トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第103号 


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もちださんの鎌倉リポート No.103(2015年1月11日)



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日蔭茶屋


 サザンの鎌倉物語にうたわれた日蔭茶屋(現・日影茶屋)は、逗子渚橋の旧デニーズから鐙摺の坂をひとつ越えた、葉山町にある。鎌倉の奥座敷、逗子も葉山も、ちいさな町だ。

 ここが有名になったのは、大正時代、アナキズム(無政府主義)の指導者・大杉栄(1885-1923)が、愛人・伊藤野枝(1895-1923)との痴情のもつれから新聞記者の神近市(1888-1981)に首を刺された。このさい政府要人から大金をせびって豪遊していたことも明らかとなり、左翼陣営の一大スキャンダルに発展した事件1916.11.9による。



会席中心だが、別館では洋食・甘味コーナーなどもあるらしい。
 「自由な個人の共同体」。エンゲルスのいう理想社会とは、かつてルソーが夢に見、中江兆民から幸徳秋水へとうけつがれた思想だった。アナキズムとは、テロやストで政府を破壊すれば、しぜんと善人社会が到来するという考え方。

 いっぽう、個人には悪の側面があり、巨大な政府で統制しなければならない、というのが対立するボルシェビズム(議会派社会主義)の主張。やがて後者が伸張して全体主義に発展、突出した戦争協力に結びついた。また、米中ソの忠烈な歯車になり、反日や抑留者の虐待に従事する者もでた。恐怖政治への奉仕・・・志なかばで死んだ大杉が戦後、過大に再評価されたのは、もしかれが生きていたら、という、見果てぬ夢のようなものだったのだろう。


 大正大震災の半月後、大杉が惨殺された背景には、日蔭茶屋事件がまきおこした世論の反感が大きな影をおとしていたようだ。当時はまだ、嫌疑のないものに体罰をくわえることはまずなかったから、暗殺までは意外だった、と荒畑寒村(1887-1981)は回顧している。

 師匠の幸徳秋水(1871-1911)もまたセックス・スキャンダルで人望をうしない、同棲中のその女性が首謀した天皇暗殺未遂に連座、孤立したまま刑死した(大逆事件)。また、鎌倉の家からとつぜん姿を消した大杉が、海外から強制送還されたこともあった。朝鮮、上海などアジアで多発した爆弾テロへの恐怖が、国境をこえて急速に活動をひろげる極左・民族勢力への反感をうんでいた、という背景もあったようだ。 



神近は入水に失敗、田越橋の交番に自首
 ともに殺された伊藤野枝ははたちで雑誌「青鞜」をひきつぎ、平塚らいてうの後をついだ。「青鞜」のおわりのほうで、廃娼運動につばをはき、山川菊栄(1890-1980)からくそみそにやっつけられている。言いたかったのは、たぶんこうだ。人間は規則や強制ではけして変わらず、社会の悪もなくならない。ではどうすれば「善人社会」がおとずれるのか。それはたぶん、どんなアナキストにもわからなかったにちがいない。

 家のさだめた夫、解職された腑抜けの教員、それに大杉にも当時本妻やべつの愛人があったから、男運がよかったとはいえない。ただ野枝の生涯は青春小説にもなり、自由恋愛の神様として、その筋のひとびとに崇拝されている、という。神近市は戦後、社会党の議員になった。



陣鐘山の碑(大正十二年)
 霊山・長手久保にかつてあった義烈荘(黒光庵)は新宿・中村屋の別荘で、中国辛亥革命の孫文や李烈鈞(1882-1946)、インド独立運動のR.B.ボース(1886-1945)らをかくまった場所とされる。近年再開発され、「新田公旧蹟陣鐘山」の「回天の挙」になぞらえた自画自賛の碑があたりに移設されたものの、(大杉の支援者でもあった)頭山満によるあたらしいほうの碑「東洋平和発祥之地」1933は、山中にとりのこされてしまったようだ。

 日本に留学した小説家・魯迅は、人肉食や窃盗癖など中国人にしみついた迷妄、深刻な病理を赤裸々に暴いた。直してやろう、そんなお節介な感情が一部日本人の脳裏に陶然とやどったとしても、不思議はない。



石井喬『鎌倉に異国を歩く』大月書店1994
 亜細亜主義(超国家主義)はかつて民間の壮士たちが自己犠牲的におこなってきたが、ロシア革命後、北一輝(1883-1937)ら左翼系文化人(ファシスト)にも蔓延。ヒトラーを崇拝する社会大衆党(統一社会党)は日中戦争をおこした近衛内閣の与党となり、昭和維新の名のもと、興亜院、内閣情報局、大政翼賛会などをつぎつぎと設立、「亜細亜のための反米戦争」に突入する。

 米帝国主義は日中共同の敵・・・そんな妄想は、いちぶ過激派だけのことだったろうか。中国共産党の創設者・李大サ(1888-1927)や周恩来など、多くの要人が戦前の日本にまなんだ。アジアを教え導いているのは自分。世論を戦争へと誘導し、一億玉砕をはげしく強いた【学者】や【マスコミ】【文化人】らは、その恩がアジア全体に深く浸透しているなどと固く信じ、じぶんたちへの久遠の感謝を、うたがわなかった。



やぐらにのこる戦争の傷跡(防空壕)
 「日本は戦前」「日本の若者は雇わない」。そんな異様なキャンペーンが、いまなおマスコミ各社をにぎわせる。未開国をあおって、社会批判を演出。京浜安保毛沢東派、東アジア反日武装戦線、日中韓の共通認識・・・露骨な世論誘導で実現可能な改革を阻みさえ、した。身勝手な「正義」をゲーム感覚で思いつき、他罰的に要求はするが、みずからの過去には徹底的に眼をそむけ、責任すら、とろうとしない。

 もはや労働運動の痕跡は、みじんものこっていない。日本の革命幻想は、こうして終わりをむかえた。かつての若者たちが熱く語ってきた「理想社会」とは、いったい誰のためのものだったのか。


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