トップ鎌倉好き集まれ!もちださんトップ 第319号 


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もちださんの鎌倉リポート No.319(2018年11月23日)



No.318
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彫像について・3



おじちゃん、ここ(藤沢・常光寺)
 都市の街角でみかける彫刻には、あまりよいものがない。すぐれたものは美術館に入ってしまうからだろうか。コンペなどで広く市民に諮って設置するわけでもなく、だれかの趣味と独断で「いつのまにか置かれている」というのも、親しみがもてない理由なのかもしれない。

 名越長勝寺の日蓮上人銅像はもともと東京の洗足池にあり、なんらかの事情で撤去、材木座墓苑にヘリではこばれたのち、麓にある現在地に移転したとか。これは上野の西郷像、皇居の楠正成像でも知られる高村光雲(1852-1934)の作だが、名所扱いの両者にくらべ、これまでの扱いはいたって地味。日蓮の銅像といえば博多にも古くてでかいのが存在する。ふるい彫刻ほど生命力にあふれ、ド迫力があるのは、不思議といえば不思議。近作の日蓮像はまるで「そのへんのおやじ」だ。



蓮如・親鸞上人(横浜市)
 彫刻は写実とはことなる。人間を白塗りにすると元のすがたとは異なって見える、それと同じで、人体を忠実に型取りをしただけでは彫刻にはならない。たとえ古くてグロテスクなものでも、毒にも薬にもならないマネキンのような凡作にくらべたら、見るものへの訴求力は雲泥のさがある。最近の彫刻は、写実と凡庸とをはきちがえているのかもしれない。

 寺院にはそれぞれの宗派の祖師彫刻がおかれていることがおおい。衣の表現なんかは、伝統的な仏像の表現にちかい。それでいて顔面だけは写実的リアリズムで示そうとするあまり、たとえば親鸞の眉毛など、必須条件ともいえる萌えポイントが大きく減退し、いったい誰の像なのか、ラベルをみるまでよくわからないものも。仮にあの眉毛が非現実的であったにしても、燃え上がるようなあの眉毛こそが親鸞のアイデンティティ。反デフォルメに拘泥するあまり身勝手な修正をほどこして大切な特徴を喪失してしまえば、長年親しまれてきた、教科書でおなじみの「あの」印象とは、おおきく乖離してしまう。



一遍上人(藤沢市)・瑩山ならびに道元禅師(横浜市)
 一遍上人は、ふるい木彫にはかなり誇張した、怪人フランケンシュタインのような異形像もみられるが、絵巻には若々しく劇画調にえがかれている。現代の銅像になるとなぜかどちらにも似ていない。遊行寺のは、なんだか穏やかな印象の御前様、といったたたずまいで、むしろ今の上人様に似ているような。光触寺のは、口をすぼめ頤が突き出たじいさんだ。

 右の道元像などは、「四角い顔のおじさん」ていどの面影をかすかに踏襲しているに過ぎず、なんだか変にハンサムで、彫刻というよりは3Dフィギュアのよう。顔だけはたしかに写真のように精緻だが、いったいモデルは誰? 不自然な8頭身に直立不動、二次元的な衣というのも、立体プリンターを導入した仏具屋の製作をおもわせる。「あの日の思い出を銅像にしてみませんか」。

 日蓮の銅像は比較的あたらしい妙本寺のものをはじめ、松葉谷草庵跡・妙長寺・久成寺・霊光寺・・・と数多いのだが、みんな別人のように顔立ちがちがっている。妙本寺の像はまるで青年。池上本門寺のは、法華経を差し出す腕がゴム人間のように誇張されている。ちなみに仏教では、ゴムゴムの実のようなかたちの装飾を雲珠というようだ(レポ246)。



キャラ立ち
 とりわけ長勝寺の日蓮像の、不敵な微笑をうかべた、ひとくせもふたくせもありそうな、アクの強い面構えは、尋常ではない破壊力がある。おなじ光雲作の上野・西郷像はブルガリア人・武蔵丸似とかいわれ、西郷の未亡人にも完全否定されたことで名高いが、たとえ似てはいなくても、威厳や威圧感は他を凌駕している。

 宗祖とか偉人とかは、もともと出来栄えのハードルがたかい。源氏山の頼朝像はひかくてき新しい像なのだが、いかにも弱そうで表情も冴えず、冑を脱いでへたりこんだポーズはなんともしょぼい。モデルはいったい誰なんだろう。

 公園法では、故郷の偉人とか地域史の象徴、顕著な芸術作品など、彫像の設置にはさまざまな要件があるという。どこかの国とちがい、まず独裁者や売春婦が容易に像になることはない。偉人・伝説(レジェンド)というほどの人物はすくなくないのだろうが、万人が納得するかといえば話は別。鎌倉の「ウォーナーの碑」は物議をかもしたし、「米軍機墜落事故」の母子像のように、せっかくのモニュメントが設置をことわられ、問題になったりもした。上野の西郷さんのような巨大な彫刻は、しだいに過去のものとなりつつある。



世田谷・町田・鎌倉
 彫刻自体の概念もかわりつつある。美術家の村上隆さんが既成の「萌えフィギュア」を利用したオブジェで名をあげてから、「サザエさん」などアニメの登場人物や、「ギョーザ像」などのゆるキャラを彫像として設置することも、シュールな現代美術として認知されるようになってきた。銅像のかわりにペンキをぬったコンクリ製の「モニュメント」とか、極彩色のファイバー製オブジェさえふえている。

 鎌倉埋橋・啓運寺とおなじ法華の学僧がひらいた西八王子にある了法寺では、寺おこしのため、美少女キャラをあしらった「萌え看板」や三次元フィギュア「とろ弁天」を安置。その筋から絶大な人気をあつめているとか。萌え専用の裏HPまである。開山とされる啓運日澄(1441-1510)は、日蓮初の長編絵巻物「註画讃」の編者だから、マンガやアニメとの繋がりはないともいえない。荒れ寺・啓運寺の現状とくらべてみれば、これも生き残るための、作戦というものなんだろう。

 手芸の人形制作・インスタグラムの普及など素人のレベルもあがり、人々の目は肥えてきている。読者との共感性に深く満足し、「ピカソ=理解不能」「印象派=最新」などと長年にわたって初心者感覚に安住していた文化人も、そろそろ時代おくれを自覚しつつあるのかもしれない。


 鎌倉文学館の庭に立つヌードは、むくんだ中年の体にちいさな顔をむりやりくっつけたような、昭和の「芸術彫刻」によくあるパターン。性的印象を薄めるためなのか、なんだかKABAちゃんみたいなトランス‐ジェンダーのようにもみえる。これは稲村ヶ崎にお住まいだった高田博厚(1900-1987)さんの晩年の作。この時期の像に顕著な顔立ちなので、特定のモデルがいたのかもしれない。氏は内外の文化人の頭像を得意にしたようで、鎌倉市のHPにいくらか掲載されているが、野外にはない。

 稲村ヶ崎にある「ボート遭難像」1964は、戦前「七里ヶ浜の哀歌」のヒット曲でしられた地元の学生事故1910にちなんだもので、鵠沼在住の菅沼五郎(1905-1999)さん作。奥さんはうまれてすぐ養女に出し、名前もかわった大杉栄の娘(初代エマ)であるという。

 小町通りにある銘菓・麦田餅・・・というより近年は「鎌倉半月」・・・の店の軒先には、なぜか子供と遊ぶ良寛さんの像がのっかっている。今小路のとびだし坊やは既製品。干物屋のまえになぜか狛犬があったりと、商業オブジェについてはけっこう目に入るのだが、もちろん鎌倉の街を印象づけるほどのものではない。


 彫刻は都市の思想を象徴するのかもしれない。混雑する駅のコンコースにおいても邪魔なだけだし、市長かなんかの勝手な趣味で、ヌード像をむやみやたらに設置しても、かえって品性がうたがわれ、美観がそこなわれたりする。芸術の都を自認するパリは、ギリシャ神話で美人くらべをしたパリスの名を戴くだけに、つくる側というよりは見る・択ぶことにアイデンティティを置いている。

 これは町田市中央図書館入り口にあるザッキン(Ossip Zadkine)「アポリネール記念碑のための習作」と船越保武「笛吹き少年」であるが、なにが敗因かはあきらか。彫刻自体はわるくないし、近くから360度鑑賞できるという点ではすばらしいのだけれど、来館者の導線にそってみてゆくと、こういうことになる。少年と同じ「お年ごろ」の子に、この顔面至近距離は恥ずかしいのだ。町田市街には佐藤忠良とか北村西望とか、けっこう多くの彫刻があるのだが、どれも置き場所にはこまっているようにみえる。だが、倉庫の奥にしまいこみ、宝のもちぐされになるよりは、ずっとましだ。


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