トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第96号 


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もちださんの鎌倉リポート No.96(2014年12月15日)



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小山田あたり



鶴見川(下小山田付近)
 鎌倉といえば花暦だったり、プチグルメだったりするのだが、マスコミがつくりだす「なんとなく、オシャレ」なイメージだけで、「武家の古都」と評価されるだろうか。かんじんの歴史はというと、どこかうすっぺらで心許ない感じがする。

 さいきん思うところがあって、鎌倉近傍の「武家の村」という所をいくつか歩いている。中世の史跡は東京や横浜観光のテリトリーというよりは、やっぱり鎌倉関連でひきとるべきだろう。今回は小田急江ノ島線の乗り換え駅がある、町田・相模原市郊外を紹介したい。



なぞの人物・町田市御城主
 町田駅周辺は「西の渋谷」といわれる繁華街。行列の小龍包や大判焼きのある路地とか、有名古書店とかもりだくさんで、人気町歩き番組にもたびたび登場する。その外れ、芹が谷公園ではこのごろ町田時代祭り、というのをやっていて、武家行列、流鏑馬なんかもみることができる。

 ただ街中には著名な武士なんかいなかった。それらは駅裏を流れる境川の上流や、市域のはずれ、鶴見川の源流域にひっそりと生きていた。周辺の発掘はストーン・サークルなど縄文遺跡が中心で、「時代祭り」にまつわるはずの中世考古学は、まだすこし、遅れている。


 つぎの駅、古淵・淵野辺(相模原市)といえばJAXA宇宙科学研究所、・・・といいたいところだが、歴史ファンにとっては「太平記」でしられる大悪人・淵野辺義博の故郷。その館跡は、境川の段丘の上。ゴルフ練習場や水道施設にはさまれた、写真にみえる丘の上の、ちょっとややこしい場所にあって、子孫とされる天野さんの家のそばのアパートの裏手に碑がたつ。

 大塔宮を殺った人、として評判はよくないが、顕彰碑には「宮をひそかに奥州に逃がした大忠臣」というべつの説を採っている。古淵の竜像寺は義博が村人をなやませた境川の竜を退治した名君、という伝えをもつ。



絵はかなり素朴
 川をすこし上った上矢部では、横山党・矢部氏の館跡か、という土塁や堀が発掘されている。ちかくの薬師堂バス停そばには鎌倉期の来迎画像板碑(1303)が、祠のなかにおさまっている。もとはバス道路向かいの墓地内にあった。

 境川はまだ細い。対岸(町田市)の尾根むこう、秩父平氏小山田氏の本拠をながれる鶴見川源流部にいたっては、さらに細い。中世までは暴れ川を制御できず、奥まった谷戸もせまいため、武士たちはせいぜい村の庄屋さんレベルの基盤しかもっていなかった。「境川の竜退治」なんていうのも、川辺の土木開発がいかにも苦難の一大事業だったことを物語る。



沢を隔てて二号遺跡(墓地跡)がある
 小山田へむかう小高い尾根の頂ちかくに、小山田一号遺跡というなぞの武家屋敷跡が、「風の道」とかいう公園になっている。急な斜面をひらいて掘立基礎が分布し、まんなかの建物跡は半地下式になっている。

 地下はたぶん納戸や、冬の寒さに下人たちが足を絡めて寝るタコ部屋だったのだろう。ほかにも室(むろ)のような掘り込みがみえ、銭ひと挿しや陶器がみつかるなど、地下利用がさかんだったことをうかがわせる。鎌倉におおい中世の半地下建物跡にも、示唆をあたえるものだ。

 寝殿建築では床下が通路になっているばあいがおおく、楼といわれる高床建築のおもかげをのこしていた。「雅楽について」の項でものべたように、床下にこもったりもできたわけ。


 公園を出て新興住宅街を道なりにくだってゆくと、いよいよ小山田の中心部。まだ畑がのこっていて、小山田神社のまえには水田もあり、あぜにタンポポ、なつかしい蛙の匂いがする。ここには蓮がうえられ、蓮の糸で織る藕絲(ぐうし)織というのが名物になっているようだ。

 畠山重忠のおじ、小山田有重の館跡は大泉寺、というそこそこ大きな禅寺になっている。かたわらの山林は広大な緑地公園で、こどもたちが野球に興じ、まちなかにはバケツをもって走ってゆく子も。おたまじゃくしでも採るのだろうか。「不特定多数」がうろつく観光地とは、およそ環境がちがう。石楠花のさくころには「武相マラソン」なんかもおこなわれる。このへんでは県境とおなじく、境川がかつての武蔵と相模のくに境にあたっている。



絵は陽刻でなかなかの上出来
 相模原市の南端、鶴間本町のあたりは団地もたち、境川もだいぶ濁っていて、もはやありふれたベッドタウンというしかないのだが、鶴園小学校の南東、河岸段丘のへりの中和田・惣吉稲荷境内にも、二枚セットの来迎板碑(1359)がある。各三尊の足元には年号と追善の光明真言「おんあぼきゃべいろしゃのう・・・」をきざむ。父母の菩提をいのったものか。ただ南北朝・室町期の中小領主なんて、郷土史家にでも訊ねなければ、よくわからないのがふつうのようだ。

 境川沿い、すなわち鎌倉古道のとおっていた町田・藤沢道路東側には、ほかにも飯田界隈(横浜市泉区)などに中世板碑が点々とのこる。瀬谷区、栄区などをふくむ旧戸塚あたりは、すでに鎌倉郡内にあたっている。


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