鎌倉好き集まれ!ゆきしぐれさんの鎌倉リポート・第2号(2005年11月23日)

鶯谷・稲荷山 雪ノ下 鎌倉 その二

紅が谷の物語り ー鬼姫さんーその後半部分

これから、鬼姫さんの物語りの後半部分をお話いたします。
その前に、前半部分に載せました写真は、かつて、鬼さんが住んでいたと思われる山の姿であること、それから、後半部分に載せてある写真2枚は、バス停九品寺前の向かいの小道から、紅が谷に入っていく道の入り口、そして3枚目の写真は鬼姫様の住むお山へと続くのぼり道であることを紹介いたします。

それでは、つづきをはじめます。

 花子はあっという間に、足を岩場の端から滑らして、海の中へと沈んで言ったのです。
 花子が海の中へ沈んでいこうとするとき丁度、太郎は、獲物を鷲づかみにして海面に顔を出したのです。ふうっ、と息を吐いた太郎は、花子の沈んでいく光景を目にしました。
 太郎は、一瞬右手に持っていた銛を高い岩場に放り投げると、一呼吸大きく吸い込んで、海の中へ花子を助けにもぐって行ったのです。
 花子は、なかなか見つからず、息がこれ以上続かなくなりそうになったとき、深い水の中に花子の影が見えました。太郎は目の前が暗くなりながらも、花子の方へ泳ぎ近づき、やっとの思いで花子の着ている着物の袖を掴み引き寄せたのです。
 花子は太郎が助けに来たことがわっかたのか、太郎にしっかりとしがみ付きました。太郎は花子にしがみ付かれて、苦しくなりましたが、大きく足で水を蹴ると、水面にぎりぎりの思いで浮き上がったのです。
 水面に浮き上がっても、花子は太郎にしがみ付いたままで、なかなか泳ぎがままならない状態でしたが、仲間たちが寄ってきて、太郎と花子を引っ張ったり押したりしながら岸までたどり着きました。
 岸にたどり着き、水から上がっても、花子はぶるぶると震えて太郎から離れようとはしませんでした。仕方がないので、太郎は花子を抱きかかえたまま岩場を焚き火のあるほうへと歩きかけました。 そのとき、太郎は岩の上にある何かを踏んだのです。それは、さっき太郎が放り投げた銛の柄の端でした。
 勢いよく踏まれた柄の端は、反動で先が跳ね上がり、花子の背中に襲い掛かりました。その光景が太郎の眼にはいるや、太郎はとっさに花子をその鋭い先端からよけようと身をよじったのでした。
 花子は無事でした。でもその鋭い切っ先は、太郎の左の目を直撃したのです。太郎の左目が見た最後の映像は、銛の先端が無常に迫ってくる無機質な残像でした。

 太郎の目の傷はなかなか治りませんでした。 鬼さん一家は、太郎のために秘伝の薬を花子に持たせて看病にあたらせました。
 花子の看病の甲斐があって、太郎の目の傷は徐々によくなってきましたが、傷を追った目だけではなく、なぜか右の目も見えなくなってしまったのでした。

 何年かが過ぎていきました。 太郎も花子も成長して、花子は18歳、太郎は三歳年上でした。 もう大人の仲間入りの年になっていました。
 そのころになると、昔の仲間たちは、もう一緒に集まって遊んだりすることはありませんでした。  年頃になると、遊び仲間たちは、一人また一人と太郎から離れていったのです。 太郎は目が見えないといっても、右の目だけは薄ぼんやりと光と影の輪郭を捉えることができ、持ち前の負けん気から、いつも明るく振舞っていました。 そして太郎のそばにはいつも花子が一緒でした。花子は太郎の不自由な目の代わりをしているといっても過言ではありません。 花子は自分が太郎の目に感じられるように、いつもきらきらと光る色とりどりの衣装を纏っていました。
 昔の仲間たちが、太郎のそばから離れていったのには理由がありました。それは花子のことでした。花子は成長するに従って、だんだん鬼さんらしくなってきたのです。決して恐ろしい形相をしているとか、人間たちに乱暴なことをして困らせるとかはしませんでしたが、人間たちのほうが離れていってしまったのでした。 むしろ花子は、人間で言えば美人でした。確かに、笑ったりすると、口から小さな二本の牙がのぞいたり、頭を触ってみると、尖った二本の角が分かりましたが、普段は花子の滑らかな髪の毛の中に隠されていました。 ただ、花子の髪の毛は赤毛でした。
 昔の仲間たちは、大人になるに従って、人間と鬼との違いを意識して離れていってしまったのでした。 でも太郎はそのことを別に苦にすることはありませんでした。確かに太郎は目が悪くてよく見えませんでしたが、太郎は花子が鬼であるからといって差別することなどせず、昔の遊び友達そのままでした。 むしろ、いつもそばにいて太郎の世話をする花子をいとしくさえ思っていました。 花子もいつか太郎のことを好きになっていて、できるなら、いつまでも太郎のそばにいて、暮らしていけたらいいと思っていました。

 紅が谷に住む人たちの間で、太郎と花子の噂が広がり、だんだん二人は、その村では肩身の狭い思いをするようになっておりました。 花子のお父さんお母さん鬼は、花子を鬼の世界に連れ戻して、遠い西の国からお婿さんを迎えることを望んでいましたが、太郎が花子の命の恩人であることと、花子自身が太郎のことを好いているため、ある決心をしました。 それは、太郎を人間の世界から鬼さんの世界へ迎えて、紅が谷を囲む山々を支配させることでした。
 いろいろありましたが、結局太郎はその申し出を受け入れて、花子と一緒に鬼さんの山に住むことにしました。 そしていつまでもいつまでも仲良く暮らしたということです。

 このお話をしてくれたおじいさんは、お母さんたち子供たちに、最後にこんなことを言って帰っていったといいます。

「ちょっと前までは、何人か鬼様の子孫も残っていたが、もう残っちゃいない。わしが最後かね。」そう言って、私のお母さんのほうへ頭を突き出して、つづけて 「ここを触ってごらん。」と言いました。
お母さんは、恐る恐る手を伸ばして、おでこの上のほうに触れると、「ぽこ、ぽこ」と二つの尖った瘤のようなものが確かに感じられたのです。 その感触は、今でもはっきりと触った指に残っていると言っていました。

 それからしばらくの間は、そのおじいさんとは、時々道ですれ違うことが何度かありましたが、いつのまにか、行き方知れずになってしまったそうです。 それから後、「紅が谷」のお屋敷の敷地が分譲されたりして、小さな洒落た家々が立ち並ぶようになってきたと言うことです。 
 実際、もう皇后様の別荘もなくなって、そこにも大手不動産会社の分譲住宅が建ち並んでおります。

 ここでのお話はこれでおしまいですが、実は、ここでお話した分には省略部分が多くあって、本当はもっともっといろんな場面が、物語として残っていると言われております。 それに、この物語りの後半部分には、ここで話された以外のバージョンがあるようです。 いつか、それについてもお話できればいいと思います。  了。

 ゆきしぐれ