トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第89号 


▲もちださんトップへ戻る

もちださんの鎌倉リポート No.89(2014年11月27日)



No.88
No.90



薪能について・3



舞台の撮影も禁止だって
 都庁でおこなわれる東京大薪能は、さる人気財団が運営。2番あるかわりに7時すぎまで名物会長がみっちりスピーチ。威圧的な高層庁舎の真下、コンクリのホリゾントをへだててかなり舞台が遠いうえ、スピーカーの音も割れぎみ。自由席といいながら無知識のスタッフがてきとうに席を決めてしまうなど、ややおそまつな点も。

 2013年度は金剛流。小気味よい、ひかく的さっぱりした流儀なのだが、それでも狂言をはさんで休憩もなくぶっとおしで9時半までかかった。夏なのにビル風がさむく、途中で帰ってしまう人も、ちらほら・・・。



京都にて
 家元の「井筒」と人気曲「土蜘蛛」。金剛は京都を拠点としている。祇園の八坂神社で、毎年「翁」をやっているのが、26世永謹さん。江戸時代にスペクタクルな名人が出て、その伝統からかの有名な千筋之伝をあみだした。紙製の蜘蛛の糸を、数十発も景気よく投げまくる、あれ。

 「派ッ手だねえ」ととなりの席のじいさん。千筋之伝、とかいうのは演出にかんする小書(副題)のことで、こういうケレン味あふれる工夫もあれば、老名人向けの、動きの少ない「替(かえ)」もある。京都には嵯峨、吉祥院など数多くの念仏狂言があり、そこにも「土蜘蛛」の出し物がある。それらは鉦をがんがん鳴らす田楽系統の民間芸能なのだが、しろうと芸ながらかなり豪快な演出もみられる。


 能の源流のひとつに田楽があり、猿楽座ときそいあった田楽座でも、かつては能がおこなわれた。そのほか寺社では、伎楽などの系統を引く「延年の舞」や、「呪師(ずし)」「細男(せいのを)」などの祝言芸があって、競演をつうじてたがいに影響を与えあい、あるものは吸収・衰退し、あるものは大流行のあげく改良され、発展解消した。

 ねぷた祭りからエイサー(念仏踊)にいたるまで、日本の祭り囃子のほとんどは田楽から進化したもので、いっぽう足利・豊織・江戸幕府の「式楽」として保護され、冷凍保存されてきた四座の能とは、たどってきた歴史がちがう。田楽は庶民の道をゆき、津々浦々に拡散・分解されることで独自の地方文化をつくっていった。


 尊氏も鑑賞した1349年四条河原の勧進田楽は「申楽談義」「太平記」にもしるされた「大崩れ」の逸話でしられる。巨大な桟敷(仮設スタンド)がもうけられ、幕をひいて木戸銭もとったというから、有料の薪能ににている。「立合(歌合戦)」や曲芸のような演目もおこなわれ、歓声がわきおこったという。

 能関連の音楽のひとつに「宴曲」というのがあって、その名人の明空(月江)という人は鎌倉極楽寺の僧だという。むかしの武士は信玄のようにみんな入道するから、僧とはいえ武家の宴ではやっていたものかもしれない。歌詞だけのこっているが、謡本にきわめてよく似ている。「申楽談義」にみえる先達のひとりに海老名入道(南阿弥?-1381)の名がみえ、金剛の先祖は「松・竹」といって鎌倉から上京したともいっている。



相模流江戸里神楽(萩原社中)
 観阿弥は伊賀出身で楠正成の縁者ともいわれ、正成にも田楽にまぎれて鎌倉を偵察していた、なんて見方があるようだ。芸能者はほんらい、敵味方のない「無縁」の民だったが、世阿弥の子・観世元雅は後南朝の神社に面を奉納、小倉宮の乱があったばかりの伊勢に赴いて幕府方にころされた1432。

 北条高時が愛した田楽。「ようれいぼし」は「弱法師(よろぼし)」、鳶(鴉天狗)の乱舞は「今昔物語」にみえる唐の天狗・是害坊伝説をふまえた、山法師の「大衆舞(延年)」のようなものではなかったか。この種の延年は日光の輪王寺だけにのこっている。八幡宮につたわり、いまは坂下御霊神社の面掛に用いられる鴉天狗などの面は、江戸時代の新調。行列のようすが絵図(八幡宮回廊の宝物殿に展示)につたわっているが、すでに舞の数々は忘れられていたようだ。




 田楽の伝統をひくものは、浅草の「びんざさら」や大磯の「鷺舞」など、関東にもいくつかある。ただ、一般的には「江戸里神楽」というものに変容して、親しまれてきた。足利公方が滞在したこともある葛西(葛飾区)というところに名人が出て、「若囃子」というものを考案。鎌倉でも大町など、地元向けのお祭りにつたわっている「鎌倉囃子」が、この系統だ。関西のだんじり囃子とはおよそ対照的な、篠笛中心の、ひょうひょうとしたリズムが特徴。

 相模流江戸里神楽は、東京を拠点に数多くの神社に奉仕している。地方の「神代神楽」には芝居がかった演出もすくなくないが、この流派では舞が中心でなかなか上品。能ににた「能がかり」のパントマイムで神話をまう。



同(世田谷・太子堂八幡にて)
 猿楽の語源は天岩戸の猿女の舞(魂鎮め)による、という説と、手品や曲芸といった大陸仏教系の余興・雑芸をいみする散楽(さんがく)による、という説があるが、おそらく両方なのだろう。

 かたくるしさの塊りのように思われている能・狂言も、もとをただせばお祭りだ。田植えを祝い、集まった人々に娯楽を供し、たのしみながら植えられるよう、リズムをつけた。神事、余興、音楽の三拍子はそれを淵源としている。著作肖像権にうるさく、教育テレビでもたまにしか流れないのはざんねんだが、なんとかくふうして、ご覧になっていただけたらとおもう。


No.88
No.90