじゃないかという、ヒューマニズムの立場にまでふみこんだ。

 異端とよばれるようなさまざまな思想・神学は、やがて哲学や社会革命へとうけつがれていく。カンパネッラというひとは、アジアのどこかに太陽の都という、聖人たちによる架空の楽園を思いえがくなどした。


 神が人になる、その反対に、人が神になる。言葉は似ている。似ているからこそ、まぎらわしい。独立系のキリスト教会のなかには、カネや性にどこまでも執着する洗脳カルト教団や、民族系過激派の反日工作の拠点となっているものも、少なからずある。

 「犬はおのれの吐いたものを食らう」、という。どくじの教義で痴人をあおり、「原爆は神の意思」とまでうたいあげる。他人をののしり、自身を卑しいものに育て上げてゆく。伝統的な、あるいは善良で穏当な教会にはとくに関係のない話なのだろうが、一般人はまだまだ、十字架と鍵十字とをきちんと区別するすべをしらない。日本人の「警戒心」「キリストぎらい」には、およそそんな理由があるようだ。



英公教会の小町教会
 ミサやバザーに、お寺参り感覚できがるに参加するような習慣も、いまだねづいてはいない。むりに信仰なんかするひつようはなく、街の風物詩として、すこしづつ、なじんでゆけば、と思う。教会の側も、できるだけ開放的でいてほしいものだ。

 世界の中の日本、とかいうけれど、相手へ理解させるには、自分だけでなく相手を理解するということでもある。ひくつになってごまをするような人は、自国のことも、相手の国のことも、なにもしらないからいいようにあしらわれてしまう。動物のように奴隷を狩り、人間の口に轡(くつわ)をはめていた時代は、遠いむかしばなしではない。空想だけではだめなのだ。


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