トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第83号 


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もちださんの鎌倉リポート No.83(2014年11月17日)



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キリスト教会について・2



雪ノ下カトリック聖堂にて
 いつぞや太宰のところでふれた「深田久弥邸」というのは作家・堀辰雄(1904-53)が倒れて、安国論寺のところの額田病院にかつぎこまれた場所でもあった。

 退院後、堀は結婚し、詩人の立原道造が祝いのレコードをもって訪れる。このあたりは「木の十字架」という随筆にくわしいが、先年亡くなった堀の奥さんの記憶では軽井沢ではなくて、深田のお宅の蓄音機で聴いたことになっている。この思い出のSP盤は紛失してしまったらしく、遺品のリストにもない。



同教会のプレゼビオ
 パリのクロアドボア少年合唱団による、ヴィットリア「アヴェマリア」とパレストリーナ「麗しき贖い主の御母」。もう一枚は作曲家のクロード・パスカルが幼少期にうたった、「家なき子のクリスマス(ドビュッシー)」。もともとが稀購盤だったらしく、オリジナルはいまだ見たこともきいたこともない。

 ルネサンス音楽は複雑無比な対位法でできたもので、明快なメロディにもとづいた近代音楽はプロテスタントの斉唱(コラール)から普及した。初心者むけの名曲名盤ではないあたり、いまなお渋い選曲。たとえば澁澤龍彦さんが近現代イタリアの作曲家ルイジ・ダラピッコラについてふれていたり、むかしの鎌倉文士たちには、なかなか味のある耳をもっていたひともいた。



プロテスタント鎌倉教会にて
 堀辰雄は翻訳家ではなかったが、モーリアックやクローデル、リルケなんていう外国文学の紹介者でもあった。フランスかぶれなどと嫌うひともいる。むかしの人にとってはこの程度の「西洋」というものが、なんともバタ臭い女学生趣味のように見えたのだろう。

 六地蔵や小町あたりに古本屋があって、安売りワゴンに忘れられた外国文学の本をみつけ、ぽつぽつよんでみることがある。「ドクトル・ビュルゲルの日記」「嘔吐」「夜の終わり」、・・・そんなのも、昭和文士の遺産なのかもしれない。もっとも私なんかにとっては、文学よりも音楽のほうがずっと身近なのだけれど。


 洋楽好きの詩人、といえば中原中也(1907-37)。おなじころ千葉の精神病院をぬけだして、寿福寺の庫裏の奥にみえる崖下に家を借り、いまの清川病院のところにあった療養院でなくなった。まんだら堂の下で火葬、墓はふるさとの山口にある。

 小林秀雄さんが晩年のようすを書いている。妙本寺で海棠をながめ、八幡の茶屋で「茫洋、茫洋、」とつぶやく。借家のまえには洞窟のようなものが口を開けていた、という。その家にも蓄音機をもちこみ、「マタイ」の「血潮したたる主のみかしら」「憐れみたまえわが神よ」、なんていうのをきいていた。だれの演奏によるものかはわからない。



由比ガ浜教会(旧大町教会)
 「地球が二つに割れればいい、そして片方は洋行すればいい、すれば私はもう片方に腰掛けて、青空をばかり――」

 落伍感にみちた詩、就職の失敗、長男の死。中原はカトリックで、由比ガ浜の旧大町教会に通っていた。ふるさとに帰り、再出発しよう、とも考えていたらしい。六地蔵ちかいカトリックの教会はすでに修築をへて当時のままではないらしいが、御成商店街の出口のところ、幼稚園のうしろに見えるプロテスタントの鎌倉教会は木造混合のふるい面影をのこす。



鎌倉教会にて
 ヨーロッパの石積みのゴシック聖堂は、何百年もかけて巨大化したため、尖塔にみせかけた無数の支柱(飛び梁)を剣山のごとくめぐらし、軽量化のための薔薇窓に大量のステンドグラスをはめて影絵芝居のような効果を出した。それでもゆがんでしまうものがあるというから、地震国日本ではもちろん、模倣できるものではない。

 この教会は構造部に鉄筋コンクリートを採用、米人宣教師M・C・ハリスを記念した鎌倉メソジスト教会会堂として震災後の大正15年、たてられたという。メソジスト会は救世軍などの社会活動でもしられる、いわずとしれた伝統教派。


 待降節の主日、オルガンのすぐちかくにすわって賛美歌をきいたあと、ファサード(正面)中二階の本棚に、気になっていた旧約偽典をみつけた。偽典とは中世に異端として捨てられた、ふるい聖書の一部。いろんな宗教と溶け合っていたキリスト教が、いつから他罰的要求型の一神教になったのか。

 不意に電灯がついた。牧師さんはいい方で、借りていってもいいよ、とおっしゃる。こうなると不信のものはお礼を言って、そそくさと退散せざるをえない。どれほど贔屓目にみたところで私にとっての信心とは、ピアスのはしの芥子粒ダイヤのような、(・・・値打ちがあってないような、)けして褒められたものではないからだ。


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